(七) 夕顔

 籬(まがき)を眺めやりつつ、おようは年の暮の遣る瀬無さを感じた。外からは宴の喧騒が聞こえてくる。
こうやってぼんやりとひと時を過せるのは、斎藤のおかげであるといえよう。座敷に上っても、斎藤一人の時は三味線を弾かせるくらいで、芸の披露の仕様が無い。
 気楽といえば気楽だが、それはそれで島原の芸妓として如何なものかと思う。むしろ、他の客の方がおようの太夫らしさを盛り立ててくれるものがある。
 これならいっそ、万寿寺通の宅でさしつさされつ飲むほうが十貫の衣裳も重い笄も不要でよかろうと思う。しかし、これはこれで桔梗屋に銭を落とすという形で斎藤がおようを気遣っているので、有り難い。
 もう一つ、おようには少しの蟠りがあった。九月に芹沢が死んだ時のことである。
 確かにあれ以来、新選組隊士による横暴は極力減った。
 若い隊士が会津藩御預の御威光を笠に着て剣呑をやっているのは見掛けても、商家に及ぶ実害は殆ど無い。それは、お圭にも安堵をもたらし、新選組の風評にとっても宜しいことであった。
 だが、事件が元で桔梗屋は吉栄という天神を失った。糸里の行方も知れないという。
 島原の芸道は、白拍子の頃から紡いできた千年の尊い道である。
 それが要らぬ血で穢されたような気がしてならない。その事について、斎藤は一切触れようともしないし、またおようも敢えて訊ねることは出来なかったのである。
 かといって、別段お互いが疎遠になるでもない。
 己が傷口をそっと真綿で包み、身を寄せ合って気が向いたら離れ、そういう関係を愉しんでいる。斎藤とて、およう一人が女ではなかろう。
「なあ斎藤はん」
 おようが言い掛けた時、回廊をどすどすと歩く太い足音が近付いてきた。矢庭に襖が押し引かれる。
 逢状も持たぬ、ご同席でもない客人が入り込んで来るのは言語道断、と思いきや、其処には赤ら顔の中年男が立っていた。袴を着けていないが、白繻子の立派な仕立の着物に美々しく剃られた月代。まるでいっかどの殿様のような男振りであった。
「相生太夫と申すはそちか」
 男はいきなり畳の上をのし歩き、おように詰め寄った。一間離れていても酒臭がぷんぷんと漂うのに、間近にくれば尚更である。しかし、おようはつとめて冷静であった。
「斎藤様。此方の御方をご同席に呼ばはりました?」
 いや、と斎藤は盃に手を伸ばしたまま答えた。
「そうどしたら、お引取り願えまっしゃろか。逢状もろうてへんお客様には呼ばれとりまへんし」
 ゆったりと流れるような京言葉で、おようは男を見上げる。廊下の奥からは侍が二人駆け込んできた。何れも身分の卑しからぬ風情。
 「御老公」「殿様」と、双方が呼び掛けると、男は漸く振り返った。だが、引き返すでもなく飽かずおようの顔を見詰めている。
「成る程、気の強げな女子じゃのう」
 と、不躾に言い、斎藤のほうをついでのように睨む。
「そのほう、若いくせに島原遊びとは何処の御家中の者か?」
 揶揄するような問い掛けに、斎藤は手にした盃を男に差し出した。男は盃を受け取り、一気に呷った。斎藤はすかさず答える。
「大猷院(だいゆういん)様にございます」
 すると、男は呷った酒をぶっと噴出した。飛沫が斎藤の顔に掛かる。大猷院といえば、三代将軍家光。家光の第一の家臣であるというならば、異母弟・土津公(保科正之)の会津藩であろう、という判る者には判る謎かけだ。
 男はあっさり理解して、憚り無く笑った。
「ほうほう。京の町を血煙で湿らせるだけが能の新選組とやらではなさそうだのう。お頭(つむ)の切れも悪くない。肥後守殿の目も満更節穴ではないとみえる」
 斎藤が新選組幹部と知っての、わざとの物言いであった。それにしても、かりにも親藩の国主を節穴扱いするとは何たる不遜、と斎藤は些か中っ腹である。
「だが、そのほう。新選組は会津の御抱でも御家来衆でものうて、御預ではないか。それとも」
 男の詰難に、斎藤は言い澱んだ。少なくとも己は容保の命を負うているのだとは言えない。
「まあどうでもよい、太夫を貸せ」
「島原には島原の流儀がございますゆえ、ご斟酌を。ご同席と仰られますなら此方へ」
 斎藤は涼しい顔で言った。それが気に障ったらしく、男は腕組みをして、
「何を言うか。浪士上がりの若僧ごときが」
 と、一喝した。斎藤は茫然とするしかない。
「おれは最前、この女子が逢状を受け取らなんだ理由を知りたいのだ」
 おようは、斎藤を押し退けるようにして一歩出た。
「そうどしたら、どうかもう一度逢状をお記し下さいませ。必ずお座敷に上らせて頂きますよって」
 男はそれでも不服な面付きのまま、家来二人に引き摺られるようにして、漸う出て行った。
 斎藤が角屋を出る時、主人の徳右衛門が言った。
「あれが老公・山内容堂様ですよ」
 どうりで、と思った。隠居の身とはいえ、殿様を目の前に顔色一つ変えない斎藤に、引舟も禿も感心したが、実際の斎藤は多少肝を冷やしていた。
「殿様と名の付く方にじきじきに面会するのは、初めてではないからな」
 とは、言うものの。それにしても、殿様にも様々あるものだ。
 おようは帰り際の斎藤に言った。
「ひとつお願いがあんのどす」
「何だい」
「うちに扇を買うて下さい」
 何だそんな物でいいのか、と斎藤は承諾した。まさか、もっと過大な物を要求されるのかと用心して気が抜けた。
「夕顔の絵を描いた扇です」
 指定までされたからには、応えるしかない。別段、狩野などの高名な絵師のものでもないという。果たして何の意味があるのか判らない。夏でもないのに夕顔の絵とはまた難儀な。
 だが、隊務の暇を縫って小間物屋を歩き、求め購った物を言付けて桔梗屋まで届けさせた。
 すると、二日と経たないうちに返礼の扇が返って来た。斎藤は、仲介した平隊士に冷やかされながらそれを眺めた。
 何かの風雅な遊びなのかと思って、島原通いの激しい土方か近藤にでも聞けばわかりそうなもんだと考えたが、やはり気恥ずかしいので訊くのはやめた。
 結局、わけのわからないままである。いずれ、おようから示唆があると思っていたが、ついぞ宴席の折にも万寿寺通の仮宅でも、今更聞けぬまま歳月のみ過ぎて行った。

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