(三)
明けて安政七年正月。幕府に新たな人事が行われた。
磐城平
(たいら)藩主・安藤対馬守信正が老中に昇格し、外国事務を掌ることとなった。これまで寺社奉行を務めていた安藤であったが、外交に通じており、卒の無い人柄というので井伊掃部頭による抜擢であった。
小豆粥を食べて息災を祝う、上元の節句のこの日である。
「アンコウだ」
と、誰か言う声がする。定敬はきょろきょろと周囲を見回した。
「あの方が安藤公だ」
囁きが聞こえる。廊下を渡る裃の衣擦れに従って振り返り、定敬は安藤信正を見た。
四十ばかりの色白の男であった。豆腐のような長四角い顔で、若い頃は涼やかな美男子であったろう面影を匂わせる。
「アンコウとはつまり、唐風に”安公”のことか。しかし鮟鱇のような不細工な魚とは似ても似つかないが」
そう思った途端、定敬は暮れに見た鮟鱇の吊るし切りの姿でも思い出したのが、俄かに可笑しくなった。
堪えたものの、微かに頬が緩んでしまったらしい。安藤は定敬の表情を一瞥して、僅かな不審を抱いたようであった。
「まずいな」
と、思ったが遅かった。こういう時、家老がいれば一言の諫言でもあっただろうが、城内は藩主一人で行動せねばならない。まだ定敬はその流儀に慣れていなかった。
しかし、己ごとき若輩がにこにこ笑っていたからといって、殊更どうということはなかろう、と定敬は多寡を括っていた。それよりも鮟鱇のことで、ふと利八とおみつ父娘のことを思い出した。
「また鮟鱇鍋が食べたい」
と念じながら形式通りに出された小豆粥に口をつけ、下城した。
ところが、魚屋利八は所用で留守にしており、おみつも父に従って不在であった。仕方なく築地の別の魚屋から鮟鱇を仕入て鍋を仕立てたが、満足の行くものではなかった。
その後数日して、西の丸御殿にて兄・容保と会った時、ふと老中・安藤信正の話題が出た。
「板倉殿から言われた。老中対馬守様がそなたのことを訊ねられたという」
「はぁ」
「一際きらきらしう、にこやかな若殿がおられたが、彼の人が松平越中守か。白河楽翁の御家風とは少々趣を異にするようだ、と仰られたようだ」
容保は窘めるように言い、瓜実顔を優美に曇らせた。「白河楽翁」とは、桑名藩久松松平家の中興の祖にして、「寛政の大改革」を行った松平定信のことである。久松松平家がその当時白河藩を統治していたので、そう呼ぶ。つまり質実剛健な久松家にしては少々軽い趣が定敬にはある、と揶揄を込めて言ったのである。
「此方のアンコウは食えぬお人だな」
定敬は密かに苦笑したのだった。
その朝は異様なまでに凍れ、早くから白んだままであった。外は先日夜半からちらつき始めた雪片が霏々と振り積み、開きかけた桜花を頑なに取り巻くが如くであった。
定敬は例の如く六つ下刻に藩邸を出た。思いがけぬ江戸の遅い大雪に、徒士や草履取りの足場も悪しかろうと、この日初めて馬で登城を試みたのであった。
やがて鍛冶橋門に近付くと、萌黄色の娘の姿があった。折から続く山茶花の花弁のような白雪が路地と娘の頭巾を覆っていた。
「あわれな」
と、定敬は娘に一瞥をくれた。
やはりあれはおみつに違いない。見まごうことはない。
だが、己は馬上、声を掛けてやることも出来ない。定敬の視線を感じてか、おみつは少し身じろぎしたようであった。その手はいつになく胸元に固く押し当てられ、何かを捧げ持っていた。桃の枝である。かじかむ白い繊手に包まれた一枝の桃は、満開であった。
春の大雪と満開の紅い桃花の不自然さに、定敬はもう一度行き過ぎようとする際に振り返った。
おみつの姿は既になかった。
四つになんなんとする頃、帝鑑間に詰めていた定敬は凶報を聞いた。
井伊掃部頭直弼が登城中、刺客に襲撃されたのである。それも水戸藩士の仕業であるという。
この日は三月三日、上巳の節句であり、祝賀の為に登城するというしきたりであった。この報せを聞き、城内騒然となった。
「して掃部頭様は」
「御屋敷に戻られたようですが」
討たれなさったか、と定敬は直感した。
大老が登城の折、一人の男が訴状を持ち、直訴しようとして向かってきたという。徒士の一人がその男を制止しようとした刹那、やにわに斬り付けられた。そして、その男はさらに行列の先頭が持つ槍を奪おうとして、そこで漸く刺客と気付いた駕籠回りの近習が防戦した。
ところが銃声が轟くや、それを合図に周辺にいた一団の武士が大老の乗った駕籠を急襲したのである。近習等はろくに反撃も出来なかったという。
折からの降雪で刀に柄袋を被せていたからである。これが仇となった。ついに刺客らは徒士を追い払って大老を引き摺り出し、斬首してしまったという顛末であった。
定敬は戦慄した。刺客団の執念の凄まじさも兎も角、駕籠回りを固めていた者らの失態は如何せん。
「ああ、もう半刻送れて登城していれば」
応戦出来たであろうに、と定敬は唇を噛んだ。
「否、何より兄上の婚儀を真っ先に祝うて頂いた掃部頭様の悲報。聞けば、兄上のほうがお辛いに違いあるまい」
今は会津にいる容保の事を思い、定敬は嘆息を吐いた。
間も無くして、上司の節句を中止するという旨が下された。
定敬が弔問に訪れた時、門外で老中・安藤公の駕籠と行き違った。定敬は下馬し、恭しく見送った。彦根藩邸では明らかに主掃部頭の急逝による狼狽振りを隠し切れていなかった。
彦根藩公用人の話を聞くと、
「安藤公は弔問ではなく御見舞いと称してお見えでした」
という。安藤は家中のざわめきを圧倒するかのように奥へ入り、直弼の首の無い遺骸に向かって、怪我の具合を尋ねた。
「どうかご養生なされますように」
静かに言い、それから見舞いの言葉を長々と述べてから帰っていったとのことである。
定敬は「うん」と唸った。「只のアンコウじゃない。些か大仰だが、見事な芝居だ」とも思った。
弔問ということは、明らかに彦根藩に対して水戸藩が危害を加えたということを世間に示してしまう。そうなれば互いの武力衝突も避けられぬやもしれぬ。幕閣として、安藤はそれを回避したい。そこから出た芝居であろう。
「しかし、おれはあまりそういうやり方は好きではないな」
にやり、と定敬は苦笑した。が、弔問に際しては不謹慎であるので口許を直ぐに引き締めた。
定敬は、万事率直に物事をこなしていくほうが性に合っている。大儀だ理屈だと捏ね回したところで、武士の本懐とは思えないのだ。
確かに掃部頭のやり方は極端な強硬路線であったかもしれない。
しかし、掃部頭は最期にあたって形だけでも抜刀した。刺客に立ち向かった。むしろ、こういう日が来ないとも限らないと覚悟していたかもしれない。そして、臆病風に吹かれて逃げ去った近習は兎も角、掃部頭は討死した。立派な武士の最期である、と定敬は馬上落涙した。
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