(十一) 会津へ、松平定敬と斎藤一

 ところが。服部が中屋敷に戻され、酒井は翌朝より桑名へ戻るとして築地の下屋敷へ移り、三々五々に解散したのち、密かに山脇と斎藤が呼び戻された。
 定敬は夕餉の後一献を傾けつつ、渋面を作っている山脇を招じ入れた。
「手打ちになされて宜しかったのでしょうか?」
「あれはあれでよい」
 と、定敬はけろりとして言った。
「兄弟おのおのの立場は違えど、心は同じ。私心からではなく、総ては藩を思ってのこと」
 定敬は、兄・容保と己が身とを重ねて言ったのだろうか。山脇は言葉に詰まった。

「だが、余は此度の事は服部、酒井らより生じた計略ではないと思うておる」
 何故か同席させられている斎藤は、身を小さくして障子の前に座った。
「恐らくは吉村権左衛門の指図であろうな」
 定敬はそう言って酒を飲んだ。
 正月五日の日、会津の神保修理が大坂城内を訪れていた。その時、吉村も居た筈である。定敬は己ら兄弟に見える前に慶喜と会談していた彼等の密議について知らなかった。
 あれはそうであったのかも知れぬという事に気付いたのは、江戸に戻って謹慎を命じられてからである。
「すると服部殿は本意ではなかったと?」
「それを見越して此度の行状は総て不問に帰す。半蔵も気付いておろう」
 今後、服部、酒井は決して主君を裏切ることはないであろう、と定敬は言った。
 そうして、涼しい面差しのまま眉尻だけをきっと上げ、
今後、もし吉村に叛心あるならば。……討て」
 山脇は絶句した。
「半蔵はあの時、余を諌めんが為に大久保殿の姿になり代わったと申したが、あれは半蔵の必死の訴えとみた」
「は」
其処かしこに御庭番も出入していることであろうし、我等の話も大体は内部に掌握されていると見た。既に大久保一翁にも話が通じておるのだろう。吉村が大久保に余を遠隔の地へ移るように申し渡せとな」
 服部はそのことを
、背後にいるのが吉村であると口に出さず示したのであろう。
「余は柏崎へ行く。そちと半蔵、吉村を伴ってな。よいな十左。それ以上言わぬ。承知いたせよ」
 定敬の表情が少し曇った。闊達な正義漢のこの藩主の何に憂いを思ったか、山脇には察することが出来たが、言葉にすることは憚られた。
 「おれはもう二度と逃げぬ」という定敬の心の声を聞いたようでもある。
 藩論は恭順一色に傾くであろうが、それは表向きである。吉村の権勢に任せて恭順を表せば新政府にとっては心安かろう。そこを狙って吉村を討ち、柏崎を出て会津へ向かおうというのであろう。それに、柏崎へ行くのは密かに長岡藩や越羽の諸藩と同盟を通ずるに都合がよいかも知れない、と山脇も思った。
「斎藤。そちにもいずれ幕府のご指示があろうが、先に会津へ行き、兄上に我が意をお伝えして欲しいのだ」
 会津へ。
 定敬の言葉に、斎藤は深々と頭を下げた。「承知仕りました」
 三月五日、大久保一翁から定敬に面会の申し出があり、
「騒乱の江戸におかれましては、越中守様を担ぎ上げて戦を企てようとする輩も数多おりましょう。ここは止むを得ないのですが、遠隔の地に参られては如何かと」
 と、勧めがあった。
 定敬は聞き入れて、七日には築地中屋敷に移り、横浜から箱館経由で新潟へと向かった。そこから陸路柏崎へ。船は長岡藩家老・河井継之助の周旋したプロシア船であった。
 それより前に三月一日。
 新選組は幕府の命により、名称を「甲陽鎮撫隊」と改め、甲府攻略へ出発した。これも勝安房守と大久保一翁らの策である。飽く迄、江戸の街を戦乱に巻き込むことを避ける為であろう。
「新選組も越中守様も、体よく追い払われたというわけか」
 斎藤は、甲府へ向かう道中そのことを思った。近藤局長らは、わざわざ多摩に泊まって甲州街道を抜けるという。ぐずぐずしていては、恐らく一両日中にも新政府軍に占拠されてしまうのではないか、と永倉などは苛立ちを隠し切れなかった。
 勝が近藤に約束した「甲府占領の暁には十万石の大名に取り立てる」というのは、只の有りもしない空手形と踏んで、やけのやんぱち、せめて故郷で錦を飾って行こうというのか。それとも近藤は甲府を死に場所と考えているのか。
 だが、そうはさせてはなるまい。
「少なくともおれには越中守様とのお約束がある」
 会津へ先んじる。甲府でむざむざ死ぬわけには行かぬ。
「いや、それにしても解せぬ事が一つある」
 斎藤はふと思い出した。
 霊巌寺で会った酒井孫八郎の顎には、確かに引っ掻き傷があった。あれは、『千鳥屋』を出たあとに面を引っちゃぶろうとして付けた傷である。酒井の被っていた定敬の顔が、真にあの奇怪な肉面であるならば、斎藤が引っ掻いたのは肉面に相違ない。服部によると鹿か豚の膀胱をなめしたものだというが、そのような感触とは思えなかった。
「あれは紛れも無く人の面の皮だった」
 と、斎藤は思う。斎藤だけが当人を除いて知っている。誰もが服部の言を信じているが、斎藤は些かの疑念を払拭し切れずにいた。
 忍者衆の術には声色を変えるだけではなく、顔付きまで模写して他人に成り代わるという術もあるというが、服部、酒井の行ったそれは、肉面を使わずして生身の体で為した変身ではなかろうか。
 肉面を用いるのであれば、わざわざ桑名より酒井を呼ぶ必要は無い。只でさえ、隣藩の監視下に置かれていて国許を出るのは危険極まりないのだ。定敬に似た背格好の若者を使うに越した事は無いだろう。そうではないということは、あの変装はやはり服部半蔵、酒井孫八郎兄弟でなければ為し得なかったのではないだろうか。
 しかし、そのことを確かめる手立てはなかった。
 霊巌寺を出る際、一足先に門を出ようとする服部が斎藤を振り返った。
 会釈をしたその姿が、斎藤の見る最後の服部半蔵正義の顔であった。振り向き様の力ない微笑み。あれはどういう意味であったのか。
 斎藤は、その後も度々ふと思い返すことがあった。
 忍術は一子相伝のものという。そして、使役の時非常な消耗を心身ともに強いる。服部半蔵は明治十九年(1886)四十一歳、酒井孫八郎は明治十一年(1878)三十三歳の若さで卒する。このことと関わりがなかったといえようか。
 
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