| 第六章 再び、天使は
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虹のようなワンピースを身に纏ったキューネ・バティスタ・ミリヤが現れた時、バルテュスは覚えず微笑を浮かべていた。
用心すべき異性にもかかわらず、ついにんまりしてしまうのは、それこそキューネの魅力に相違ない、とバルテュスは自分に言い聞かせる。決して、自身が女に弱いということではない。
「如何かしら?ブジュンブラの旅は」
キューネが、イオス(虹の女神)の如く優雅に問い掛けた。
「勿論、素晴らしい夜を過ごさせて頂きましたよ。尤も、貴女のような美女が隣にいれば最高だったのに、と言いたいところですが」
と、バルテュスは言った。
「ですが、起き抜けのコーヒーは最高」
白いデミタスカップを持ち上げた。大男の手に持たれたカップはまるで玩具に見える。
「その香りは……」
キューネは椅子に腰掛けながら、カップを見詰めた。
「香りだけでお分かりとは、さすがミリヤ農園のオーナーであられる」
「揶揄うのはよして頂戴な。そのくらい判って当然よ」
やや不機嫌そうに、キューネは片方の眉を上げた。つれて、盛り上がった胸元の双丘も動く。
「ルイルアンジェリュスは、この店の定番にはない筈よ」
と、カウンターを見遣る。
カウンターの中のバリスタは、無言でくるくると忙しそうに立ち動いているだけだ。ラウンジの客も疎らだった。
「一流ホテルのバールで、あれは出せない、こっちは勘弁してくれ、とは言えないでしょう」
バルテュスは自信たっぷりに答えた。
「一見の客であっても、もてなしは厭わないのがサービスの流儀というわけね」
キューネは口角だけを上げて笑んだ。
「あなたもローマで流行している迷信にあやかりたいのかしら?」
「そういうわけでもありませんがね。向こうじゃ飲めないんですよ、高騰甚だしいので」
バルテュスはコーヒーを口に含み、味わった。
「酸味も丁度いい。――これ、どこで手に入れたかご存知ですか?」
「いえ」
「ホテルの近所のドラッグストアです。おたくの農園のラベルが貼ってありましたけど」
バルテュスはズボンのポケットから、折り畳んだ銀色の袋を取り出した。キューネの前に広げて見せる。
「如何にも。ミリヤ農園のものだわ。それがどうかして?」
「おとぼけを。ブルンジでは基本的にルイルアンジェリュスは作っていない、と仰ったのは貴女ですよ」
「ええ」
「ところが、現実にはこの通り。貴女、昨日は作っていない、と仰るとは、些か不都合ですよ。取材する側としては。――街中のドラッグストアで入手出来るってことは、つまり割かし何処にでも流通しているってことだと考えていいですよねえ?」
キューネは、その問いには答えなかった。美しい顔に靄が掛かるように、緊張の色が浮かんで来た。
「そら見ろ、やっぱり綺麗な薔薇には棘がある。美女が仕事に絡むとろくなことはない、ってのは例外がねえな」と、バルテュスは内心毒づいた。
「……全否定はしていないつもりよ。圧倒的に通常のアラビカ種とは数が違う。テスト的に生産しているものだから、敢えて話す必要もないと判断しただけ」
「敢えて、ねえ。……まあ、いいでしょう」
バルテュスはすっかり査問官のような口ぶりで続ける。
「ルイルアンジェリュスを生産しているアルジェリアでは、近く産地呼称制度を名乗るそうです。てことは、将来的においそれとこの銘柄を名乗れないんじゃあないかと思って。もしや、何かお考えでもあるのかも知れませんが」
「御心配ありがとう」
キューネは冷ややかに答えた。
いやね、とバルテュスはもう一方のズボンのポケットに手を突っ込んで、またぞろ銀紙を取り出した。
「こちらも見てくださいよ」
先程出した銀の袋と見た目はほぼ同じだ。印刷されている文字がイタリア語であることを除いては。
「これ、ローマ向けの輸出品です。裏のラベルを見てください。シールを上から貼ってます。輸出元はフードラインFTPとかいうカンパニーです」
バルテュスは袋を裏へ向けて、シールを爪で剥がした。その下から、ミリヤ農園の文字が出て来た。
「いいんですかね、こういうの」
「法律上問題ないわ。うちが卸している豆を輸出しているというだけ。何処でそれを手に入れたのか知らないけど……あなた、何が仰りたいの?」
キューネは優雅に眉を顰めた。
「確かに。違法じゃあありませんがね。――ルイルアンジェリュスを大量生産し、輸出しようとするには何らかの意図があるわけですよね」
バルテュスは冷めた表情のキューネを見ながら、言葉を選ぶ。
「例えば、インフルエンザの予防にルイル・アンジェリュスが効くということを、予め流布する。愚民は藁にもすがりたい気持ちゆえに、それに殺到する。コーヒーが売れれば農園は大儲けだ。大儲け自体は悪いことじゃあない。なら、何故ルイル・アンジェリュスを栽培していることを隠すんですか?何かやましい事でも?」
キューネは黙ったままだ。
「別にやましいことはないですよね。貴女、クゼール大司教に寄付をなさっているくらいだ。ノーブレス・オブリージュ、誇らしいことではありませんか」
ノーブレス・オブリージュとは、すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、更に多く要求される」というルカによる福音書」12章48節にもとづく、かつて貴族の義務とされた行動をいう。寄付や犠牲的精神をともなうが、この場合、バルテュスの言は揶揄以外の他でもなかった。
「それとも、すべて手の内を明かしてしまわないのが貴女流なんでしょうかね」
バルテュスは肩を竦めておどけて見せた。
「ふうん。……手の内を明かし過ぎるのが、あなたの泣き所、ってわけね」
キューネはくすっと小さく声を立てて笑った。
「ヴァティカンの犬であるあなたの」
バルテュスの目の前で、今様シヴァの女王は静かに笑んだ。その微笑の周囲を黒い影が取り囲む。
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