(一) 唸る山脇十左衛門

 深川・千鳥屋という傾城屋に夜毎、豪気な客が現れると噂が立っていた。いったい身分は知れぬが、総髪に黒繻子の羽織、琉璃のような羅宇の煙管を手にした白面の貴公子で、急度直参様のお忍びか何処かの大店の若旦那。
 世も大いに乱れ、江戸も騒乱の様相をきたしてきた慶応四年の春である。
 千鳥屋の女郎が口々に、
「金離れがよござんすよ、あの御方」
 或いは、
「唄も踊りもとってもお上手。そのうえ惚れ惚れするよないい男」
 と言うからには江戸の女の好む面長色白、中高のすんなりした顔立ちであろう。
「美濃屋新右衛門と名乗っておいでですけど、八百八町何処探しても美濃屋という名の大店はござんせん。大概、大普請のお店は伊勢屋なんてお名前でさ。そもそも大店の若旦那が髻結わない総髪だなんて、おかしいじゃござんせんか。きっと偽名を使うての風雅遊び」
 偽名を用いる事情があるのだろう。商家の者なら大旦那に隠れての豪遊か、はたまた内儀に内緒の岡遊び。
「本当は身上の大きな御直参様ではないかって、皆で噂してますよ」
 少しとうの立った女郎は、長崎土産のぽっぴんを鳴らしながら物憂げに答えた。
「それが証拠に、時折お侍言葉がちらほらと出ますのさ。あたしら二本差しは無粋でいけないって敬遠してますからね。お隠しになっておられるんでしょうがね。けど事情は聞かぬが遊び場の粋ってもんですからねぇ」
 其処まで聞いて、山脇十左衛門は胸中唸った。
「惚れ惚れするよないい男とはちと褒め過ぎの気もあるが、総髪であるという。やはり、殿に間違いない」
 だが、これも今は商人に扮装した山脇、鹿爪らしい顔を遊女に見せるに如かず。女郎は陽が高いのでまだ眠いのか、大欠伸を一つ。五十の坂に程近い山脇に遠慮会釈も無いといった風情である。
「いや助かった、かたじけない」
 と言って山脇は銀子を縁台に置いた。すると女は目を瞬いて、ほほと笑った。山脇は思わずあっと口を塞いだが、遅かった。つい侍言葉が出てしまった。
 月島辺りの茶店を後にして、山脇は憤然と深川・白河へ向かった。行先は、代々藩主の菩提寺である。霊巌寺の門を潜ると、小僧が庭先を掃いていた。
「これは山脇様」
 恭しくお辞儀をする小僧を一瞥し、山脇は立ち止まった。
「殿はご在室か?」
 山脇の山栗のような下膨れの顔が振り返る。
「はい。只今、書院にて富永様、山内様とご会談なさっておられます」
「昨晩はずっと寺におられたか?」
 小僧は諾、と深く頷いた。山脇は築地の藩邸で公用を取り仕切っているので、主の終日の行動を総て把握しているわけではない。家扶もおらぬ緊急時なので、主の世話はほぼ寺の人間が行っている。
「昨日は四つ下刻に夕餉をお召上がりになられましてから、朝まで一切お部屋をお出になられてませんが」
「ならばよい」
 山脇は己に含め聞かせるようにして歯切れ良く言い、主の居る宿坊へ向かった。

 山脇十左衛門正軌(まさのり)は、桑名藩家老を務める堂々たる偉丈夫であった。これまで四代の藩主に仕え、勘定頭、目付役を経て、元治元年(1864)からは京にあって公用方を務めてきた。外交の要人である。石は百八十と各々家老の中では高くは無い。だが、単にその一見重厚な外貌と辣腕で重役を担う人物であった。
 山脇の主はまだ若い。御年二十二歳の桑名藩主・松平越中守定敬(さだあき)。山脇自身の嫡男より僅かばかり上であり、主従はほぼ親子ほどの年齢差があった。
 そして、そのうら若い主が京都所司代という激務を賜った時よりおよそ四年、京で苦楽をともにしてきたのだが、かかる正月、鳥羽・伏見の開戦より大坂を脱出、開陽丸にて東帰した。
 腹心山脇でさえ寝耳に水の出来事であった。
 「お小姓の交代だと申して夜中に数名城を出た模様」と、正月七日の明け方過ぎに知らされた時、既に城内蛻の殻であった。将軍・慶喜、そして老中・板倉勝静、定敬の異母兄にして京都守護職であった松平容保ら、この血縁の貴公子ともども、山脇の我が殿は戦線離脱してしまったのである。
 「まさか」と、山脇は戦慄した。二万総勢の幕府軍の将兵を置き去りに、幾ら形勢不利とはいえあまりの仕打ち。山脇は悄然とさえなった。
「我が殿はお気でも触れられたか」
 いや、と遮ったのは同輩の吉村権左衛門であった。この男、山脇と年も同じである。番頭から江戸詰を務め、山脇と同じうして京へ上り、ともに定敬を扶けてきた家老の一人であった。吉村は謹厳な顔付きで言う。
「恐らくは大樹公のご指示であろう。開陽丸に御乗船されたと、天保山より報せがあった」
 何と。山脇は頭を抱えた。
 五日朝、慶喜は容保や定敬ら諸将の前で、「千騎没して一騎となるとも退却してはならぬ。もし、この大坂にて一敗地に塗れようと関東がある。関東にて敗れようとも水戸が控えている。決して半ばにして潰えさせはせん。明朝には出陣いたす」と、明言していた。
 それが一昼夜にして掌返すように江戸へ遁走するとは。律義者の山脇には到底理解し得ぬ大樹公の変節振りであった。まさに将軍に憑いた天魔の仕業としか言いようがない。
「吉村殿。貴殿はかかる事態を予め知っておったのか」
 山脇はお玉じゃくしのような丸っこい目を、仏頂面の吉村へと向けた。
「いや」
 先程と同じ調子で吉村は応(いら)えた。
「そうとしか考えられぬのでな」
「すると、我が殿は憚りながら大樹公に謀られ、拉致されたと」
「或いは何か大樹公にお考えあって、それに同意なされたのでは」
 吉村が言葉尻を捉え、山脇は「たわけ」と、顔を真赤にして叫んだ。吉村は動じず、嘆息を洩らしたのみであった。兎角、山脇はこの冷静過ぎる同僚とは余り気が合わない。
「我が軍は守口宿にて殿軍(しんがり)を働いておる。本国からは中隊を呼び寄せている。その最中に指揮官であらせられる殿が斯様な因循姑息など」
 と、山脇は鼻息荒くして言ったものの、定敬不在は事実に違いなかった。
 大将の居ない軍勢は浮き足立ち、間も無く全軍撤退となってしまった。そして、七日申の刻から桑名藩士らは泉州を南下し、和歌山城目指して落ち延びた。
 山脇らが海路、紀州南端に辿り着いた時、城は既に開城された直後であり、包囲している藤堂藩と尾張家の軍勢の為に入城を諦めた。否、近付けば投降は已む無しであるので、泣く泣く遠巻きにして江戸へ向かったのである。
 これ以後、各藩士の進退は随意とされた。国へ帰る為に恭順を示す者、定敬を追って江戸へ発つ者、潜伏して機会を伺う者、それぞれである。
 かくして三百有余名の藩士が江戸に集結した。
「親子は一世、夫婦は二世、主従の縁は三世。それを四代の藩主様にお仕えした身なれば、殿にご真意をお伺いしないことにはこの十左衛門、このまま野垂れ死ぬわけにはいかぬ」
 と、山脇も嫡男にして御小姓を務めていた隼太郎とともに二月初に江戸に辿り着いたのである。

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