(十四) 新潟港陥つ

 新潟港は陥落した。
 七月二十九日である。
 恐ろしいほど空は晴れ渡っていた。奉行所方面は、辛うじて同盟軍が死守していたが、対岸の砲兵隊が主力部隊とともに上陸し始めると、他の同盟軍を分れて白山神社の方面へ向かった。関屋村を目指して行く。
 奉行所を去り際、伊織は色部に告げた。
「内野へ抜ければなんとかなろう。決して自害などなさらぬよう」
 色部は答えなかった。
 二十八日、松長長三郎は、法音寺ではなく既に空家となっていた村松藩陣屋で割腹し、果てていた。遺骸の脇に、遺書がしたためられていた。部下に宛ててある。
「東照神君御拝領の大刀を江戸の拙宅へお届け頂きたい。尚、懐金として所持していた金二十五両は、我が埋葬代として些少なれど法音寺に治めて貰いたい。脱走は何分致しかね候間、割腹仕り候。病死のことと御取り計らい下さるべく候」
 駆け付けた部下二名は、わっとその場にひれ伏した。
「御立派な御最期でございますぞ」
 泣きながら松長の髻を切る二人の部下の所作を脇に、伊織は流石に松長の死顔を直視出来なかった。
 陣屋を出ると、又市がそこに立っていた。
「如何なされます、伊織様」
 又市はそう訊いてから、少し唖然となった。伊織の顔色は赤らんでいた。底抜けに明るい空とは裏腹に、今にも泣き崩れそうだった。
 浜松屋で初めて顔を合わせた時の、ふてぶてしい表情はなく、妙齢の女子そのものに見えた。
 だが、「泣いておられますのか」などと声を掛けようものなら、たちどころに張り倒されるだろう。 
 松長に深い誼があったわけでもなかろうに、これは恐らく幕臣とした同じ立場からの嘆きなのか。
「それとも、仇し男の境遇を重ね思うておられるのか」
 又市は途方に暮れつつも陣屋を出て行く伊織の後を、とぼとぼとついて行った。
 市街は、既に西軍に寝返った新発田兵らに包囲されつつあった。
「又市」
 しょぼくれていた伊織の肩が、やにわに振り返った。
「私は今迄迷うていた」
「はあ」
「私の御役目は、上様の間諜。しかし、その前に直参である。御家に一大事あらば我が身を盾とし、徳川宗家の恩顧に報いねばならぬ。それが直参の勤めと、御役目を継いだ時に叩き込まれたのじゃ」
 又市は返す言葉もなく聞いていた。
「間諜など卑しき者の生業。伊賀者の類と他のお歴々や大身には陰口をきかれながら、我等が御庭番としての誇りを保てたのは、八代様の格別のお引き立てあったればこそ。そのうえ、私は昭徳院様に格別に重宝頂いた。その御恩を懐中に励んできた我々が、薩長ばらに一矢報いんで如何いたそうか」
「……ま、まさか東軍につかれるので?」
 又市は恐る恐る訊き返した。
「焦るな痴れ者。そうではない」
 伊織は馬の手綱を引いた。
「洲崎番所へ行く」
 その双眸が、ついて来いと命じていた。
 洲崎番所は、一番砲台のある仁太郎小屋の南に位置する。街の中心からは、砲台の並ぶ海側へ迂回して出たほうが安全だった。その前に、又市は奉行所に寄り、新品の銃器を担いできた。
 恐らくは、スネルが脱出前にやむを得ず残し置いていったものだろう。
「伊織様、銃を扱ったことは?」
「ない」
「では、万が一の時の為に、御教授させて頂きましょう」
「おぬしが飛び道具に詳しいとはな」
「三ケ日又市、またの名を火打の又市を申しますゆえ」
 又市は、にやりと白い歯を剥いた。成る程、と伊織は頷いた。銃身を握る又市の不敵な表情が頼もしげに見えたのも、この瞬間が初めてだった。
「西軍が使うておるのは、主にエンフィールド銃と申しまして、あれは英国製でございますが、スネルらが新たに持ち込んだこれは、シャーフス銃ですな」
 エンフィールド銃が弾丸を前装するのに対して、米国製のシャーフス銃は後装式である。
 先ごめ銃は雨天においては発火し難く、発射速度が小さい。しかも、弾を装填する際に射手の姿勢が大きく開いて目標となりやすいのだ。銃筒に着剣しての射撃に関しても、困難だ。
 但し、射程距離は長い。
「信濃川を挟んで、米沢軍が撃たれまくったのも、この銃だからです」
 しかし、これから戦場を抜けるとなると、平地ではなく山地になる。接近して撃つには、シャーフス銃のほうが有利と又市は見た。
 シャーフス銃を構える伊織に、後ごめの方法を教えつつ、又市は訝った。
「ところで、洲崎番所になど行って何をなさるおつもりか?」
「わからいでか」
 伊織は笑った。同盟軍らの逃走経路とは全くの正反対であり、西軍軍艦の待ち受ける沖からも丸見えの場所ではないか。
「軍艦があるというのが、目の付け所よ」
「まさか。松長どのの仰ったあれをお使いなさるのか」
 又市は呆れた。伊織は襷掛けの腕を銃に添えていた。白い二の腕が眩しいほどで、筋肉質であることを除けば、新潟女に引けを取らぬ艶冶を放っていた。
「ふふ。何の為に火打の又市をこれまで大事にしてやったか。私がその気を出せば、おぬしなどとうに浜松屋の天井板越しに突き殺しておったわ」
「うっ」
 それを言われると、又市は黙るしかなかった。偶然とはいえ、気高い女性のあてくじりを目にして殺されたなど、尾張御土居衆として末代までの恥である。
 否、あれは又市が忍んでくるのを知っていて、見せ付けたのだろう。腹立たしいが、女の強かさには何度生まれ変わっても、敵わないと見えた。
 又市は、伊織を騎馬のまま後に、自分が先に立って洲崎番所へ向かった。
 途中、海岸丘陵へと出る間際、道でばったりと兵に鉢合わせした。
 ふと、判断に混乱が生じた。逃げる東軍兵か、それとも西軍兵か。
「月か」
 相手の男が問い掛けた。合言葉を訊いているのだ。
 咄嗟に「すっぽん」と、又市は答え、銃を構えた。
 それよりも早く、又市の後方から銃声が轟いた。撃ったのは伊織である。西軍兵も発砲しかけた。お互いに、躊躇の為か命中することはなかった。
 又市は傍らの藪の中へ飛び込んだ。伊織もその後を騎馬で追う。
 飛び込んでから、しまったと又市は後悔した。その下は谷になっていた。
 黒馬を駆って、又市の首を掴もうとした伊織もさすがに御し切れず、谷底へ突っ込むことになってしまった。
 埃塗れになって立ち上がってみると、幸いにして単体を追ったところで無意味と見たか、追撃はなかった。
「翠丸」
 伊織は四肢を踏ん張ろうとする黒馬にすがっていた。が、馬は前足を骨折し、しかも脇腹に銃創を負っていた。最早、見捨てる他ない。
 余人の手に掛かるよりは、と伊織は清麿を抜くや、愛馬の腹に突き立てた。
「昭徳院様御拝領の御馬を、申し訳ございませぬ」
 愛馬の死骸に蹲踞の姿勢を取り、敬礼を傾ける伊織に、又市も見習って拝礼した。
「これでよい。騎馬は軍艦の格好の的になる」
 伊織は、砂混じりの丘陵を歩き出した。
 又市には、その背中が泣いているように思えた。
 何故か、暫し忘れかけていた名古屋城下の出来事、刀腰婦の奈彌の横顔を思い出した。
 洲崎番所は、無人であった。
 新潟港へと入港した船に乗っていた人間、積荷は一旦此処で必ず差し止められるのである。
「此処にプロシア船で到着した中将様が、お入りになられた筈」
 伊織は、誰もいない待合の座敷を見渡した。感慨に浸る間もなく、足袋を脱ぎ捨てて畳の縁に金尺を差込み、引っ繰り返す。又市も手伝った。
「殆ど盗っ人ですな」
 と笑う又市に、伊織は床板を剥がしながら、面白くもないという風に鼻を鳴らした。
 一刻近く掛かって都合二十畳の広間の畳と板をひっぺがした時、薄く土を被せた筵の下から、それは現れた。
「これぞ、白河楽翁の遺された飛弾」
 すっかり汗みどろになった伊織が、筵を剥がしつつ、呟いた。
 又市は息を呑んだ。
 桑名藩が隠匿していた百年前の最新兵器である。
 伊織と又市が奉行所で探したこの兵器は、実のところ洲崎番所に留置されていたのだった。
 無論、この事を伊織に語ったのは松長長三郎だった。
「桑藩は、藩主越中守様が恭順を示され、柏崎へ向かわれるという時、築地の下屋敷を鴻池にお売りになったそうです。その時、下屋敷の財産を処分するという段に、楽翁公の遺品としてこの兵器が見付かったのだと、服部様が仰っておられました」
 桑名藩軍事奉行にして、家老の服部半蔵正義が、松長に告げたのだ。
 鴻池とて商人であるが、たとい百年前の物といっても兵器ごと受け取るわけにはいくまい。
 まして、このご時世そんな物を譲られても、却って痛くもない腹を薩長から探られないとも限らない。
 というので、結局プロシア船に一緒に載せ、新潟まで持ち出した。
 「困った積荷」を受け渡されて更に困ったのは、松長や田中の方であった。
 服部が「今は一刻も早う、御前様を柏崎へお連れ差し上げねばならず、重大な兵器は後回しに置いて、後日搬送いたす」と言い出したのだ。
「奉行所としては、斯様な物を置かれては、もし鎮撫使が来られた際には言い訳の仕様もございません」
 強気な田中は、頑として突き返そうとした。事実はどうあれ、名目上は幕府直領だった新潟は、既に朝廷の物であるので、確かにそれは拙い。
 そうした押し問答が、三日程繰り返されたが、結局折れたのは奉行所側であった。そこで、鎮撫使を迎えたとしても、番所を視察するわけではなかろう、と座敷の下に埋めさせたのである。
 松長は、その話をした後で、
「しかし何故、別所様が桑名藩の兵器などお探しで?」
「話せば長うござる。色部の奴は、奉行所に何かあるように言っていたが、実際何のことはない、本当にがらくただけだった」
 伊織が渋面と作って言うと、松長が笑った。その時の顔が思い浮かぶ。
 桑名は結局この飛器を取り戻す暇もなく、会津へ向かった。
「しかし、本当に使えるのだろうか。湿気っておるのではないのか」
 伊織は、大人が一抱えで持っていけるかいけないかという大筒のような兵器を見下ろしつつ、又市に訊いた。
「さて。試してみねば、わかりませんな」
「シャーフス銃の方が幾分ましのような気がせんでもないが」
 と、嘆息する伊織に、
「そこはこの又市めにお任せあれ。あの沖で悠々と大砲を構えているあ奴らの、度肝を抜いてやりましょうぜ」
 又市はにやっとした。

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