第十五・六話 〜嘆きのカルヴァドスあとがき


  『凱旋門』という映画があります。第二次世界大戦前夜のパリを舞台にした戦争恋愛映画。私は、見た事なくて、昔読んでいた映画雑誌(超マイナー)にコラムが書かれていたのが、印象に残ったので。
 ドイツからの亡命医師とイングリッド・バーグマン扮する薄幸の女が恋に落ちるという話です。男と女は、バーでノルマンディーのリンゴから作るカルヴァドスをよく飲んでいたのです。
 という前置きは、おそらく本編には一切関係無いですね。
 私はブランデーそのものも好きですが、カルヴァドスも好きなので、単にタイトルに入れてみたかっただけです。

 ところで、話を作るときの手法として、やはりはじめに「絵ありき」なのです。
 映像的にオッケエなら、自分でGOサインを出す。したがって、この『D・F!』はヒジョーにコミックな構造になってます。なので、ガンアクションのシーンはコマ割りのごとくなってます。
 台詞が短め(「あ」とか「ええ」とかが多い)で、比較的多いのも、コミック調だからなんですよ。擬音も。
 ナレーターぽい文章は削って、とにかく誰か(見てる側でもいい)の視点を入れるようにするというのも、コミックにはナレーションないですからね。あっても、それは歴史物が大半で。
 視点はページ(コマ)で移るというのは、人物配置の立体的な奥行きを考えますね。
 作者と読者から見て、手前(飽く迄現在の話の主体となってる人物は前として)の人物から物を言う。あるいは、逆行もアリ。
 例えば、「ジンとフラミンゴの試合の場面」では、カウントごとに、視点が移るように。最初に登場する時には、フラミンゴが逆光で現れて、彼の視点からジンを見る→ジンの視点から周囲を見る→フラミンゴのせりふでミスティに移る。という感じで。
 フラミンゴ登場の場面は、最初も酒場のシーンも気を遣ってますね。ネッロの話が場面の頭から流れて、それに重なるようにしてうまく入り込めたか。
 もはや「右脳」でしか動いてないという感じもありますが。
 映画撮ってんじゃねえよ、と笑われても仕方ない(爆)。
 しかし、フツウの描写手法を使うと、コミック調でなくなってしまう。コミックのアクションシーンは、スピードが命だ、というわけで。
 世に言う「悪文」の代表ですね。
 勿論お堅い文章は殆ど文語のごとく書きます。ですが、小説ではやりません。敢えて無茶苦茶にしているところもあれば、もともと無茶苦茶なところもありますが。

 章タイトルの最後「悔いなき美女」。
 これはSTINGの曲からとっています。フランス語で書かれた歌詞ですが、サビのところに「哀惜の情を知らぬ美女よ」とあります。内容はオトナの男女の駆け引きの世界ですが、穿った見方をすると、「女は強い」ということになるのではないかと思い、拝借しました。
 ルビィとミスティの双方に掛けてみました。
 
 墓に酒をかけるという逸話は、最初はまるで考えてなかったのですが、期せずしてそういう流れになってしまいました。
 結局、エンリケはジャバー・ウォックだったんでしょうかね。
 お分かりの方は、ネッロはフランコ・ネロか?(西部劇好きの方はお分かりかと)と。
 …別人です。棺桶も引き摺ってません。偶然の他人ですね(笑)。

BGM『La Belle Dame Sans Regrets』STING


本編へ戻る
TOPへ戻る