(三) 嘆く山脇十左衛門
すると、山脇のしゃっちょこ張った面をまじまじと凝視していた若い主は、唐突にぷっと噴き出した。
「そちは深川のそのような傾城屋へ参ったのか?」
「は?」
「その顔で?よく入れてくれたものだな」
矢継早に飛んでくる質問を、山脇はまともに受け損ねていた。何ぞ定敬の関心は、山脇のように老境に差し掛かった男が噂の流れに聞き耳立てて享楽場まで赴いたというところにあった。
「ふふ。十左のような顔では幾ら身形を変えても、二刀差しと書いてあるようなものだ」
心得た主である。
「そ、それがし女子は愚妻しか存じ上げませんもので」
山脇は脂汗を拭いながら、答えた。
「そちの色事云々を訊いておるのではないぞ」
定敬は笑った。袴を着けぬ白練の着流しに瑠璃紺の帯を締め、同色の羽織をはおっただけの姿だが、清々しい笑顔によく映る。そして、例の涼しい顔で言った。
「だが、知らんな」
「は、御存じないと。では一体、その噂は如何なる狂言で、いずかたより出たものか」
山脇は、白いものが大いに混じった頭を抱えた。定敬の大きく見開かれた双眸に、虚飾は皆無である。
「出所を知りたいのは、おれのほうだ。謹慎の身で女子など。寺には時折見目麗しい娘も墓参に訪れるので、目の保養にはなるが」
だんだんと定敬の口調は砕けてきた。
「まさか、お声など掛けておられませんな」
「声を掛けるくらい構わんだろう」
「それで収まりますか」
「此処は寺だからな」
寺でなければ如何されるのか、と山脇は問い質したかったが、それは追及しないことにした。
「しかし、誰かは知らぬが、おれに似た男が豪遊しているというだけのことではないのかな?」
は、と山脇は背筋を伸ばした。
定敬の表情には何処か変事を面白がっている風もうかがえる。
「さすれば尚のこといけません。かかる時期に根も葉もない噂を立てられては御身のご進退に宜しからず」
しかるに、と定敬は首を捻った。
「謹慎中に遊び呆けておるというのも、恭順しているように見えなくはないか?越中は任を解かれ、江戸で他にすることもないので傾城屋へ通い詰めている。斯様な奴に今後、抗戦の兆しがあるとは思えん、とな」
すると、山脇は即座に首を振る。
「なりません、御前様。御身の評判が地に落ちまする」
定敬自身、世間の風評など歯牙にもかけていない。そういう意味では慶喜とともに万軍の指揮を放棄して東帰した時点において、奈落まで落ちたような感もある。今更、その事を悔いても仕方ない。
「確かに、十左の申すことも一理ある。大石蔵之助と言いたいわけだな」
定敬は言った。忠臣蔵である。大石は主君浅野内匠頭の仇を討たんと雌伏していた時期があったが、その間世間の目を逸らす為に連日連夜の遊興三昧であったという。定敬もその顰に倣っていると勘繰られては困る。
真っ先に容喙されてならないのは、寛永寺の慶喜であった。
今のところぱったりと行き来を断って、誰とも面会していないらしい。当然、深川の噂も耳に入れてはおるまい。
「上様に知れては厄介ですぞ」
と、山脇は定敬の思案を見透かしたように言った。
いずれこのまま謹慎していたとしても、恭順派が幕府内を占有するにつれ、定敬の存在は邪魔になろう。江戸に居て貰っては不具合、と言われる日も近いだろうと定敬は考えていた。
しかしながら、桑名藩内でさえ主戦か恭順かで真っ二つに分かれて日々激論を交わしているという今直ぐ、退去するわけにはいかない。少し時間が欲しい。もし定敬に叛意あると表沙汰になり、勝や大久保らが慶喜を使って、桑名藩に諫言などして来られるようなことになっては堪らない。
「しかし、おれが傾城屋で女子の一人や二人。別段、吉原でのお大尽遊びでもなし、多寡が知れている。咎められても、上様ご自身に説得力はないぞ」
と、定敬は砕けた口調で言った。慶喜は開陽丸乗船の際も、妾を同乗させようとして板倉勝静らに文句を言われていた。結局、婦女子は同船出来なかったが、そういうわけで慶喜の身辺には女性の噂が絶えない。
「いえ。そもそも肥後守様、御身の御二方に登城を禁じられたのも意趣返しのように思えてなりませぬ」
山脇は力説した。
「前
(さき)の大老の時のことか」
前大老・井伊掃部頭直弼が、紀伊藩主・徳川慶福
(よしとみ)を十四代将軍に推挙した時のことである。
まだ高須家にいた若年の事で、定敬も話に聞いていたのみであるが。
遺勅を責めた烈公・水戸斉昭に急度慎
(きっとつつしみ)を与え、その子である当時一橋家の養子になっていた慶喜に登城停止の処分が下されたという。さらに大獄によって、慶喜は隠居謹慎までも断行されるのだが、この危機を救ったのが松平容保であった。
掃部頭が桜田門外で兇刃に斃れた時、尊皇攘夷の先鋒であった水戸浪士の仕業と判るや、水戸藩そのものが討伐の照準を当てられる。
その時、幕府と水戸の間に立ってとりなしたのが、誰あろう容保であった。容保・定敬兄弟らの祖父である高須九代藩主・松平義和
(よしより)は、水戸六代藩主・徳川治保の次男である。治保の妹は高須藩六代藩主の正室となっている。さらに兄弟の父である十代藩主・義建は、水戸七代藩主・治紀の娘・規姫を娶っている。
容保・定敬ともに規姫の子ではないが、水戸家の血を濃く引いた高須家の出身であることが、容保を強く動かしたのだ。既に会津藩へ養子に出、溜詰を務めていた容保に直接聞いたわけではないが、兄上ならそうするだろうと定敬は幼心に思っていた。
そして、水戸家は次期老中に参入した久世広周・安藤信正政権下で慶喜もろとも幕政に復活する。
「しかし、あの御方は我が兄上に感謝こそすれ、このような形で恩を仇で返すとは」
定敬は皮肉に笑んだ。
「意趣返しなどではない。ああいう方なのだ。過去の事など失念しておられる」
「然様でござりましょうか」
「そのうえ、あの御方は腹心を失われて以来、とりとめもないのだ」
慶喜は、文久三年の中根長十郎暗殺にはじまり、平岡円四郎、原市之進と三人の重臣を次々に殺害され、頭脳をなくした。英明ながら決断力の弱さが慶喜の欠点であったが、其処を補っていた臣下なくしては何一つ決まらないのである。大政奉還後の大坂下りにしても、そうとしか思えなかった。
「どうやら、それまで腹心任せに決めていたつけが回ってきたらしい」
と、定敬は密かに思った。されば慶喜の恭順に反対こそすれ、腹は立たなかった。何しろ、己一人では決められぬのが慶喜なのだから。
腹が立つのを通り越して、定敬は己が不明であったのを恥じるのみである。
「我等兄弟は、両翼などでも連樹でもなく、上様の単なる武力に過ぎぬのか」
ということに今更気付かされたのである。
恭順すれば、当然武力としての会桑の存在は必要無いのだ。
かつてはよかれと思って幕府と水戸を取り持った容保自身も、同じ心地であろう。優柔不断な慶喜の鎖を解き放ってしまったことを、誰よりも身にしみて感じているのだ。
それ故に、反駁の余地はない。容保が飽くまで主戦にこだわるのも、その責任を深く深く認識している事にも拠ると定敬は思っている。
「とまれ、噂だけでは何とも言えぬ。密偵を使いたいところだが、今はそういう身分ではない。何やら御庭番もうろついているので、派手な動きは出来まい。申し訳ないが、今一度確かめてきてくれ、十左」
定敬はそれまでの重々しい気分を打ち払って、言った。京都時代は所司代所属の間諜を用いて探偵していたが、解任された為に彼等は使えなくなった。無論、桑名藩にも密偵はいるのだが、これまでその周旋を執り行っていたのが、家老の一人、服部半蔵正義である。その服部は先日来、流感と称して臥せっている。
「半蔵が臥せっておるので致し方ないしな」
語尾に何か含むところはあるのだが、その意味は山脇にもよく判った。定敬といえども、今は理由あって服部半蔵には面と向かって頼み難いのだ。
「承知つかまつりました」
山脇は再び額づいた。
「それにしても、おれは江戸に生まれながら江戸の女子は知らぬ。京の女子は、雅だがちと情がこわい。尾張や美濃の女子は、きつくはないが興がない。深川の女子とはどういう粋な女子か一度知りたいのう」
と、定敬は屈託無く若い男の本音を洩らすのだった。
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