(五)
雨が漸く上がった。
空に暁の微光が漂い始めた時刻、八木邸をひそかに出発した二十数名の新選組隊士が、桝屋を取り囲んだ。二手に分かれ、表口と裏口から同時に戸を打ち破り、踏込んだのだった。
宮部やその配下が潜んでいるやも知れぬ、と相当の戦を覚悟していた沖田は、踏込むなり舌打ちした。
桝屋は蛻の殻だった。
「しまった、もう逃げやがったのか。まさか私達が来るのを判ってたんじゃああるまいね」
そうというわけではなく、表戸を打ち破った時点で店の主な者は下男女中に至るまで、一斉に出て行ったのだ。京の店や宿にはそういう仕掛けのあるところが多い。差し詰め桝屋は鴨川に近いゆえ、恐らく地下路を通って河原まで逃げたのだろう。
沖田たちが押入れから天井裏、床下まで隈なく探しているうち、やがて台所の奥から微かに白煙が上がっているのが見えた。物置と思われた戸の内側からであった。中から枢を落としていると見えたので、大力の島田に木槌で叩き壊させると、果たして蔵があった。
煙の中から、ゆっくりと寝間着姿の大柄な男が出てきた。
「お前、ここの主人だな」
永倉新八が詰め寄る。すると、男は動じずあっさりと認めた。
「左様にございます」
桝屋喜右衛門だった。
「いったい何をしているのだ?」
蔵には煙の臭いが立ち込めていた。隊士達が直ちに火を消すと、焼け焦げた密書の類が其処にあった。
家捜しの結果、蔵の奥からは行李に入った武器弾薬と志士達の記した書信などが、あまた発見された。喜右衛門は、有無を言わせず屯所まで連行された。
詮議の時、喜右衛門は自らの名しか明かさなかった。
本名は古高俊太郎である、ということ以外決して喋らなかった。だが、古高といえば近江は粟田郡物部村の郷士の息子。のちに山城・山科毘沙門堂門跡の家臣として仕えていた押しも押されぬ尊攘派である。そのような男が黙って炭屋の主人におさまっている筈が無い。それに、多くの武器弾薬が見付かっている。これが証拠で、一体何の策謀も無いということは有り得ない。
土方は、八木家の真向かいにある前川邸の土蔵に古高を吊るし、拷問にかけることに決めた。
はじめは平隊士達に竹刀で乱れ打ちさせていたが、背中の皮が捲れ、血が滴ろうがいっかな口を割らず、責めに耐え抜いている古高を見て、土方は業を煮やした。
荷物の上げ下ろし用に使われている滑車に、古高の両足首を縛った荒縄を通し、逆さ吊りにする。そして、再び隊士達に一階と二階から打たせた。
ところが、やはり古高は黙っている。光も殆ど差さない、絶叫も聞こえない土蔵であるのに、喚き声すら殆ど漏らさない徹底ぶりだった。
成る程、桝屋の隠し蔵から出て来た時の落ち着きぶりは、絶対に口を割らないという自身の表れだったである。そして、沈黙が固ければ固いほど、隠匿している策謀は大事であるに違いなかった。
仕方なく、最も残忍な方法を用いることにして、それは土方自ら下すしかない、と思った。
「おい。五寸釘と百目蝋燭を持って来い」
土蔵から顔を出した土方に言われ、島田は八木邸まで飛んだ。その姿を見掛けた沖田が、斎藤に訊いた。
「あんな物でどうやって吐かせるのかな」
斎藤は、血がこびり付いた刀の中子
(なかご)を拭いながら、声も無く笑った。
「知ってんのなら教えて下さいよ」
「さあ」
と、斎藤は素知らぬ顔で答えるだけだった。
両足の甲から足裏に向けて五寸釘を打ち、抜けた部分に百目蝋燭を立てる。火を点ければ自然に流れ出す蝋が足裏の傷を焼き、脛から膝へと流れて行く。二重の責め苦だ。斎藤は、噂に聞きしこの拷問をまさか実行する人間がいたとは、と思った。
しかし、それ程に急を要する取調べだったのである。
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