(四) 唖然とする斎藤一 

 さて。殿直々の命によって千鳥屋まで赴いた山脇であったが、店前で足が止まってしまった。
 先日は女郎を茶店まで呼び出したのでよかったが、今晩は実に潜入せざるを得ない。
「弱った。わしは遊郭のような場所は苦手だというのに、殿も罪な事を仰せになる」
 悄然となった。京にて公用人を務めた山脇は、度々島原だ祗園だと連れ出されることはあったが、不承不承のお付き合いである。何しろ、女性の白粉の匂い自体あまり好きではない。
「殿は殿でお若いゆえに無理もないが、佳い女がいたら周旋せよなどと、不謹慎な……いや、ご謹慎中であったか」
 それにしても、霊巌寺周辺を御庭番が探っているというのは、やはり定敬の動向に不審がないかどうかを穏健派幕閣らが疑っているのに違いない。
「厄介な事だ」
 ぶつくさと言いながら、半刻ばかり深川をぶらついている。
 やがて、辺りは幻影的な常夜燈の灯る頃になった。露地の中央を数名の二刀差し連中がやってきた。大股で闊歩する何やら強面の浪士風である。世情が世情だけに、素知らぬ顔をしておこうと、山脇は袖でそっと横顔を隠した。
 が。
「これは山脇様ではございませぬか」
 野太くよく通る声に、山脇は慄いた。見れば、新選組の幹部、永倉新八であった。
 永倉は大きな声で、
「斯様な処でお会いするとは、山脇様も隅に置けませぬな」
 と、軽口を言った。
「誤解めさるな永倉殿」
 山脇は、顔から火が出るようであった。通常なら御親藩の家老職に向かって気安くお声掛けなど出来ない筈が、新選組といえば京洛において会津藩御預の下に勇名を馳せ、かつ数多の有事には桑名藩兵とともに戦った連中である。永倉はその大幹部であり、しかも出自がよい。松前藩士の子息であり、無骨なだけの輩とは一味違っていた。山脇も好感を持っていたのである。
「霊巌寺の殿の所へ参じておったのだ」
「これは失礼をいたしました。手前どものような無作法者と一緒くたにしてはなりませぬな」
 永倉は、恭しく頭を下げた。
 新選組の面々も容保を追って江戸へ帰還し、このひと月程蟠っている。無論、主戦派であることには変わりないのだが、遅々として幕府の御沙汰も進まず、京都守護職御預であった彼等が容保の解任、帰国によって為す術もないのは言うに及ばない。
 こうして暇を持て余しては、夜な夜な江戸の町を遊び尽くしているのであった。
 山脇は、知った顔に見られたという気まずさを感じはしたが、はたと思い直した。
 「この際、永倉に事情を話して同行して貰ってもよいのでは」と。そう思うと、開き直りは早かった。「実はしかじかの事情で」と永倉に切り出す。
「ほ。越中守様に然るべき女子を」
 永倉の四角い顔が、一気に長くなる。「そうですなァ。息抜きもご必要ですな」
 同情を誘ったようだ。
「何しろ我が殿は、初姫様というご正室がおありになりながら、まだ姫様ご幼少ゆえに婚儀もままならず。更にご養子になられてからこのかた、激務につぐ激務。御側室様も置かれずに、まことに不憫にてございます」
「しかし、それがしの女子の好みで宜しいのかな?越中守様はまだお若うていらっしゃる。それがしの好みではちいと年増過ぎるのでは」
「いや、その。この千鳥屋は美形揃いと聞いたものでな」
 山脇が顔を向けると、永倉も千鳥屋の店前を見た。
 「それでは」と、永倉は列を振り返り、最後尾にいた男を呼んだ。背の高い痩せ肉の男、斎藤一であった。何だか嫌な感じの男だな、と山脇は思った。京の頃から顔は見知っているが、居住まいは正しいにしても無口で何を考えているかわからない不気味な若者である。
「この斎藤をお貸しいたしましょう」
「勝手に決めないで下さいよ、永倉さん」
 と、斎藤はむっとして言った。だが、永倉は意に介しない。にこにこと笑って斎藤の腕を掴み、山脇の前に突き出す。
「山脇様、この男存外見掛けより若くて、越中守様とそう変わりません。女子の好みも近うござる。それにこう見えて京では随分と遊び慣らしておりますゆえ、目も確か。御存知かと思いますが、腕も立ちますので山脇様の御身に万が一のことでもあられましたら、お役に立つこと間違いありません」
 女子の好みまで断定している、と斎藤は目を剥いた。
 だが、永倉は二人を残してからからと笑いながら去って行った。斎藤は、為す術もないまま山脇に頭を下げた。
「仕方ございませんな」
 と、斎藤は嘆息一つ吐いた。そして、「失礼仕る」と言うや、渋る山脇の肩を掴んで千鳥屋に入って行ったのだった。

「越中守様にはやり手の懐刀と名高い山脇様ともあろう御方が、傾城屋ごときに尻込みなされるとは」
 斎藤は、人目も憚らずに言う。人目と言っても白首女ばかりである。その女どもの酌を受けつつ、山脇は目前の若い男を睨んだ。
「声が高いぞ、斎藤殿」
「女郎(めろう)に聞かれたとて、そうそう寝首を掻かれることもありませんよ―さ、ご安心なさって胸襟おくつろげ下さいませ」
 などと、まるで女郎屋の主のように斎藤は言った。山脇は案外、斎藤の流暢な物言いに驚いた。
「本当は、越中守様の女子を物色に来られたわけではないのでございましょう。如何ですか?」
 図星である。斎藤という男、暗愚な剣客ではない、と山脇は胸中唸った。
 そうして、酒を飲りつつ斎藤にこれまでの経緯を耳打ちした。すると、斎藤はやや厚めの唇に不敵な笑みを浮かべた。
「成る程承知仕りました。しかしながら、その件の美濃屋新右衛門という男、今宵はまだ現れておらぬようですな」
 白首女が顔色を輝かせた。
「あら、美濃屋の旦那ね」
「美濃屋がどうかしたのか?」
「いいえ。今晩ももじきお見えでございますよ」
 と遣り取りしているうちに、廊下が賑わしくなり、女の嬌声と衣擦れが近付き始めた。
 斎藤がそっと襖を開けて外を覗く。粋な黒繻子の長羽織姿が見える。後姿だが、物腰のいなせな男に金魚の糞の如く繋がって纏わりついていく四、五人の女があった。
「あれです、あの御方が美濃屋の旦那」
 酌をしていた女が、斎藤に頬をくっ付けるようにして言った。
「顔が見えん。もう少し早く気付けばよかったか」と、山脇。
「いえ、怪しまれます。手水にでも行くのを待たれるのが宜しかろうと」
 斎藤は言って、再び白首女の酌で酒を飲み始めた。山脇はただただじれったかった。あれが美濃屋なら出来るだけ早く顔を見定めて傾城屋を出たいところだ。
 まんじりともせず一刻ほど過し、廊下へ出ると、山脇はあっと息を呑んだ。目前に美濃屋新右衛門の顔があったからだ。
「殿ッ」
 と、覚えず叫びたい衝動に駆られた。それ程、美濃屋の容貌は松平定敬に似ていた。もとより傾城屋の女どもが、貴人の尊顔など知る由もない。単なる爽やかな男振りの旦那という認識であろう。よって、このように一人で無防備に歩いていても、何の不自然もない。
「あんた誰だい?」
 美濃屋は訝った。山脇は総毛立つ。声まで驚くほどそっくりだった。
「御身は松平越中守様であらせられるのでは?」
 新右衛門は「はァ?」と、顔を顰めた。
「越中てのは何だよ。おれあ、ふんどしじゃねえ」
 山脇にそういう諧謔は通用しない。
「何をしらばっくれてお出ででしょうか。つい一刻半程前に、霊巌寺にてご尊顔を拝見したばかりにございます。その時は、御身は殊勝に『海国図説』などお読みになっておられましたが」
「気でも触れてるのか爺さん」
 新右衛門は、首を捻って歩き出す。山脇は呼び止めた。
「お待ちを、殿。斯様な為りをしてまで傾城屋遊びとは嘆かわしいですぞ。幕府そして我が藩危急の折に何と心得ておられまする」
「うるせえな、幕府がなんだ?金があるのを使って何が悪い。そもそも赤の他人に言われる筋合いはねえ。小便に行きてえのよ、おれあ」
 新右衛門が立ち去ろうとするのを、山脇は目を瞑ってままよ、と襟首を掴んだ。殿御無礼をお赦し下さいませ、と。
「おっとお、何しやがる」
「寺へお戻り下さいませ。此度の事、十左は決して口外いたしませぬゆえ」
 元来、隆々たる偉丈夫の山脇、痩せ肉の新右衛門を振り回すかのようにして廊下を引き摺りだした。さすがに傍観していただけの斎藤も、見るに見かねて口を挟んだ。
「山脇様、様子が変です。やはりこの男、越中守様ではないのでは」
「そのような筈は無い。まるで瓜二つ。いや本物の殿でござる」
 山脇は息を荒くした。
「ならば、尚の事その手はお放し下さい」
 斎藤の冷静な声に、山脇は漸く我に返った。狼狽して手を引っ込める。「何たるご無礼。ご容赦くださいますよう願いつかまつります」と、廊下に平伏すも、新右衛門は「てやんでえ」と唾を吐いてすたすたと行ってしまった。
「……確かに斎藤殿、あれは殿のご気性とは少しく違う。しかし、あまりに似ておった」
 気が動転していて、見誤ったのだと山脇は自身に言い聞かせた。
「とはいえ、単なる他人の空似とも思えませんな。あの男にも、何か裏がないとも限りません。それがしが後をつけてみましょう」
 斎藤は快く言い、山脇は霊巌寺へ戻ることとなった。これで斎藤が美濃屋新右衛門の正体を突き止めている間に、寺に定敬が居れば、問題は解決するというものである。
 
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