(五)

 下馬札前は、大勢の諸侯でごった返していた。大名一人につき二、三十名の警護、多い藩では四十名を越す供回りの者がいる。定敬は鍛冶橋門前で立ち止まった為、少し遅れてしまった。列は遠く及んでいる。
 その雑踏の中から一人の男が訴状を捧げるようにして、走り出してくるのを馬上の定敬は見ていた。
 安藤信正の駕籠に向かっている。近習の者がその訴状を受け取ろうとした時であった。
 男は懐から短銃を取り出し、安藤の駕籠目掛けて撃ったのである。
 どっと人垣が割れた。逃げ出す者、抜刀する者とめいめいに動き、門前は混乱j状態にあった。弾丸は外れていたようだが、既にその隙に六名の浪士が行列を割って踊り込んでいた。
 その内の一人が駕籠を刺した。
「おのれ奸賊ども」
 よろめきつつ、安藤が出て来た。背中に傷を追っている。だが、抜刀する力はあった。籠を出た安藤は、わっと数名が襲い掛かろうとした。ところが桜田門外の時のようにむざむざと刺客にやられてなるまいと徒士らは奮戦した。
 定敬は思わず手綱を引いた。
「言わんこっちゃ無い」
 あれほど警告したのに。
 安藤を救うため、定敬は馬を走らせた。だが、混乱した人波に阻まれて、立ち往生してしまった。
 どうやら安藤が命からがら坂下門の中に逃げ込んだ時、刺客ら六人は斬り伏せられたようであった。
 上巳の祝は中止となった。
 後日、検分によって安藤を襲撃した男達は、水戸藩士を中心とした尊皇攘夷過激派であることが判明した。その背後に宇都宮の儒者。大橋訥庵がいたという。というのも、刺客の一人に河野顕三という男がおり、この人物が訥庵の弟子であった。訥庵らはかねてより他の弟子も交えて水戸藩士らと交友があり、安藤暗殺の計画を立てたのではなかろうか、と噂された。
 訥庵は、極端なまでに洋夷を忌み嫌い、蘭学さえも認めぬ男である。ゆえに安藤が積極的に外交に乗り出したことに対して、激しい怒りを覚えた。くわえて、和宮の降嫁による公武合体となれば、尊皇過激派も巻き込まずにはいられなかったのである。
 定敬は書院に活けた白梅の一枝を眺めつつ、安藤の見舞状をしたためていた。
「梅花といえば、まだ江戸城にも咲いていない。この屋敷にも」
 おみつは庭に咲きましたと言ったが、一体何処の庭なのであろう。定敬は侍講の秋山白賁(ひ)堂を呼んだ。
「この時分、梅花が咲いているようなところが江戸にあるか?」
 と、定敬は単刀直入であった。秋山は白髪混じりの頭をゆっくりと上げた。
「ございませぬ。梅花は節分の頃になりませんと」
 そう言い、白梅を一瞥した。
「やはり。すると江戸以外の近郊に梅の咲くような場所はもっと南の地か」
 然様にございます、と秋山は肯定した。そして、
「伊豆の修善寺か伊東か。或いは水戸は梅の名所にございますゆえ」 
 水戸と聞いて、定敬は筆を止めた。
「江戸より東北ではございますが、早咲きの梅なども」
 水戸の梅はつまり水戸藩を指すのではないだろうか。ゆえにおみつはあの朝、白梅の一枝を持っていた。
「おみつは安公襲撃を知っていた。否、おれに知らせようとしたのではないか」
 定敬は茫然となった。
 よくよく考えてみれば、桜田門外の時もおみつはあの朝鍛冶橋門の近くにいた。桃の一枝を持って。普段は何も手にしていないおみつが、安政七年三月三日と、今年の正月十五日のみに花を手にして佇んでいた。
 あれは暗殺の合図だったのである。
 いや、暗殺の決行は恐らく全大名の登城日と決めていただろう。あれは単純な、決行の合図だ。
 すると、おみつという娘の正体は?その父親の利八は?
「魚屋利八の在所は如何」
 定敬はやにわに立ち上がると、見舞状を途中で放り出したまま厩に向かった。
 馬丁がおろおろし、追って来た小姓が止めるのも聞かず、黒馬に跨った。
 山脇に聞いた通りの道を築地へと向かう。下屋敷の方へ行けばよいということはわかっていた。供も連れず、単身江戸の町を疾駆する大名が他にあったかどうかはわからない。
 とにかく町人は定敬の顔など知る由も無いので、余り気に留めていない。さすがに長屋周辺のことは判りかねて、馬を降り、屯している女どもに訊ねた。
「魚屋利八の屋は何処か知っているか?」
「はあ、お侍様。そこの門を曲がって二軒目でございます」
 そうか、かたじけない、と定敬は礼を述べた。女は不審そうな目付きで、
「ですが、利八と娘は四日ほど前から長屋には戻っておりませんよ。夜逃げじゃござんせんかね」
 四日前というと正月十五日である。定敬は愕然となった。気付くのが遅過ぎたのである。已むを得ず、定敬は上屋敷へ引き返した。

 命拾いをした安藤は、二ヶ月の静養ののち公務に復帰した。ところが再び出仕しようとすると、大目付らが一斉反対をしたのである。理由は、
「背中に傷を受けたは武士の不覚。そのような者が諸侯の上に立つとなれば人心は潰散するであろう」
 というものだった。
 安藤は四月十一日をもって老中を罷免され、溜間詰に格下げをされた。定敬は同じ溜間詰で沈黙を保ち続ける安藤の潮垂れた姿を見て思った。
「この人の政治生命も終わった」
 結局は和宮降嫁は、安藤を失脚させたに留まらず、勤皇攘夷の火に油を注いだようなものである。
 人は坂下門外の兇変のことを「鮟鱇の吊るし切」に掛けて「安公斬」と呼ぶ。口さがない侍たちの間では、「あんどう(行灯)を消してしまえば夜明けなり」などという川柳も流行っていたようだ。
「おれがすぐにも白梅の意味に気付いていれば、安公ももう少し長らえたかもしれない」
 定敬はそっとそう思ってみたが、何故かすぐに不愉快な気分になった。物事に仮定など存在しないのである。 失脚した者に対する世間の風当たりは酷である。己がいつ何時、安藤の立場になるとも限らない。その浮き沈みを避けるために、可もなく不可もない職務を過している諸侯の何と多いことか。
 いわば、安藤は世間の幕府酷評の矢面に立たされた挙句、犠牲にされたようなものだった。
「おれは事勿れ主義は好きじゃない。おれが幕府において出来ることは何だろう」
 定敬は、下城の途中考えた。本来、親藩の藩主として番頭や丁稚である譜代のするような政務について考える必要もないが、考えずにおれぬ性分なのである。
 三月も中旬を過ぎ、桜の頃である。兎も角一度は桑名へお国入りせねばならない。そのことをまずお上に願いでよう。
「桑名へ行ったら、十左の言う伊勢湾の美味いアンコウが食いたいなァ」

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