(十五) 北の空に花火散る

 灰色の大海に躍る波頭、そして空高く流れる雲。
 砂丘を飛び戯れる海鳥に戦は無縁もものだったが、七月三十日の朝、西軍の占領下となった新潟の街を呼び起こしたのは、数発の砲声に似た爆音だった。
 それは、一つは沖へ向かって飛び、一つは信濃川へ向かって飛び、或いは松ヶ崎へ向かって散って行った。
 武家が使う竪花火(たてはなび)とも狼煙とも付かない。
 街はずれの農家の子供は、
「あんれ、また官軍さァ来た」
 と、頭を抱えて走り回り、焼け出された商家の老人は天を仰いで、
「花火じゃのう」
 と叫んだ。嫁が慌てて「ついに爺さんも惚けんしたか」と、連れ戻しに行くと、確かに空には幾筋もの赤い火花が散って白煙が濛々としていた。
「花火じゃが、一体誰が上げんしたか」
 人々は騒ぎを聞いて家々から顔を出した。だが、この一寸した騒ぎも、制圧した薩軍の睨みによって、直ぐに収まってしまった。
 ところが。
 何より意外な出来事に肝を冷したのは、松ヶ崎を通過しようとしていた新発田藩の一行であった。見事、朝廷への忠義を果たした新発田藩は、藩主・溝口直正自ら、西軍の本陣・柏崎へ赴き、恭順の意を捧げる道中だった。
 突然の轟音で剛の担ぎ手も慄き、地に尻餅をついてしまった。その拍子に危うく幼君が駕籠から転び出すところを、家老・溝口半兵衛が抱き止めた。
「御前様、御無事で」
「それよりも、何の騒ぎじゃ。まだ、逃亡軍が徘徊しておるのでは」
 幼君・直正も流石に驚きを隠せない。
「いえ、斥候には同盟軍の完全撤退を確認させておりますゆえ。――ええい、あの音は何じゃ?」
 半兵衛は使番に怒鳴った。
 すると、直正が西の空を指して立ち上がった。
「赤い筋雲のような。それに、ちかちかと光っている。花火のようじゃな」
「花火ですと」
 成る程、明るい空で見る花火とは、そういう物なのかもしれないと思わせる赤い光がぴかぴかと散った。
「そうか。あれは官軍が勝利を告げる花火であろう」
 と、直正は顔を輝かせて言った。
「よいよい。驚かずともよい。我等を歓迎しておるのだ」
 再び列は動き出した。藩主は寛解したが、半兵衛には今一つ納得が行かなかった。
「あの方角は新潟だが、花火を上げるなら何故昨夜でなかったのだ。その上、何処かしこお構いなしに何やら赤い火が飛んでいる気がする」
 訝し気に思いつつ、半兵衛は駕籠に戻った。やがて、信濃川を越えるという手前、渡しに乗らねばならず、駕籠を降りた。藩主を乗せ、小姓らを乗せた次の舟に乗り込もうとして、半兵衛はふと渡し場から中州のほうを見遣った。
「あッ、あの女」
 袴姿の女が腕組みをして立っているのが見えた。仁太郎小屋が背後に見える。
 数町離れているが、それでも女があの奈彌と名乗った刀腰婦であることは瞭然としていた。
 一寸、他人を嗾けるような表情も見えるようである。
「然様か」
 半兵衛は、つと感じた。先程の花火を打ち上げたのは、この女ではなかろうか。
 間違いあるまい。半兵衛は棹を繰り出した船頭に向かって、叫んだ。
「中洲へ寄れ、中洲へ」
 船頭は首を横に振る。
「御無体な。無理でごぜえます。満潮ですで、流れが速うて」
「おのれ、貸せ」
 半兵衛は棹を引っ手繰って漕ぎ出したが、到底川の流れに逆らえる筈もなかった。
 仕方なく諦めた半兵衛を嘲るように、女は深々と一礼して中洲から小屋の方へ裸足で渡って行った。

 仁太郎小屋で奈彌こと伊織を待っていたのは、三ケ日又市であった。
 彼は焚き火をしていた。
「如何です、溝口半兵衛の面は」
「夜叉の如き形相で此方を睨んでおったが」
 ふん、と笑いながら伊織は素足を火にかざした。初秋とはいえ、早朝の水は冷たい。
「沖への一発は松長の分、松ヶ崎への一発は色部の分」
 色部長門の死を聞いたのは、洲崎番所から飛弾を大八車に積載して、この仁太郎小屋へ向かう途中だった。夜陰に紛れて砂丘沿いの道を進んだ時、領民から、
「西軍が米沢の総督さの御首を捜しとるいう話です」
 と、聞かされた。
 目撃した農民談では、関屋村へ辿り着いた色部らは、先に最上流を渡河した西軍兵とばったり鉢合わせしてしまった。雨あられの如く撃ち合いとなり、俄然少数の米沢兵は不利の追い詰められる。
 諦観をなしたか、一人でも多く敵兵を倒そうと思ったか、そこでひときわ立派な体格と面差しの男が抜刀して西軍陣に突っ込んだ。
 それが、色部長門であったという。
 色部は銃撃を受けて倒れ、部下に運び込まれた茄子畑で切腹し果てた。介錯はしたものの、追い縋る敵を阻止しながら重い首を持ち運ぶのは困難であった。
 部下はやむを得ず、たぶさだけ切り取って首を何処かへ投げ込み、逃走したという。
「やはり、色部は死ぬ気だったのだ」
 伊織は、せめて首なりと拾い戻してやりたいと思ったが、西軍に占領された市街地を通るのは虎穴に入るより危険と見えた。
 新発田藩の裏切りがなくとも、いずれ新潟は陥落していたのかもしれない。
 色部は新潟が戦場にならずとも、この戦に命を懸けるつもりでいたのかもしれない。
 だが、新潟が西軍の手に落ちなければ、松長も死なずに済んだのかもしれない。
 恐らく松長は、新潟奉行勤向として、直参として、薩長の手に捕らわれることを恥じたのだろう。
 或いは、幕臣として朝廷を嵩にきた薩長軍に歯向かう事の出来ない己と同盟軍との板ばさみとなって、苦しんでいたのか。
「それは私も同じ」
 伊織は繰り返し、胸中で呟いた。
 畢竟、飛弾を使って意趣返しすることくらいしか出来なかったが。
「火打の又市でも、百年前の武器は思う様飛ばなんだな」
 伊織は又市を見て、苦笑した。又市も伊織と同様、着物の前は煤だらけ、頬も腕も真っ黒に汚れて、火薬の臭いが染み付いていた。
「はあ。構造上問題があったようですしな。桑名藩はこんな物、さっさと棄てておけばよかったのですよ」
 飛弾の残骸を蹴飛ばしながら、又市は大息を吐いた。
「それでも、あの小憎らしげな半兵衛には、ちとお灸にはなったかな」
「いえいえ。あの男はそんな玉じゃあありませんよ、伊織様。ことは新発田の裏切りのみに非ず、新潟を焼き尽くした。大きに科(とが)ですぞ」
 又市は憤慨した。
「いつか、仕返しの一つくらいしてやらにゃあ」
 伊織は、又市の声を聞きながら目を閉じた。潮騒が遠くに聴こえる。
「ところで、これから伊織様は如何なされます?」
「さて。馬もないし、どうしようか。一先ず浜松屋にでも戻って考えるか」
 やがて戦場は北越から会津、米沢、庄内へと移るだろう。それを見届ける必要があった。
「又市おぬしは?」
「越地は全土西軍に平定されましょう。されば、定斎屋としては、戦地へ赴かねば商売になりませんからなあ」
 又市は村松藩から会津領津川へ向かう。
「津川には桑名藩が駐留しておりますからな」
「成る程」
「伊織様もお行きになられませんか。いえ、琉璃様とお呼びすべきでしょうか」
 伊織ははっと瞠目して、又市の顔を見た。黒い顔の中で、唯一白い歯が光っていた。
「御無礼を承知で、ご就寝の時こっそりと枕辺の文を読ませて頂きました」
 悪びれもせずに言う。
「白梅の――は、よい歌でございますな。おれには歌心がないので、何とも言えませんが」
「歌心がないと言うのなら、よい歌かどうかも解らんくせに、知った風にぬかすな」
 照れ隠しに、伊織は口迅に言った。
 伊織が懐に常に入れている懐紙の下には、油紙に包んだ一通の書状があった。
 それは、松平越中守定敬が伊織こと別所琉璃に宛てた、一条の恋歌がしたためられている。微かに白檀の香を残したその書状のみが、定敬と己を繋ぐもののような気がして、江戸の家から持ち出した。
「とにかく行くわけにはいかぬ。私は幕臣ゆえ」
 伊織は小さくなってゆく焚き火を見詰めながら、又市に答えた。
「ようございました」
 又市は呵呵と笑った。
「奈彌様のお名を騙る女子が、とんでもにゃあ女狐だったら慰み物にしてから殺してやらあも思うとりましたが、伊織様のような御方で、ようございました」
「いつかまた、お互い命があったら会おうぞ」
 伊織は袴を直しながら、立ち上がった。黒鞘の清麿を落とし差す。
「おれはしぶとく生きていますよ。伊織様こそ、御息災で」
 又市は静かに音もなく、葛篭を背負って小屋を出て行った。

 七月二十八日、藩主・溝口直正を奉じて柏崎へと向かった新発田藩家老・溝口半兵衛が自邸へ戻ったのは、八月二十二日の夜も更けゆく頃だった。
 戦況が進展するに従い、越後口総督仁和寺宮が柏崎本営を発したのが八月十一日であり、直正はその先導をつとめた。
 一行が三条まで進んだところで、直正は漸く帰藩を許され、新発田へと戻った。以降、半兵衛が藩主に代わって先導となり、新津、新潟を経て、この二十二日に新発田城へと入った。
 静かであった十万石の城下町は、戦時下の慌しさに揉まれ、日が暮れてもなお賑わしい。
「漸う戻れたわい。やはり、家が落ち着くのう」
 半兵衛は肩を揉み解して貰いながら、独りごちた。
 このひと月余というもの、例の頭痛は収まっていたが、宮の先導という重大任務の為、何かと気遣いが絶えなかった。
「西軍上陸。あれが決め手じゃったわい」
 実のところ、内応よりも先に西軍の軍艦が太夫浜に着船したのである。
 そうなれば、一刻も早く恭順の意を示さねばならなかった。南から攻め上る山県軍と海路の黒田軍の挟撃に遭い、東軍が総崩れとなるのも時間の問題だった。
「新潟が落ちれば、終わったも同然」
 半兵衛はそう踏んでいた。
 西軍上陸の前日、八丁沖奇襲で河井継之助は長岡城を奪回した。
 しかし、それも数日ともたなかった。河井は重傷を負い、只見へ向かったらしいが、生存しているのか否かもわからない。
「ふん、あれほど執拗に出兵を迫りおった米沢の連中め。真っ先に、長岡を見捨てたというではないか。色部長門も口説ばかりだったな」
 半兵衛は、誰もいなくなった寝所で呟いた。
 全ては思惑通りに動いている。今や、仁和寺宮を迎えて、越地本営は柏崎から新発田へと移った。
「これぞ、勤皇の本懐ぞ」
 本当は大笑したいところが、まだ周囲を憚って言うべきではないと思う。
 それにしても寝間に入って横になったはいいが、何とはなしに目が冴えて眠れなかった。
 闇中目を凝らすと、新潟へ渡る舟の中で見た、あの女の姿が思い出された。
 まるで、半兵衛を蔑むかのような冷ややかな視線、はっきりと読み取れる筈のない距離から見える女の半笑いのような面が。
「小義を捨てて大義を守る。同盟の契りなど、米沢の逃げ足の速さを見れば脆きに過ぎる。それに殉じて朝廷に弓引くは、名分に非ず」
 半兵衛は己に固く言い聞かせた。何も疚しく思うことなどない。
 胸に手を当て、繰り返しそう言いながら、半兵衛はいつしか眠りに落ちていった。
 翌日、半兵衛は疲れの残る体躯を起こし、違和感に気付いた。頭痛の膏薬の臭いが部屋中に充満している。
 障子を開けようとして立ち上がり、股ずれがするのを覚えた。慌てて、着物の前を開く。
「なッ、なんだこれは」
 半兵衛の開いた両内腿に、四角い膏薬が貼られていたのだった。
 臭いの元は言うまでもなく、自分の内腿だった。
 そのうえ、白い越中褌の前垂れには墨痕淋漓と、
「二心、卑怯の病に妙薬あり、二股膏薬是れ也」
 と書かれていた。
 半兵衛は、怒りの為に急激な頭痛を発し、その場に昏倒してしまった。
 同日朝未来(あさまだき)、一人の薬売りが新発田城下を出て、五十公野から会津へ向かう街道を去っていた、その姿を見た者は誰もいない。

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