(一)
「なァ、これ見とうみ、斎藤はん」
相生太夫に手招きされて隣の間へ入ってみると、斎藤は思わずあんぐり口を開いた。
八畳の座敷の一隅に散らかされているのは、裸女の艶かしい姿を写した下絵や彩色画取り混ぜて十数枚。
「何だいこりゃ」
呆れる斎藤に、太夫は婉然と笑んで「ように見とうみ、女の顔」と言った。
「みぃなうちですねん」
「そりゃ判るがなァ」
どの絵に描かれている相生太夫も、打掛の前を開いての立ち姿、しどけなく腿を露にして横臥している姿、髪を梳く為に諸肌脱いでいる姿、膝を立てて内股を禿
(かむろ)に洗わせている姿、といずれも婀娜である。
「丸川重幸先生が描かはったんどす」
そう聞いても斎藤には今一つぴんと来なかった。
「島原へは余り来ぃしまへんけどな。ほら、丸眼鏡かけて、へんこそうなうらなりの若い絵の先生」
太夫にそう言われ、斎藤はおぼろげながら思い出してきた。
いつだったか。確か壬生浪士組が新選組の名を会津様から頂戴したばかりの頃だったか。
商家の宴会の輪の中に、何やら似つかわしくない散切り頭の男がいた。鷲鼻の上にちょこんと眼鏡乗せ、眉間に皺を寄せて始終鋭い眼差しで淡々と酒を飲んでいた。
その飲み方が何となく斎藤自身に相通ずるような雰囲気があって、印象に残った。
後で太夫に聞くと、京坂では今売り出し中の絵師だとわかった。
「ふうん。あの男が丸川で、あの仏頂面でこういうあぶな絵を描くのか」
「お顔は関係あらしまへんやろ。案外、やさしげですやろ。この打掛に添えた手の指やら、足の線やら、えろううちを物やさしい女子に描いてくれとう思わしまへんか」
そう訊かれても、斎藤には絵心が無いのでわからない。実際、目の前の相生太夫ことおようと、春画の女の顔を較べても、どういう違いがあるのか。
「で。お前さん、実に先生の前で生き写しをしたのか?」
斎藤が最前から気になっていたのは、そのことだった。
すると、太夫は弾けたように声を立てて笑った。
「まさかですよ。首は挿げ替えどすわ」
「何だ、そうなのか」
「あら。うちが他の男はんの前で裸になったら、妬けますのんか?」
いや、と斎藤は小さく首を振った。気にならないといえば嘘になるが、おようは誰か一人の男にに縛られる女ではない。
斎藤のむっとした表情を見て、おようはまだからこうように笑んでいた。
「丸川先生、いずれうちを生き写しにさして欲しい言うたはりまんのやけど、今はね――」
と、そっと襖を細く開けた間から座敷を見遣る。三味の音が高らかになった。
金屏風の前で舞っているのは、おようよりも若い十九の天神だった。すらりと男並みに背が高い。
「先生は、あの子にぞっこんどすわ。お柳ちゃんや」
生橋
(いくはし)天神という。白粉の下に、健やかでくっきり整った涼しい目鼻立ちを生き生きと耀かせた娘である。
おようが春を盛りの緋木蓮とすれば、お柳は開き始めた百合の花か。
お柳はこの春辺りから、丸川の熱心な口説きに応じて何度か正写しの生手本に出掛けているという。
だとしたら、散らばっているこの絵の首から下は、お柳が手本なのかと斎藤は思った。
「それにしても、天下の島原の太夫や天神がこういう絵の手本になっていいのか?」
鹿爪らしく腕組みをして、斎藤はおようを睨んだ。
「余りええことちゃいますなァ。せやし、お父はんお母はんには内緒ですし」
「そうだろう」
けどね、とおようは斎藤の耳元に紅唇を寄せて言った。
「旦はん方の中には、お気に入りの子の枕絵や、どないしてもなびかへん太夫を首だけ挿げ替えて絵に描いて欲し言うお方がおって、結構売れるらしいんやて」
所謂、大店の旦那筋や京都勤番の侍らがこっそりと注文するらしい。粋な商家にとってみれば、絵の中とはいえ綺羅星の如き芸妓を思うがままの姿に出来る。京番の直参や藩士にしてみれば、斯様に雅な京の女子と歓楽を尽くしたその自慢話の土産として、江戸や国許に絵を持ち帰るのだという。
「内職のようなものか」
「そう言われると身も蓋もあらしまへんわ。大きな声では言われしまへんお楽しみどすからなァ」
「お前さんのも買い手があるのか」
「いいえ。うちを誰やとお思いですのん、斎藤先生」
およう、つまり桔梗屋の売れっ妓相生太夫である。桔梗屋では押しも押されぬ一、二の人気。謡も巧いがきりっと涼やかな佇まい。頭のよさを伺わせる話術の巧みさが、派手ではないが玄人好み。
「確かに絵より生身のお前さんのほうが、素晴らしいがなァ」
「何やの、いやらし」
太夫は斎藤をどつく真似をした。
そうして、襖の奥から目を細めて年下の天神の舞姿をうっとりと眺めた。
「あの子は今がいちばんよろし。あと三月もしたら、ええ旦はんに落籍
(ひか)されますのんや」
お柳の生橋天神としての姿は限られているというので、姿絵の人気も密かに沸騰しているという。
華やかなようでいて、人に言われぬ懊悩を化粧の下に隠した苦界の女がやがて呪縛を解かれる喜びをひたすら押し隠しているように、生橋の表情が歪んで見えた。
「四条木屋町に河内屋いう割木屋はんがおますやろ。そこの若旦はんが、お柳を気に入ってくれてね」
薪炭商を営む河内屋の菊次郎という二十五、六の若主人が生橋の御馴染みで、半年程前から通い始めてのとんとん拍子の話という。
「河内屋というと、割りに大きな身代の店だな。細川屋敷や朽木屋敷に出入りしている」
「皆、玉の輿や言うて羨ましがってますわ。十年もせんうちにそないなええお話があるかて、中にはあからさまにあの子にいけずする子もおますけど」
と、おようは軽く笑んで、
「うちは何も思わしまへんけどね。この商売が性に合うてますよって」
斎藤の胸裏を見透かしたように口迅
(くちど)に言った。
「女子の世界は男はんと違うて表立った政争や権力のしのぎあいはあらへんけど、何しか島原は好きで入った女子ばかりやないし、皆はよ一抜けしたいんやて」
「成る程」
男は己が何者かを知りたい為に争う。女はひっそりと安らいで生きていたい為に闘う。
斎藤には、何れも無縁のものかもしれない。生橋の舞い踊る姿を見詰めるおようの横顔を眺めつつ、ぼんやりとそう思った。
(二)へ