(一)
割下しょうゆに少し紅葉おろしを入れ、浅葱をかけて頂く。土鍋から取り出されたばかりの切身はぷりぷりとして匂い立ち、白い湯気をくゆらせて椀の中へ入る。
小姓が順繰りに麩、春菊と小椀に注ぐが、少し覚ましてからでないと定敬の口には届かない。そのことがもどかしい。
「アンコウは熱く茹ったのを頂くのが美味いのに」
と思うのだが、言葉にし難い。何しろつい先日高須松平家から桑名藩・久松松平家へ養子に来たばかりである。幼年の初姫の婿養子となるにあたって、父・義建からはとくとくと、定敬自身の勝気な性格を誡められた。
そこで、些細な事であってものっけから我を通すのは、まだ十四歳の少年である定敬も少し気が引けたのである。
しかしながら、給仕をしてくれる小姓二人以外に他者のいない座敷で食事というのは何と味気ないものか。小姓は話し相手ではなく、只膳の周りのことだけを世話するだけなので、他人とさえ呼べない。実質一人のようなものである。
「高須屋敷にいた頃がなつかしい」
そう言っても詮無いのだが、ふと考えてしまうことがある。藩主としての職務には熱意を持っている。
「しかし大名の生活は思っていたより味気無いなァ」
とも思うのだった。
就中
(なかんずく)、一人で鮟鱇鍋というのは所在無い。とはいえ、家中の者が幼少より定敬の好物であるというのを承知していて用意してくれたのだから、有り難い。
「鯛だの平目だのがお好きと言われても、なかなかお膳にはお出し出来ませぬが、アンコウなら幾らなりとも。築地中屋敷ではそれは新鮮なものを頂けますし、お国許へ行かれましてはなおのこと。伊勢の冬場はアンコウの吊るし切りが風物となっております」
家老の一人、山脇十左衛門がそう言っていた。山脇は、見た目はいかついが実に心根は真っ直ぐな気のきく男で、定敬は一目で気に入った。尾張の兄より少し程年上である。尾張徳川家の慶勝は、高須松平家から養子に行った次男である。定敬とは二十以上も年が離れていた。
ところで、定敬はしずしずと一人で鮟鱇鍋を食しながら、寂寥から小姓に話し掛けた。
「そち等はこのアンコウという魚を見た事があるか?」
小姓二人は吃驚した。普段「汁物が少々熱い」だの「魚の血合いがいやだ」などと言われるのは職務として聞いているが、まさかの質問を浴びて、二人とも声に詰まった。
「生きているアンコウだよ」
何の屈託も無く問い掛ける若い藩主と、そう年の変わらぬ小姓らは顔を見合わせた。そして、小姓の一人、立見鑑三郎が「いいえ、ござりませぬ」と答えた。
定敬は、
「以前『魚鑑』という書物で絵姿は見たことがある。そうだな、平べったい団扇の様な形の黒い不気味な魚だった。口ばかり大きうての。余はこのような不恰好な魚が何ゆえ、鍋になると美味になるのか不思議で堪らぬ」
だが、小姓二人は黙ってぷりぷりとした白い切身をよそうのみであった。
定敬は何となくばつが悪くなり、また押し黙ってよそわれた物を食べ始めた。武士がくだくだと話しながら食べるものではない、という幼い頃からの教えが定敬の頭の中を圧倒し始めていた。
つくづく殿様という仕事は窮屈だと思う。
武家屋敷の垣根に山茶花が開き始める。
袱紗
(ふくさ)小袖、半袖上下の礼装に身を包んだ松平定敬は乗馬にて出仕しようとした。
だが、「殿それはなりませぬ」と家老らに止められて、不承不承駕籠に乗ることになった。理由はよく判らないが、どうやら初登城というのでなるたけ奇をてらった派手な事は回避したいというのが、家臣の意見であるらしい。
「だが、西の丸御殿までは馬の方がずっとはやい筈だ」
と、定敬は思う。桑名藩上屋敷は江戸城の東、鍛冶橋門外のさらに東、京橋付近にある為、登城に時間がかかるのである。
とまれ、定敬は駕籠に乗って六つ下刻過ぎに藩邸を出た。馬上のように景色も何も無い。退屈してふと外を覗くと、既に鍛冶橋門に近付いている。
定敬は、門番の立っている数間わきに一人の娘が立っているのを見た。
冬の装いにしては不似合いな程の明るい萌黄色の袷が目に映った。定敬より一つ二つ年上であろうか。娘は江戸紫の頭巾を被って所在なげに城の方角を見ていた。
定敬は娘と目が合った。ほんの瞬きをする間の出来事であった。
しかし、少年藩主の胸中に、その萌黄色の鮮烈な印象と娘の濡れたような黒い双眸が沈殿した事実は免れなかった。
安政六年十二月一日。第十三代将軍・徳川家定に初めて定敬が拝謁し、御白書院諸大夫に命じられ、官名越中守を与った朝のことである。
謁見を終えた定敬は、その足で大老・井伊直弼に面会した。噂よりも存外やさしげであった。初めて会う掃部頭は、定敬を見るなり、
「越中どのはとてもよいお顔立ちをしておられる。負けん気が強そうな。とてもよい」
そう言われて、さしもの定敬も赤面した。勝気な性格は父母からも言われている。特に父・義建からは婿養子入りに際して、「お相手は賢い姫か愚かな姫かわからぬが、お前のごとき負けん気一点張りの男はよくよく心してやってゆかねばならんぞ」と諭されている。何にもまして、時の大老からのお言葉となると、些か気恥ずかしくもあり、またそういう意味で生真面目な定敬は、
「御役目に精励いたしたく、本日さらなる誓いを立てましてございます」
と、はきと答えた。井伊掃部頭は、にこやかに頷いた。
既に定敬の十一歳年上の異母兄・容保は会津松平家の養子となって数年。掃部頭とも近しい間柄であった。よって、定敬も掃部頭の目には好もしく映ったに相違ない。
なんとなれば、既に登城して間もない頃より、「松平越中守はいずれそう遠からず幕閣に上るであろう」という噂がまことしやかに広がり始めたのである。
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