(九) 花子
(はなご)
十二月十日。王政復古の大号令ののち、新選組廃止論ら持ち上がった翌日である。
内八文字を切ってしゃなりと歩む太夫の道中、暮れの押し迫った耀
(かがよ)いの一段と明るい中を、相生太夫が進んでいた。角屋の大籬の前へ来ると、
「角屋さんへ。主さんはいらしたはりますか」
澄んだ声が問う。角屋の主人が迎え出た。
「鯨海酔侯はんへ。桔梗屋・相生太夫、只今罷り越しまする」
座敷では、待ってましたとばかりに山内容堂が盃を手に迎えた。鯨海酔侯とは雅号の一つだが、遊郭でもってそう呼ばせるところが容堂らしい。
おようが驚いたのは、容堂が袴も着けぬ市井の男伊達のような姿だったからではない。その同席に斎藤一がいたからである。側役も供侍もいない。斎藤のみである。立膝の容堂の随分下座に座っている斎藤は、本当は容堂よりも大柄であるのにちんまりと見えた。貫禄の違いをみたようである。
当の斎藤にしてみれば、甚だ困惑するところであった。
見回りを終えて屯所に戻ると、平隊士が血相変えて書状を差し出す。「土佐藩邸からの付文です」と言われ、慌てて開くと、容堂の達筆で「傾城町角屋に六つの下刻来られよ」とあった。単純明快で呆気にとられつつも、斎藤は来てしまった。屯所内では、斎藤が一体何をしでかしたのかと一時騒然となったが。
「約束は覚えておったか」
と、容堂がおように向かって言う。はい、とおようは頷いた。
もう一度逢状を書けば必ず、と言った手前座敷に出たのである。
「この男、幾ら飲ませても顔色一つ変えんのだがな」
容堂は斎藤を見遣って言う。
「そちの秋波
(ながしめ)にしか酔えんのではないかと思うてな」
おようは小さく声を立てて笑った。斎藤はむっつりと黙ったままである。
「それはそうと、そちが何で逢状を受けなんだか聞かせてくれるという約束は」
容堂は盃を傾けて、言った。へえ、とおようは打掛を引き摺って立ち上がる。
「島原の女子は芸で己の心を伝えます。ひとさし舞わせとくりゃす」
おようはそう言って、帯の間から扇子を抜き出し、振り開いた。さっと白檀の香が過ぎる。扇の面が露わになる。夕顔の柄であった。だが、斎藤が購った物ではなかった。もっと年季が入った高価な手扇で、舞扇にしては些か小振りであった。
「班女が閨の中には秋の扇の色。楚王の台(うてな)の上には夜の琴の声。夏果つる扇と秋の白露といずれかまづは置かんとすらん」
おようは夕顔の扇をひらめかしつつ、摺り寄るようにして容堂に近付き、また退く。袖を振り舞い狂う姿は、能楽の物狂いの様を表現しているようであった。
容堂ははじめ、うっとりと悦びに満ちた表情でおようの舞を観ていたが、次第に沈鬱な顔付きになってきた。
「のう、おぬし。この舞を知っているか?」
と、斎藤に問う。
「いえ。私には武辺一辺倒で敦盛や景清ならともかくも」
「これは花子
(はなご)という謡よ」
成る程題目は聞いた事はあるが、と斎藤思った。
美濃国野上ノ宿の遊女・花子は、都から東国に下る途中に立ち寄った吉田少将と契りを深く結び、その証に互いの扇をかわした。その日以来、花子は自室に引き篭もり、扇ばかり見入って何もしなくなった。
人はその様子から、花子のことを「班女」と呼ぶようになった。「班女」とは、中国は前漢の寵妃、班捷、
(はんしょうよ)の略称で、班女はのちに趙飛燕に帝の寵愛を奪われ、「秋になって捨てられる扇」に我が身を喩えた詩を作った。宿の長は、お客の相手をしない花子を怒って罵った上に追い出してしまう。
吉田少将は都に帰る途中、花子に逢う為に再び野上ノ宿を訪れるのだが、花子は不在であった。すると、「花子が戻れば都に寄るように」と言伝て帰る。都に帰った少将は、糺ノ森に参詣した。
一方、恋心がつのった花子は物狂いの態となって近江路から都に上り、糺ノ森の神前に現れる。花子が少将を恨みつつ「表裏あるのは扇よりあの人の約束」と嘆く。
遠めに花子の物狂おしく舞う姿を見ていた少将は、もしやと思って従者をつかわし、扇を見せるように言う。だが、花子は形見の品だといって拒否する。少将は扇について細かく問い質し、自分の持っている扇を取り出して花子に近付き見せた。その扇は、夕顔の花が描かれており、花子が少将に渡した物に紛れも無かった。
二人は互いにこの人こそが自分の探していた人と知って、喜び合った。
「夕顔の扇」
斎藤は悄然となった。
「阿呆よのう」と、容堂は酒も飲まず、放心したように言った。「己が好いた女子の顔も忘れて見惚れるとは、阿呆な男よのう、吉田少将は」
恰も我が事のように項垂れて言う。尤も、少将と花子の出会いは遊女屋の暗がりであることは承知だ。
おようの謡が終いに近付くと、容堂は漸く顔を上げた。
「寄りてこそ それかとも見め誰そ彼に ほのぼの見つる 花の夕顔」
と、朗々と詠んで立ち上がり、扇を開いて「景清」を舞い始めた。おようは打掛を直し、斎藤の傍らに座った。
「花子は少将恋しさに狂いあくがれて舞う。けんど、ほんまは狂うてへんのや」
引舟が盃に注ぐ酒を、おようは飲み干した。白い喉が艶かしく動く。
「女子は恋焦がれて己の心を満たし、酔うのんや。酒
(ささ)よりも強う長う。男はんはそれが出来ひんから酒を飲んで、現
(うつつ)に酔わはる」
容堂は力強く、悪七兵衛景清を舞う。平家一門没落後も生き延び、両目を抉って盲目となり、流人の身を過す平景清の姿は、あるいは今の容堂自身かもしれない。
小御所会議にて、容堂は敗れた。昨日のことである。
徳川慶喜が会議に呼ばれておらぬことを陰険と罵り、天子の宣旨を何かの陰謀であると攻撃した。すると、岩倉具視らと同心の薩摩藩・大久保一蔵が「慶喜公に純忠の心あらば、すみやかに私有せる土地を朝廷に返上して実をあらわすべきでは」と、反駁した。
容堂は火の付いたように怒った。
「土地なら薩摩もおれも持っている。薩摩も返すなら、おれも即刻返上する。慶喜公のみ四百万石返せというのは理屈に合わんし、それの何処が朝敵だというか」
しかし、言い過ぎた。黙りこくる公卿らに対し、「幼冲の天子を擁して政権を欲しいままにしやがって」
そう言った時に、岩倉から「大不敬」との一喝が飛んできた。
天子は十六歳といっても天子。しかも不世出の栄主であって、このご判断は我々のものではない、と。
容堂は、この後から発言をしなくなった。否、出来なくなったのである。これ以上何か言えば痛くも無い腹を探られるうえに刺殺されなかった。やはり、首に縄をつけてでも斎藤を連れて来ればよかったという気もした。
「おれはだが、一歯報いた。我が恩顧は徳川に返した」
という思いはあった。関ヶ原以後のことではない。
藩主になった時の悶着を一生忘れぬ恩と思っている。本来なら、容堂は藩主になれなかったかもしれず、土佐藩そのものも危うかったのであるから。本家の十三代藩主・豊煕、十四代藩主豊惇が相次いで急死したので、中継ぎ養子として南屋敷から出、十五代藩主となった。
この藩主相続には十三代豊煕夫人の兄である島津斉彬、四国・宇和島藩主である伊達宗城が幕府老中・阿部正弘を説得したという。就任来、その恩顧があったのだ。
しかし、敗けたという惨めさも拭いきれなかった。
源氏の世など見たくない、と自ら目を抉った景清のごとく、容堂もまた我が目を抉りたいという心地にあった。
舞いつつおようを見る容堂の目から、堪らずはらはらと大粒の涙がこぼれた。
「おれを許せ」
誰に対して言ったものか、はたまた容堂の心言かわからない。おようと斎藤は茫然とした。
容堂を乗せた駕籠が去り、島原の灯が一つ二つ消えゆく中を斎藤は角屋の玄関から西門へ向かって歩き出そうとした。
「お気をつけやす」
おようが言うと、斎藤は振り返り、暫しおようの顔を見詰めた。
「おようの気性はお父上譲りのようだな」
おようは、まあと言って口許を覆った。笑いが込み上げてくる。容堂の真面目くさった面付きで景清を舞う姿が思い起こされた。おようは腰を折るようにして笑った。
「何で言わなんだ。老公は既にお気付きだったぞ」
いつになく斎藤は多弁であった。おようは首を振る。夕顔の扇子を開き、俯きながら澄んだ声で言う。
「いいえ。うちのお父はんは南様どす。南様は何処へ行かれたやら。御老公は南様とはちゃいますえ」
「無理はするな」
斎藤はやさしく言い、角屋を去って行った。おようは灯籠の火がぼんやりと滲み出すのを見た。幾ら目を瞬いても、滲みは消えず、化粧の溶けるまま笑い泣きに任せた。
「男はんはつろうおすな」
そう呟いたが、そんな己も阿呆じみているとおようは思った。
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