(一)

 庭先の露草に名残の雨粒が滴っていた。ほんの一時ではあるが、涼気が漂い、京の尋常でない暑さに一服を与えてくれる。だが、梅雨終盤の今頃は、直ぐにも噎せ返るような湿気を呼ぶ。
 軒先で一人、居合稽古を始めた斎藤一に、為三郎が声を掛けた。
「なあ斎藤。てるてる坊主作ってえな」
 斎藤が振り返ると、縁側に為三郎少年が立っていた。悪戯じみた笑みを浮かべて、使い古した晒布(さらし)と凧糸を斎藤の目の前に突き出す。
 もう止んでいるだろうに、と斎藤は顎で空を指し、摂州住池田鬼神丸国重を鞘に収めた。
「あかんあかん。はよう梅雨があけてくれんと。もうすぐ祗園祭や」
 為三郎は膨れっ面をした。
 言われてみれば、祇園会が近付いていた。数日前から、市中を見廻ると、町家のそこかしこから鉦や笛の音が聞こえてくる。斎藤にとっては二度目の京の夏だった。とはいうものの、祇園会そのものを見た事が無い。そんな事はどうだってよかったのである。
 しかし、為三郎は無茶を言う。天気など、そんな神仏頼みみたいのでどうにかなるわけが無いだろう、と斎藤は溜め息を吐いた。
「他に誰かいないのか?」
「何か奥の間閉め切って話し合うとる。暇そうなんあんただけや」
 斎藤は、ふんと鼻を鳴らして縁側に腰を下ろした。てるてる坊主なぞ、以前に一体いつ作ったかとんと思い出せない。それ程の昔ではないが、京に来てから江戸で暮らしていた頃の事は殆ど思い出す機会が無かった。大体、為三郎くらいの年頃は、既に道場通いをしていたように思う。近所の子供らと率先して遊んだ記憶がない。
 おかしなものだ、この年になって為三郎のような子供を相手にしているとは。
 斎藤が所属する会津藩御預り新選組が屯所に借りている八木家の跡取りだから、ということもある。しかし、村の住人が「壬生狼(みぶろ)」と憚りなく言って恐れている斎藤たちに、素のまま接してくる為三郎は、かなり胆の据わった子供なのだろう。
「ちゃうなあ、あんた何やその下手くそなん。頭でこぼこやないか」
 為三郎が、凧糸を取り上げた。斎藤が作ったてるてる坊主は、頭が尖り気味だ。
「もうええよ、おれがやる。ほんまに刀振り回すしか能があらへんなあ」
 為三郎は、別の晒布を裂いて丸め始めた。
 生垣の向こうを花売りの少女が通る。すると、為三郎は「あっ」と叫んでてるてる坊主を放り出し、駆け出して行った。勝手口から半身を出し、為三郎は少女を呼び止める。
「おせいちゃん」
 おせいと呼ばれた少女は、にっこりと笑った。額にうっすらと汗を掻いている。丸く愛らしい面立ちから八重歯が覗いた。
 斎藤が見ると、為三郎は少女から花を買っているところだった。柄でもない、と凝視していると、おせいの後ろからついて来た背の高い女が斎藤を見て会釈した。細面のいかにも上方風な顔の造りの若い女だった。所作につつましい艶があるが、気取った風ではなく何処と無く愛嬌もあった。
「何をにやにやしていやがる」
 と、斎藤は撫子の薄桃色した花を手に満面の笑みで戻ってくる為三郎に言った。
「ああいう年増が好みか?」
 為三郎はぷっ、と頬を膨らませた。
「年増?何言うてんねん。おせいちゃんはまだ十二やで」
 そう言われるが、やはり為三郎より三つほど年上ではないか、と斎藤は思う。すると、背後から沖田総司が現れた。
「何だよ為三郎。お里世(りせ)さんが通ったのなら早く言えよ」
 早口で言い、為三郎の持っている撫子をぶん取る。お里世とは、おせいの後を歩いていた女の事か、と斎藤は覚った。沖田は雪駄を突っ掛けて走り出さんばかりだった。
「沖田さんもああいう年増が好みか」
「お里世さんは、まだ二十四のはずだ」
 それでもやはり沖田よりは年上じゃないか、と斎藤は思う。
 しかも、何時ぞやは前の筆頭局長だった芹沢鴨の情婦、お梅に気を取られていたではないか。
 どいつもこいつも色気づきやがって、と斎藤は縁側に捨て置かれていた小さなてるてる坊主を掻き集め、乱暴に一括りにすると、軒に吊るした。
 
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