解説・あとがき

 松平定敬と実姉の幸姫を考えた時、何故か折口信夫の『死者の書』を思い出した。冒頭にあらわれる大津皇子(屍になっている)とその姉・耳面刀自(みみものとじ)=大来皇女(おおくのおほひめ)の関係をイメージしたのだろうか。
 謀反の嫌疑をかけられ僅か二十四歳で刑死した悲劇の人・大津皇子は、身体容貌ともに優れ、幼少時は学問を好み、博識で詩文を得意としたが、長ずるに及び武を好み剣に秀でたという。その印象から私が勝手に定敬を思い浮かべたのだろう。もっとも、定敬は六十二歳まで生きているが、運命の分岐点が二十三、四歳という若い時期にあたることが両者の共通項かもしれない。

 我が背子を大和へ遣るとさ夜更けて暁
(あかとき)露に我が立ち濡れし(万2-105)
 (私の弟を大和へ帰すというので、夜が更けて、暁まで立ち尽し、私は露にびっしょり濡れた)


 二人ゆけど行き過ぎかたき秋山をいかにか君が独り越ゆらむ(万2-106)
 
(二人して行っても通過するのが困難な秋の山を、どうやってあなたが独りで越えて行くというのだろうか)
  大津は謀反の前に斎宮となっていた姉を訪ねて伊勢神宮を訪れ、京に帰っていったという。その時の大来皇女の歌。

 うつそみの人なる我や明日よりは二上山を弟背(いろせ)と我(あ)が見む(万2-165)
 (現世に留まる人である私は、明日からは、二上山を我が弟として見よう)
  死後、大和二上山に葬られた大津を想って詠んだ歌。

 大来皇女が大津皇子に対して詠んだ歌の一部だが、現代人の感覚からすると、あまりにも濃い近親関係の感情に違和感を覚えないだろうか。私などは少女の頃『万葉集』を読んだ時に、姉弟なのになんでこんな艶のある詠い方なんだろう、とどきどきしてしまったものだ。どこか近親相姦的な匂いさえ感じる。
 そんなイメージを、千二百年ものちの人物である定敬と於幸に重ねてしまうのはどうかと思うが、我々が考える以上に近親者の血は濃いものだったのかもしれない。

 
 ここに記した歌のすべては作者のフィクションであり、いずれの歌集にもない。
 かつてたわむれに詠んだことのある程度の力量なので、拙いことは間違いないが、多少なりとも雰囲気になっていれば幸いである。
 なお、幸姫は妹という説もある。よくわからない。いずれにしても上杉家に輿入れし、その時以来定敬とは再会していないのではないかと思った。定敬は会津から米沢へ救援を求めに向かった時、既に藩は恭順をすすめていたので斉憲はもちろん、茂憲にも面会してない。幸姫にも会えなかった。こうして姉弟は見えることなく離別し、幸姫は奇しくも定敬の謹慎が解かれた明治五年の七月に逝去する。享年二十七歳という若さゆえ、結核のような病だったのではないかと推測して描いた。

 以下、歌の解説。



 (1)梅枝(うめがえ)に いささ雪積み さむしろの 衣手(ころもで)冴えて 夜半(よは)の初雪
 
  (梅の枝に少し雪がふって、筵の上に寝る衣の袖が冴え冴えと寒く夜半の初雪)
  【冬】季語=冴え、初雪。
   「梅」は春の季語だが、あえて選んだ。通常は常緑樹の「松」にしたいが、久松家の家紋「梅鉢」にかけて。「さむしろ」は「小(さ)筵」と「寒しろ」にかけている。殿様が筵に寝ることはないが、もののたとえ。



 (2)冬ざれの 白嶺(しらね)に問はむ 雪菩薩(ゆきぼさつ) 暁に逢(お)うと 君が固めし
  
  (冬枯れした山々に問うてみましょう。朝までもつとよいなと言って君(定敬)が固めつくった雪だるまの行方は)
   【冬】季語=冬ざれ、雪菩薩。
   「冬」ときたら「白」が入るのが定番か。雪だるまを「雪菩薩」あるいは「雪仏」という。江戸のような町で雪が降っても朝まで残る事はそうそうないので雪だるまもすぐにとけた。やんちゃな定敬は、きっと雪だるまを朝までとっておいたに違いない。


 (3)(みや)こにて にほへる花と 呼ばれけむ 葵(あふひ)の下の 人はめでたし

  (京という地で葵の花は祭の花として尊ばれています。それにならって葵(幕府)の下の人(自分)もかくありたいものです)
   【夏】季語=葵。
   葵祭は本来は「加茂祭」という。それを「葵」と呼んだのは徳川家(ゆかりの人)ではないかという説があり、京でそう呼ぶことは幕府政略にしてもよろこばしいものだった。所司代に任命された定敬は活気に満ち溢れていたと思われる。



 (4)独り寝(ぬ)し 明かし五月の 短夜に 京(みやこ)のたより 告げし雷(いかづち)

  (ひとり寝で短い夏の夜を明かしてしまった五月の或る日、京からの君(定敬)の便りが雷雨とともにもたらされましたよ)
   【夏】季語=短夜、雷。
   「ひとり寝」という少し艶っぽい表現が初句。夫がいながらひとり寝、という表現に少し物寂しいような雰囲気を付加してみた。必ずしも正妻がいつも同衾しているわけではないという女の本音。歌を贈られた方もドキリとするような。ある意味、歌は作り事の世界であるので、誇張や空事はあそびの範囲として。



 (5)水上(みずのえの 鴨のうき寝の うきながら 波の枕に みゆき待つらむ

  (水の上の鴨の浮き寝のように気の休まらぬ憂き世であるものの、波の枕に(上様の・貴女の)行幸を待っています)
   【冬】季語=鴨。
   「鴨の浮き寝」はワンパターンの一つ。「みゆき」は「行幸」と「於幸」とかけている。この歌も見方によっては男女の仲でも歌ってるのかというような歌。



 (6)ともし灯に 散る夏虫の はかなきに 懲りぬ想ひと 誰か言ひけり

  (灯火に焼けて死ぬ夏虫のはかない繰り返しを見て、懲りぬ生き物と誰か言ったものだ。心配などしても仕方ないのに)
   【夏】
季語=夏虫。
   夏虫は火取蛾のような虫。灯火に近付いては死に、また仲間がさそわれて来る。まるで自ら死地に赴く弟の苛酷な運命でも見ているようで、心穏やかで無い於幸の心境を示した。「誰か」は式部大輔(茂憲)か。



 (7)君なくて 荒れたる宿の 浅茅生(あさじふに あきつ飛ぶなる 秋ぞかなしき

  (主のいない屋敷の荒れた浅茅の上をとんぼが飛んでいる秋は悲しいものです)
   【秋】季語=浅茅生、あきつ(蜻蛉)。
   家茂が薨去ののち、主の居ない二条城を荒れ宿にたとえていう。最後はストレートに「かなしき」。



 (8)しほたるる 袖断ち見れば 雪迎へ ひさしの下に 夫(つま)の立ち居て

  (涙に潮垂れていた袖を断って、もうさみしさも忘れようとした頃、雪迎えの季節になり、邸のひさしの下にいとしい夫が立っていました)
   【冬】季語=雪迎え。
   夫を思う歌。「雪迎え」は、小春日和の頃、米沢盆地の空の下を白く細い糸が流れてくるが、やがて消えてしまう。その現象が近付くと初雪が近いといわれた。その正体は、実は蜘蛛の営みであるが、科学の解明されていないこの時代には神秘的であった。



 (9)佐保姫(さほひめ)の 花衣(はなごろも)踏む 吾が駒の 吹かせたて髪 木の芽はる風

  (春の女神である佐保姫の花のような薄ごろもを踏ん付けて進む私の勇ましい馬よ。そのたてがみを吹かせ、木の芽を芽吹かせる春風よ)
   【春】季語=佐保姫、木の芽、春風。
   馬に乗って春の女神の衣の裾を踏ん付けてしまう勢いのよさ。馬のたてがみと自分の断髪をなぞらえる。定敬らしい雰囲気に仕上がったので我ながら好きな一首。「はる風」は「張る」と「春」をかけている。



 (10)去年(こぞ)見しに 色も変はらず 小波(さざなみ)の のどけき面(つら)よ 春のなにわ津

  (去年みたときと色も変らず小波を立てるのどかな新春の難波津。だのにそれを見る私の境遇はすっかり変ってしまったことよ)
   【正月】季語=去年。
   なぜか「去年」という季語は正月なのにもの悲しい。「面」を「おもて」ではなく「つら」よ、と切ってよませたところに、何処か自分の境遇に対する若い投げ遣りさも感じられるかな、とあえてそうした。



 (11)春の日の 山の薄氷(うすらひ) とけゆくも 解きな忘れそ 我が時雨咳(しぐれぜき)

  (春の陽光が山の薄氷をとかしてゆくけれど、決して忘れないで春の日よ、私のしぐれのようなしわぶきを解かすことも)
   【春】季語=薄氷、時雨(冬)。
   「な……そ」の構文。「時雨咳」は作者の造語。あえて冬の季語を投入することで、浅い春をあらわした。



 (12)うちしめり 麦穂ぞ香る 越(こし)の陸(くが) この五月雨に 人はまどふと
 
  (どことなく湿った空気に実った麦の穂が香っている越前の国。五月雨の季節に人びとはとまどっている)
   【夏】麦、五月雨。
   「麦穂」という季語はない。これも作者の造語。「越」は桑名藩飛び地「越前柏崎」の地。「五月雨」は現在でいう梅雨のこと。「人」は桑名藩の人でもあり、定敬自身でもある。



 (13)照る月の 冷え満ち来(きた)る 山裾に 眺めてかなし 若松の城

  (照る月が冷え冷えとした明かりを山裾に満たしてくるその様を眺めてはもの悲しい会津若松の城)
   【秋】季語=月、冷え。
   会津入りしたのちの定敬の心境を示した。「かなし」は「悲しい」だけの意味ではなく「あわれな」という意味でもある。



 (14)枯れ果てて 思ひたえなで 真葛原(まくずはら) うらみなるなん 秋の別れ路

  (枯れ果てて思いも絶えないで欲しい、真葛の広がる大地よ。もし絶えてしまうなら、この秋の別れをうらみますよ
   【秋】季語=枯れ、真葛原。
   実際にはどうなったのかわからないが、この歌の通りなら於幸は藩の運命をどう思っただろう。



 (15)啼く声の たかき木ずゑの 呼子鳥(よぶこどり) 何方(いずかた)へとか 飛び帰るらむ

  (高い声でないている梢の上の呼子鳥は、何処へ人を呼びに飛び立つのでしょう。私も呼子鳥のようにあなた(幸)を呼んでいます)
    【春】季語=呼子鳥。
    啼く声が「高い」と木の枝が「高い」ことをかけている。「呼子鳥」の季節は春だが、鳥の正体はわかっていないらしい。季節がめぐって、ようやく謹慎が解けた定敬が於幸に会えることを祈った歌。


   

   うら枯るる 浅茅が末の かる萱(かや)の 露となりてむ わが玉の緒は

   (末枯れてしまった浅茅のそよぐ萱の上の露のようにはかなく消えようとしています、私の命は)
    【秋】季語=末枯れ、浅茅、萱、露。
     表題作。とにかく秋の物悲しい季語をふんだんに使って辞世の一句。



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