(八) 土佐藩邸前

 その後、山内容堂が上京したのは、慶応三年(1869)五月のことであった。
 それまで度々、朝廷より上京の命があったが病気の為に辞退し、結局この五月の上京もひと月余であった。二条城では、長州処分と兵庫津の開港に関しての論議が持たれたが、それを頓挫しての帰国である。祗園辺りでは、

 ゆんべ見たみた五条の橋で 丸に柏の尾が見えた

 などという戯れ歌が流れたほどである。山内家の家紋、柏が尻尾を出して五条大橋から逃げ帰ったというのである。無論、島原へなど立ち寄る暇も無く、文久三年の暮れの慌しい一夜からこのかた、おようは「老公」の逢状など受け取っていなかった。
 それでも、すわ容堂上洛かという噂が上ると、おようは気が気でない一時を味わうのであった。
 斎藤はこの時、新選組を離れていた。おようにも久しく会っていない。
 三月に伊東甲子太郎の率いる御陵衛士に入り、十一月には新選組に帰屯した。近藤、土方の間者として御陵衛士に潜入していたが、油小路事変により、それも終結した。
 伊東らの残党による報復を逃れる為、斎藤は紀州藩公用人の三浦休太郎預りとなって、聖護院森の紀州藩邸にいた。
 しかし、京を取り巻く情勢の変動は何処にいようが常に聞こえてくる。
 既に幕府が朝廷に大政を奉還するという画策が行われているということも、高台寺党では風聞として聞いていたし、それが山内容堂の土佐藩の提案であるということも。
 あるいは、伊東とのつながりから薩摩が密かに宮廷工作して幕府討伐の密勅降下を運動していたということも。
 そして、十月十四日には大政奉還が勅許され、容堂はその功績により、あたかも薩長土の主導権さえ握ったかに思われた。
 油小路の変が起こる三日前、近江屋にて坂本龍馬が斬殺されるまでは。
 実は薩長と最も強い艫綱(ともづな)を握っていた坂本の死が、斯様に大打撃であったということを、容堂は知らなかった。或いは、斎藤も知らなかった。
 十二月五日、山内容堂は京に向かい、八日に到着した。
 藩邸にて出迎えた後藤象二郎の報告を聞くや、容堂は火の付いたように怒り出した。
「あの奸賊どもめが」
 というのは、つい四日前、薩摩の西郷吉之助が藩邸を訪ね、後藤にある事を語ったのである。
 大政奉還のみならず、徳川知行地四百万石も朝廷に返上する。
 そして、返上の勅命に応じぬ時は、朝敵として将軍を討伐するという内容であった。議論の余地は無かった。恐らくは、まだ十六にしかならぬ帝を操る公卿の策謀と思われた。
 それが七日に出されるというのを、後藤はせめて容堂の上洛を待ってのことにして欲しい、と頼み込んだ。
 結局、西郷は渋々承諾して引き返したが、七日が九日になっただけの何の意味があろうか。
 容堂は怒り狂った。怒りを露わにしつつ、飲み、夜更けになった。側役が宥めても九日の朝まで盃を手離さず、やがて参代の刻限が来ようというのにいっかな動かない。
 御所の御門は既に容堂の命を無視して二小隊で固められていた。この藩兵らの情報で、容堂はしたたかに酔い、宿陣から出る気配がないということが洩れた。
 薩摩にとっては好都合である。ここで容堂に激論を飛ばされると、これまでの密計が総て水泡に帰すかもしれない。
 大久保一蔵(利通)は、ひそかに密偵を呼び、指示を与えた。
「老公が出て来んようならその旨伝えろ。もし出て来たら、斬れ」
 と。果たして、宿陣の一歩外が既に戦場と化しているとも知らず、容堂は突然に立ち上がった。
 駿馬を駆り、大路を北上し始める。道は前日の雪が解けてぬかるんでいた。
「いかん、ちと飲みすぎた」
 鞍の座りが悪いと思ったが、どうやら自身が揺らいでいる。酩酊状態で、頭がぼうやりとした。だが参内せねばならないという気が必死に馬上の容堂を抑えていた。己が出ねば、薩長の欲しいままに日本が動かされる。その危惧が馬の鼻先に連なっている。
 やがて、土佐藩邸に近付いた頃、高瀬川の東から一人の浪士が躍り出てきた。
「ちぇええーい」
 独特の音声は、薬丸示現流のものである。容堂は危うく落馬しかけるところであった。側役が大刀を抜く。容堂も二字国俊を抜いた。
 浪士は地を蹴るようにして太刀をとんぼにかざした。容堂は身を翻して馬から降りた。
 殿が自ら下郎の相手をしようというので、側役もぎょっとなった。しかし、容堂ならさもありなん。
「大久保とやらいう男は、おれにこんな下衆を送り込んでくるか」
 容堂は吐き捨てるように言った。薩摩の考えなどお見通しである、と。
 だが、浪士が次に気声を発した時、容堂は得意の長谷川流居合を使わずに済んだ。
 浪士は背後から左胸を貫かれて、倒れた。
 その向こうに血刀を提げた男が平然と立っていたのである。笠のうちで顔はよく判らぬが、見苦しからぬ鮫小紋の小袖に、袴の股立ちを高くとり、高足駄である。
 端からぬかるみの中を人斬りにのみ出て来たような、痩身長躯の男であった。
 男は懐紙で血刀を拭い、笠を取ると深々と容堂にお辞儀をした。
「新選組、斎藤一にございます」
 顔を上げた瞬間、容堂はあっと声を上げた。いつぞやの年の暮、島原で会った若い男である。
「先頃の御無礼は御容赦下さいますよう、下拙これにて返上仕りたく申し上げます」
 斎藤はそう言って、再び笠を被り、立ち去ろうとした。「待て待て」と、容堂が引き止める。
「おぬし、余が御所へ入るまでついて参れ」
 そう言った途端に川端へ行き、酒を吐いた。胃が動転したらしい。いっぱしの武芸者である容堂から見ても、斎藤にまさる先払いはいないと見えた。高足駄を履いたまま、相手にそれと気付かれぬよう、泥道を小走りに駆け、抜きがけに背後から心の臓を一突き、などという芸当を見れば、容堂自身人斬りにおいて己の出る幕は無いと思ったのであろう。
「御辞退いたしまする」
 と、斎藤はきっぱり答えた。「下拙は飽く迄肥後守様の家中にて、恐悦ながら御無礼させて頂きとう存じます」
「ふん。なかなかしぶとい男め」
 容堂は唇を拭いながら、笑った。
「おれは借りを作ったままにしておくのが好かんのでな。それでは明晩、使いをやる。この褒美は取らせるぞ」
 そう高らかに言い放ち、容堂は再び馬上の人となって北へ向かって行った。

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