(十五)桑名→東京(明治五年春)

 
 前略

 御無沙汰いたしております。幸子様には如何お過ごし候にや。
 年明け、恩赦ありて当方の謹慎が解けました。二月に初子とささやかに華燭の典執り行い、晴れて夫婦となりました。思えば此の縁組も允に多大なるかたがたの恩顧、幾年を経て成り得た結縁。神妙なる心地に御座います。
 御一新よりこのかた顧みれば、己の所業いたく情けなき振舞に及んだこと、最早頭を垂るるのみであります。かつて人の上に立つ者として畏るなき驕慢の口説をふるい、血山屍河の上に己の得心をばかさねた罪は免れるべくもありません。たとい恩赦に与っても、人として許されざる業、臣下を見捨てて己ひとりのうのうと生きながらえた罪の如何ばかりか。家名を汚した罪は生涯かけてつぐなわんと思っております。
 さまざま幸子様にはお話したきこと多かれど、御病状も如何。お返事は不要にて。
 

  啼く声のたかき木ずゑの呼子鳥何方へとか飛び帰るらむ


                                    明治五年三月二十日 定敬




 謹啓

 当節、昨年末まで英国遊学中につきまして、御返礼遅れましたことまことに申し訳ございません。御容赦頂きとう御座います。
 幸子、昨年七月十七日永眠いたしました。故人の生前は、貴兄におかれましてはひとかたならぬ御厚情賜り、感謝の念筆舌に尽くし難く存じます。
 故人が辞世、此処に書き写します。

                                    明治六年正月 上杉茂憲
 
 
  うら枯るる浅茅が末のかる萱の露となりてむわが玉の緒は

                                            幸


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 注:

 【恩赦】…箱館より帰還し、出頭した定敬はのちに尾張藩預かりとなり、謹慎。その後津藩預かりに変って明治四年に桑名へ護送される。明治五年正月に恩赦によって謹慎が解かれた。
 【初子とささやかに華燭】…謹慎がとけた翌月に許婚・初子(桑名藩先代・猷公の長女)と正式に結婚する。
 【英国遊学中】…茂憲は明治5年1月26日、英国遊学のため横浜港を出帆、3月23日にロンドンに着き、翌年12月29日に帰朝した。したがって、幸子の死に目には遭っていない。

 

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