(六) 島原・角屋
その晩は、新選組の総揚げであった。壬生浪士組は、大和屋焼打ちからわずかに五日後に起こった御所での政変ののち、松平容保より「新選組」の名を賜った。その祝宴というのが名目であろうか。五十人からいる隊士が全員、大門を潜った時の壮観さといったら。
角屋の大座敷でさえ手狭なほどに人が集まっていた。逢状を受けた太夫、天神らが到着した時、宴は最盛況であった。おようもこれ程の多勢の宴会に出るのは久々であり、少し気後れするほどである。吉栄天神もいた。
上座に並んだ芹沢、近藤らを囲んで土方、山南らの幹部が座っていた。隊士の席はほぼ無礼講で順不同であった。
喝采を浴びつつ、おようは宴の間に進んだ。
さりげなく座敷を見渡し、斎藤の姿を探す。芹沢ら中心から離れた場所に座っていた。黙って酒を飲んでいる姿は普段と変わりない。おようは三味線を抱えて金屏風の前にどっしりと座る。
得意の遊行柳を張りのある声音で謡いはじめると、男達の視線が向いた。
芸事に関心のある近藤や土方らには聞かせ甲斐がある。そういった意味では、芹沢も熱心といえた。しかし今夜は興が乗らないのであろうか、隣の平山や平間らと頻りに小声で話をしていたかと思うと、唐突に笑い出したり、酔いの回りが速いように見えた。
無理もない。芹沢は、つい先日腹心ともいえる新見錦を失っている。
「勝手二金策ス不可」という局中法度を破った為に詰腹を切らされたといわれるが、真実は如何なものであろう。
あれ以来、斎藤には私的に会っていないし、おようは訊く術を持たなかった。また、訊いたところで如何にせん。押し借りする人員が減ったというので世間的にはよろしかろう、と言われるに過ぎない。
しかしながら、おようは宴席でこの世の春のように笑いさざめき、美酒に舌鼓を打ち、音曲に時を忘れたような顔付きをしているこの男達には恐ろしい夜叉のような裏面が潜んでいる、と思った。
斎藤を見る。一人だけ笑っていない。笑っていない仏頂面の斎藤だけが真実なのではないかと、おようには感じられた。
ふと気付くと、幹部等の大半が忽然と消えていた。夜も更け、九つを過ぎている。
おようは中座して縁側に出た。座敷の熱気から人いきれ。外は雨が降り出していた。
「いややわ。いつまで降るのやろ」
「止むまで降るさ」
鼻に掛かった低い声がした。こんな身も蓋もない言い方をする男は一人しかいない。
「相変わらず、お前さんの遊行柳は達者だねえ」
斎藤は、おどけたように言った。
「あら。毎晩逢状を頂戴でけたら、毎晩聴かせてあげますえ」
おようは振り返る。斎藤は艶な仕草のおようが好もしい。太夫姿のおようは、凄味がある美女だ。
「懐具合が許してくれまい。斬っていくらの歩合制ならば、おれは千石取りやも知れないが」
「物騒をお言いやしな」
篠つく雨を見詰めつつ、おようは笑った。斎藤は、一歩おように近付くと囁くように言った。
「引けたら寺町のほうへ行くが、いいか?」
「朝まで総揚げやて、土方はんが言うたはったんちゃいますのん。その土方はんも、何処へ行ったやらわからんようになってしもてるけど」
すると、斎藤は周囲を一瞥してからおようの肩を掴み、柱の蔭に押し遣った。
「お前さんの姉さんには、もう押し借りの心配は要らない、と伝えてくれ」
その一言で察してくれと言わんばかりの勢いであった。おようは一瞬、戸惑った。だが、不穏なものが徐々に胸の裡を満たしていく。
「芹沢さんら、土方さんらは八木邸で飲み直す。一足先に帰った。永倉は生憎の夜回りで不在。おれもわりない仲のお前さんを口説いて何処へなと消えたってことになってる」
「うちには意味がわかりまへんわ」
「いけずを言うなよ。これはおれ達が手前勝手にやってるのじゃあない。殿の御意向だ」
屯所に戻らせた芹沢らを泥酔させ、土方らが粛清の手を下すのが今晩。ゆえに平隊士には朝帰りも一向構わぬという。永倉が含まれていないのは、何か理由があるのだろうが、斬手に斎藤が漏れている。どういう事なのだろう、とおようは訝った。
それにしても、何も芹沢を殺してしまう必要はあるのか。そういう始末のつけ方をするのが武士なのか。だとすると、会津侯も浪士も変わりはない。
「そういや吉っちゃんの姿も見えへん」
おようははたと俯けていた顔を上げた。
「吉栄と糸里天神は共に八木邸へ行った。死なせはしないように段取ってある」
斎藤の乾いた声が応じた。おようは眦をきっと上げ、斎藤を睨む。
「ようもそないな事が言えますわいな。二人を無事で帰してくれへんかったら、うちはあんたを一生恨みますえ」
ああ、と斎藤はまるで気の抜けた返事をした。おようはそれが更に気に食わなかった。
お前も密偵なら謀事のうとましさは判っているだろう、とでも言いたげな斎藤の口説がいい訳じみているように聞こえた。己のみなら兎も角も、世事に無縁の島原の女を巻き込むなどして欲しくはない。
「ほなら、うちを連れとっておくれやしたらよろしかったのに」
馬鹿を言うなよ、と斎藤は言った。おように背を向ける。雨音が烈しく庭石を穿っていた。少々の声では座敷まで聞こえる筈も無かった。
「おれは端から外されていた。尤も、芹沢さんの行状を逐一殿に報告していたのはこのおれだ。おれが先陣切って、あの人を殺しに行ったようなもんさ」
斎藤の広い背中が、少し縮こまって見えた。
果たして、斎藤の言ったように吉栄と糸里は土砂降りの中、深更に島原へ戻って来た。口も聞かず、只ただ震えている吉栄が何を見たのか、問い質すまでもない。おようは詰難する女将に代わって吉栄を宥め、兎に角よく寝るようにと言った。
翌日、壬生では役人が入れ替わり立ち代わりでちょっとした騒ぎがあり、それが八木邸に長州者と思しき賊が侵入し、芹沢、平山らを殺害して逃げたという事だと判った。
吉栄は、それから病み付いたようにお座敷にも出ず、数日過したが、やがて暇乞いをして桔梗屋を出て行った。おようが女将に問うと、田舎の朽木村に帰ったのだと言った。
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