(十二) 盆踊りの一夜
伊織が呼ばれた旅宿は、上大川前六の大きな宿だった。
此処は、同盟列藩が甲鉄ストーン・ウォール購入の話し合いをした時、松平兵庫が宿泊していたとあって、それなりの格式があった。
松長は、座敷に入ってきた伊織を上座に導くと、力なく笑った。
「先日は忝うございました。お蔭様で、こうしてまだ首が繋がっております」
「例の荷駄は、江戸へ届けたのですか?」
先ず、伊織が確かめたかったのはその事だった。松長らを街道で見かけてから、ひと月と十日ばかり経っている。とんぼ返りしたとしても、陸路江戸から戻るのには些か早いように思えた。
「あれから米沢回りで、仙台へ出ました。新潟港引渡しの書類を、米沢藩まで届けねばならなかったので」
松長らは、それから後発の田中組と合流して南下、磐城平へ入ったが、折から始まった東西両軍の戦闘に鉢合わせしてしまい、松長と田中は再び別れた。
今度は、田中一人のみ仙台へ戻り、桂島から外国船に乗り込むこととなった。
「公金は全て、田中どのに委任しました。我々が持ち歩くのは、危険にございましたゆえ」
「しかし、何故新潟に戻られたのですか」
伊織は不服そうに言った。
「江戸行きの外国船が出入りするのは、越地では新潟港のみにて」
「ならば、田中どのと共に仙台へ参られればよいものを」
松長は、黙ってしまった。
自ら火中に飛び込んで来たとしか、伊織には思えなかった。
否、誰しもそう感じるだろう。
磐城平城が戦闘に入り、陸路南下する手段は断たれた。となると、海路帰途を辿るしかない。だが、敢えて田中のみが公金を携えて江戸へ戻り、松長らがわざわざ新潟まで引き返してくるというのは、何か他に目的があるのではないか。
そう解釈されても仕方がない状況である。
「既に貴殿らの存在は、列藩代表のお歴々にあまねく知れ渡っておる。先日はともかく、戦況が戦況ゆえ、彼等も殺気立っておるようですぞ。東北諸藩が徳川宗家の冤をそそぎ、君側の奸を払おうとしているのに、幕臣たる貴殿らが素知らぬ顔とは何事か、と言われましょうな」
伊織は松長の生真面目な顔を見た。
「御尤もです」
「いや、これはそれがしとて同様。針地獄の居心地です」
すると、松長は長嘆息を洩らした。
「それも幕命なればこそ。先立って田中どのが白石奉行を帰還させた折、奉行勤向心得として、東西いずれの軍にも与するを禁ずると」
伊織も同様の事は、村垣から言い含められていた。徳川慶喜恭順の為である。
村垣ら根っからの直参にとっては、古屋や大鳥のようなぽっと出の幕臣など、切り捨ててもいいということか。何れに付くかと問われれば、幕府の汚辱を雪ぐと主張する側であろう。しかし、それは固く禁じられている。
「東軍とて、冤罪を晴らさんと大義を掲げておりますが、その実私怨がないとも限りますまい。戦乱に乗じて、東国政府を擁立せんとするならば、この外威に脅かされておる時分に国力を削ぐことは間違いないでしょう。されば、清国の様に我が国も列強に支配されんとも」
松長は言った。
それは理屈である。大概の幕臣が同じ事を言うだろう。腹の奥に沸々と滾るものを抱えつつ。
「お気持ちは、お察しいたす」
伊織はそれだけ答えた。
「江戸に御内儀やお子を残しておられますな」
「はい」
「早うお戻りになるといい。此処の静けさも、そう長くはありますまい。佐渡の付近を西軍の軍艦が航行しているとも聞く。何れ上陸を狙っている」
「別所様も」
松長は俯きながら言った。伊織は苦笑した。
「私の心配は御無用。戦の決着を見届けるまでは、あの忌々しい爺どもの巣窟には足を踏み入れるつもりは、ござらん」
「爺とは」
伊織が宿に呼ばれてから、初めて松長が笑った。
「――あの、失礼ながらお訊ね致しますが」
「あ、私が男か女かということだろう?為りは男子。しかし中身はどうじゃろうのう」
伊織はにんまりと笑った。
七月十六日夜。松長らが新潟滞在となって三日目。
この晩、新潟の町は盆踊りで賑わった。晩といわず朝から脱奔小路などと呼ばれる界隈からは、三味の音が流れ、女達の唄声が響いた。
「商売どころじゃありゃせんよ」
又市は呆れたようにぼやいた。薬を売るどころではない。家々の間を小路を橋の上を、人々の列は途切れることなく踊り続ける。
「褌一つの色子かと思や、ありゃ女ですぜ」
白褌に前掛けのあてんこだけの女や、緋縮緬の腰までの半纏、義経袴に韮山笠、とめいめい好きな格好で男装した女が踊っている。そういう又市も、珍妙な白塗りで女装している。
「伊織様はそのまんまで踊れましょうや」
「莫迦を言うな」
伊織は、又市を睨んだ。武士が町民の真似事など出来るか。祭礼を見物はしても、参加すべきものではない。もっと厳しい時代には見物さえも見っとも無いと叱責を受けたものだ。
「それよりも、この隙にこそやらねばならない事がある」
伊織は踊りの行列とは逆向きに早足で歩き出した。又市も、名残惜しそうにしつつ、後を追った。
この日、勝楽寺で大宴会が行われていた。
会議所詰め同盟列藩の重臣達が、スネルに招待されてのである。総額十万六千両を下らないという大口契約がまとまり、そのお礼をかねてという宴だった。米沢藩の色部長門他二名、仙台、会津、庄内各藩の重役、藩士らが招待客の面々である。
色部らは早々に会議所を出て行く。
「会議所を探るとすれば、この日しかない」
と、伊織は考えた。
静まり返った会議所の番所には、番士が二人居たが、彼らを黙らせるのは又市にしてみれば朝飯前だった。
あてんこ一つになり、番士の肩をちょいと叩いて誘い出す。そこへ、当身を食らわせて眠らせておけばよい。
その為の些か不細工な女装だった。
「騙されるほうも、相当女子を見る目がない」
伊織は失笑を禁じえなかった。
奉行所の構えそのままの会議所に入ると、山手の蔵へ向かった。錠前が下ろされているが、それも又市が難なく開けてしまう。
一の蔵には何もない。がらんどうであった。
空の千両箱すらないところを見ると、松長や田中らは奉行所を明渡す前に処分してしまったのだろう。
箱があると空数から公金を推測されかねない。
二の蔵、三の蔵は米俵が詰まっており、武器庫として四の蔵が使われているらしかった。
前装ミニエー銃、ゲベール銃の予備に銃弾、弾丸、雷管等がぎっしりとひしめいていた。
慢性的に弾薬、武器不足に陥っていた米沢藩が、スネルから買い求めた物資と考えられた。
「いずれにしても、長居は無用」
伊織は言った。手燭を持って長い事探るには、危険が大き過ぎた。
蔵を出ようとした時、又市は立ち竦んだ。伊織は番士が目覚めたのかと思った。
が、
「松長どの」
手燭をかざしたその先に、松長長三郎のむっつり押し黙った顔があった。
「お探しの物は見付かりましたか?」
伊織は口を噤んだまま、大きく息を吸い込んだ。咄嗟によい知恵が浮かばなかった。
「まさか別所様こそ、公金狙いで新潟まで来られたとは、お見受け致しませんが」
悪いが金は充分持っている。御簾中様御用人は実入りの多い職務だ、と言いたいところだが、伊織は黙っていた。
「お探しの物というのは――定信公の飛弾ではございませぬか?」
松長は言った。
図星である。伊織は頷いた。
「村垣淡路守様の御下命でしょうか?」
「いや、そうではない」
知りたかったのは、古屋佐久左衛門が武器に目を付けたかどうかだ。松長の口調からすると、白河楽翁の最終兵器は此処にあるのらしい。
「武器を置いていかれたのは、桑名中将様とその御臣下の方々であろう。その意図が知りたい」
伊織は含むところなく、言った。
「私は、中将様が江戸で恭順御謹慎なされた時の幕府側のお目付、といえば聞こえはよろしいが、詰まる所監視役を仰せ付かっておった。その任は、まだ解かれておらぬらしい。然れども、中将様が御在所を離れ、津川へ行かれたとなっては、未だ西軍に屈せざるの御意志あり、と見申した。今更、目付の何のと申すまいが、行く先を見届けたいのだ」
そうして、一息入れてから又市を見遣った。
「この男も同じ穴の貉。尾張御土居衆の一員にて、大納言様より御弟君の御消息を追っておる」
成る程、と松長は頷いた。
「御胸襟を開いて下さり、有り難うございました。しかし、楽翁公の飛弾は此処にはございません」
外は鉦や太鼓の音が鳴り響き、いよいよ祭りは佳境に入っていた。
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