(一)
火鉢にあたっていた斎藤一が、呼ばれているのに気付くのに、餅が膨らんで弾けるほどの時間が掛かった。
「斎藤さん、ちょっと来て下さいよ、面白い物見せたげますよ」
沖田総司が襖を勢いよく開け放つ。斎藤は、面倒臭そうに顔だけ上げる。香ばしい匂いをさせている丸い焼餅を掴もうとして、それを沖田が上から先に掴んだ。
「あっ」
「熱ちッ。いいから来て下さいよ。焼きすぎですよ、これ」
熱い熱いと言いながら袂で餅を転がしつつ廊下を進む沖田の後を、斎藤は付いて行った。取られた餅を取り返さねばならない。
入ったのは、副長土方歳三の部屋である。
「これですよ、これこれ」
と、沖田は勝手知ったる我が部屋の如く文机に近付き、膝を折る。置かれていたのは、一冊の句帖であった。表紙には『豊玉発句集』とある。簡素な大和綴で、右肩に「文久三年亥ノ春」と書かれていた。半年ほど前に記した新しいもので、筆跡に見覚えがある、と斎藤は思った。
沖田がくすくすと笑いながら捲ると、
裏表なきは君子の扇かな 豊玉
とあった。季語はないが、扇を儀礼用のものとすると正月の句のようでもある。次の句には冬の季語が使われていた。沖田はぱらぱらと捲りながら、またふふふと笑った。斎藤は不可解に思いつつ、この平凡な月並俳句の浄書を読んだ。
「それにしても仮名遣いの間違いが多いなァ。この「見へ」なんて「見え」と書かねばならないのに」
斎藤は尤もらしい事を言った。沖田はまだ餅を手の平で転がしながら、へえと目を丸くした。
「斎藤さんも俳諧をやるんですか?」
「おれはやりませんよ」
むしろ和歌と漢詩を学ばされたが、どちらも格別好きではなかった。敢えて自作を捻り出そうという気はなく、その道で仕官など到底無理なので修行しなかった。
「でもやっぱり拙いよね、この発句集の殆どが。如何にも理屈ぽくて」
「そういうのが月並俳句というものらしいですがね」
斎藤は言った。沖田は、
「これ、土方さんの発句集なんですよ」
悪戯小僧のように白い歯を見せた。斎藤は、驚きはしなかったが何とも返事の仕様がなかった。どこをどうしてあの土方の怜悧な頭脳をして平々凡々の句を成さしむるのか、奇怪に思えた。それが人の面白味といえば、そうには違いないのだが。
「これなんて何を抜け抜けと書いちゃってんだろうと思いますよ」
と、沖田が指し示したのは、
知れば迷ひ知らねば迷はぬ恋の道
だが、これには丸囲いがあって、没句にしてあった。ははあ、どうやらこうして推敲の為に出してきていたのだな、と窺い知れた。
「あ。これ餡餅じゃないですか、斎藤さん。気付かず焼いてたんですかァ」
沖田の喜色に彩られた声と同時に割れた餅の間から甘い湯気が上った。
「餡入りか。なら要らない」
やった頂き、と沖田があんぐりと口を開けた時、襖が開いた。
「要らんならおれが頂こう」
沖田の両手から餡餅を奪ったのは、鬼の副長・土方であった。斎藤と沖田は思わず顔を見合わせた。しまった、と舌を出す沖田。土方は色白の貌に皮肉な笑みを浮かべつつ、二人を見下ろし、己の句帖を見比べてふんと鼻を鳴らした。
「で。御両人はお気に召した発句でも見つけられたかな?」
静かだが奇妙な怒気と羞恥を含んだ声色であった。沖田は愛嬌ある顔に苦笑を浮かべ、「梅の花壱輪咲いても梅はうめ」かな、と首を傾げた。理屈ぽいのはどうかと言ってたのは己じゃないか、と斎藤は呆れた。土方は、ただ頷いただけだった。
「斎藤、お前は?」
斎藤は弱った。土方の顔色加減からして、どうやら見てはいけない物を見てしまった事に違いはなく、さりとて下手の句の何れがいいとは早急に答えられない。ううむと咳払いして、もじもじしていると、土方は痺れを切らしたのか、
「もういい」
と、左手を振った。
「二人とも、おれは忙しい。出てってくれないか」
そう言って、大柄な沖田と斎藤をまるで犬の仔でも追い散らすように部屋から急きたてると、障子を締め切ってしまった。
「ちぇ結局、餡餅取り上げられちまったよ。斎藤さんの所為だからね」
沖田はぶうつく言った。元々それはおれの物ではなかったのか、と斎藤は思った。それにしても、土方の様子があまりに可笑しかったので、沖田が行ってしまった後でこっそりと笑いを吐き出した。
その晩遅くから暁に掛けて、雪が降った。文久三年、京の冬で初めての雪である。
土方はあまりの外のの静けさに、ふと目覚めた。雨戸を開け、濡れ縁に出てみると、庭の熊笹や南天に白い綿帽子が降り積んでいた。
足元を見れば、踏石の上に爪先を縁側に向けた高下駄が揃えられており、雪上に下駄の歯の二の字が規則正しく描かれている。たった一人、門扉からここまで来た足跡である。
土方は、下駄を手に取った。自分の物ではない。黒繻子の鼻緒で、「斎藤の物だ」と判った。途端に、土方の頬が緩む。
「斎藤のやつめ」
早朝からわざわざ南部邸から出てきて、粋な真似しやがる。これが昨日の答えかい。
『豊玉発句集』の二十番目の句こそ、
横に行
(ゆく)足跡はなし朝の雪
しかしながら、下駄をおいて裸足で帰ったのか、どうやって足跡も残さずに戻って行ったのか、問い質してやらねば、と土方は白い息を吐きながら思った。
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