(五) 疑う山脇十左衛門
翌日、築地下屋敷にて論客を迎えていた山脇は、同藩士・町田老之丞からとある事について聞いた。
「昨晩、国許よりお屋敷に奇怪な報せが届きました」
町田は、山脇よりも更に堂々たる体躯をかがめて言った。
「服部様のことに存じまする」
服部半蔵正義のことである。
服部半蔵といえば、「半蔵門」というその名を江戸城に残したように、東照神君家康公の家来として活躍した半蔵正成を指す。「半蔵」の名は代々家督を継ぐ者に世襲される。
かつては忍者を束ねる伊賀同心組の頭領にあった服部家だが、正成の子正就の時代、同心の一揆が起こり、直参の地位を転落、正就の妻の実家である久松松平家に従ってほそぼそと血を伝えてきたという。
山脇も知る先代・正綏が隠退して慶応元年に半蔵を継承したのが、正義。定敬より一年年長という若さであった。
服部は背丈高く痩躯で、いわゆる白面の才子。くわえて性格は謹厳実直、理想の高邁な人物である。とても野山を駆け回って敵地に悠々と侵入することを得意とした間諜の子孫には見えない。一見、国学者のような佇まいである。
その頭脳と実直さを買われて、服部は定敬の上京に随行した。山脇らと同様である。そして、服部もまた江戸へ主君を追って戻って来ていた。
ゆえに、「何故国許から服部のことが?」と、山脇は訝った。町田も頷く。
「然様で。しかも服部様は殿が登城禁止の申し付けを頂戴なさってから、感冒ということで中屋敷(深川藩邸)で臥せっておられる次第」
確かに、この数日前から、服部は病と称して築地に顔を出していない。それどころか、目と鼻の先にある霊巌寺にさえも。山脇は、その事を先日定敬から直々に聞いた。
されど「殿におうつしするわけにはいかぬ」と、服部に言われれば尤もな話である。
それにしても、本日でおよそ十日ばかり。少々長いようでもあるが、致し方あるまいと、山脇は思っていた。鳥羽・伏見の戦の疲労も重なっているだろう。元来が頑健な山脇は兎も角、服部は見るからに神経質である。
「それに、貴奴らがおらぬほうが肩が凝らんでいい」
と、いうのがこのところの山脇の本音である。
山脇、町田らはがちがちの主戦派であるのだが、服部はそうではない。むしろ、恭順派である。そして、桑名藩は定敬を京に置いた状態で、慶応三年八月に藩政改革を行っていた。
この時、軍事惣宰となったのが服部半蔵正義で、御政事惣宰が沢采女、吉村権左衛門宣範、御勝手奉行に酒井孫八郎と任命された。
藩政は若返りを図り、実質この四名が最高指導者として取り仕切っていた。
しかるに、山脇は服部らにも一応古参の家老として丁重には扱われていた。今後の藩の進退という最重要事項を除いては。
実は、鳥羽・伏見の開戦の折も意見の対立は藩内に存在した。
いきり立っている旗本や藩士らを説諭すべきだと唱えたのも服部であり、そのうえで討幕軍を圧倒的に上回る軍事力を振るうべきであると。ところが、甚だ誤算であった。幕府軍はあっさりと大坂まで追い詰められ、一会桑の三者は東帰する。
西軍に従った尾張藩と津藩に包囲され、喧々囂々の末に已む無く桑名開城をしたのが、国許で留守居を仰せつかっていた三家老・松平帯刀、三輪権左衛門、吉村又右衛門と酒井であった。
しかも藩論まとまらず、神籤で成り行きを決定しようとしたという経緯があった。
江戸への帰路上もさんざか徹底抗戦か恭順かで口論をやってきたのだが、山脇からしてみれば独断で開城した酒井らもろとも筆頭家老の四名が恭順を叫ぶのが面白くない。
「これ以上藩士の血を流させるに何の意味がありましょうや。領民を苦しめるに値する戦とは思えませぬ」
と、服部は言う。
「なれども、徳川家あっての桑名藩、久松松平家であろう」
と、主戦派の者たち。
「その徳川宗家であられる上様が江戸へ帰還なされたというは、これ恭順の意にあらずして他に何のご存念が?」
服部は続ける。
「最早、上様は寛永寺にてご謹慎あそばしておられる。抗戦のご意志などあろう筈が無い。しかるにその上様にご随行なされた肥後守様ならびに御身も」
「そのような詭弁を仰られても、承服いたしかねまする」
と、遮ったのは町田老之丞であった。家老に物申すということは、叛意を剥き出しにしたということである。
「あれはご随意ではなく、大樹公の脅迫によって已む無く我々を捨置き、大坂を去られたと申すのか」
服部は切れ長の目を細めた。
「我が殿は我々に御手をつかれて詫びられた。何の申し開きもせず、まことに申し訳ないと」
「だが、必ずしも致し方なしのご存念が皆無とは言い切れまい」
飽く迄服部の弁舌は鋭く、主戦派も一向に退かぬので、埒があかないのだった。
何しろ定敬自身、慶喜の命には従ったが、依然として抗戦派であることには変わりは無い。かといって、表立って服部らを排斥しようとも考えていない。そういう経緯もあって、定敬は現在、服部を勝手に使い難い。
「国許の事は酒井らに一任した以上、余が責任を持たねばなるまいし、服部もそちたちも我が藩にはなくてはならない。余にも多少の考えがあるが、今はまだ言えぬ」
と、定敬は言う。ゆえに藩内では、二項対立が烈しいままであった。
その件の服部半蔵が臥せっているというのは、主戦派にとっては一気に勢力を盛り返す時機なのだが。果たして定敬の考えが如何なるものなのか、それは山脇にも想像が及ばなかった。
「で。服部殿がどういう?」
「は。国許からの書状によりますと、殿がご謹慎賜った頃、服部様が寝込んだと同時に酒井様も病になられたそうで」
「む。兄弟相琴瑟す、というわけでもなかろうが」
山脇は唸った。桑名藩を預る国家老・酒井孫八郎は、服部半蔵正義の異母弟である。酒井三右衛門の養子になったが、年は服部と同年。色白の美男子にして、やはり年の割りに思慮深く胆の据わった男であった。
酒井が病と称して引き篭もったのも十一日。服部と同日であった。
「流感に相違ない。高熱によって勤務もまかりならんので暫く休養を頂戴したい」と言い、十日ばかりになる。城は既に尾張藩と津藩によって占領されていたので、どのみち家臣らは寺で各々謹慎している。
酒井は残務処理を行っていたが、それも打っちゃって謹慎している長寿院の一室に閉じ篭もり、膳を一日二度引き入れるのみで、誰とも会わないのである。
粥だけはなくなるので、少しは食欲もあろうかと養母は安心した。酒井はまだ妻帯していない。単身で病んでいるのを不憫に思い、養母が様子を見に来たのだ。
襖の外から声を掛けると、弱弱しく返事は返ってくる。「うつすといけません。お下がりくださいませ」と。
だが、それにしても、如何に痩躯で腺病質に見えても、若い酒井がそれほど寝込むことなどこれまで余り無かった。訝しいことは訝しい、第一、幾ら寝込んでも小用など我慢の出来る筈はない。しかし、粥だけはなくなっている。不審に思った養母はとうとう四日目の晩にそっと襖を開けた。
「孫八郎殿、お加減は如何でありましょうか」
行灯も無い暗がりで、布団の盛り上がりのみが見えた。しんと空気が冷えている。熱にうかされた病人が数日籠もっていようものなら暖気さえあるだろうに。養母ははしたなく覚えつつ、布団の端を捲って見た。すると、「やっ」と一声上って、酒井の身体がむくりと起き上がった。
養母が仰天している隙に、酒井は大きな黒い影のようになって布団を抜けると、襖の間をすり抜けて獣のように四足で飛び退っていったという。
後には白い寝間着が取り残されていただけであった。
「何と面妖な。怪談ではあるまいに」
山脇は徐に顔を顰めた。
「私も俄かには信じられませんでした。御母堂はあれは狐狸の類で、孫八郎に化けていた、と大騒ぎ。本物の酒井様はいったい何処へ?と怪異を知る者が知らせて参ったのですが」
町田は、鹿爪らしい顔で言った。山脇はうむ、と唸って腕を組む。
「藩の大事に城下を抜けるとならば、行く先は一つ。この江戸しかない」
隣藩に監視されている国家老が容易く徘徊できるような状況でもなければ、そのような手の込んだ芝居を打ってまで脱出するとなると、火急の用件が生じたか、はたまた酒井でなければ遣り遂せぬ任務があるのか。
「とすると、酒井様の潜伏しておられる先は恐らく、服部様のおられる深川屋敷に相違ありませぬでしょう」
町田は言った。
「何故、怪異のように見せかけてまで桑名城下を出たかということだが」
と、山脇は声をひそめた。
「それは恭順派の雌伏を匂わせ、その実暗躍していると考えてよいのではないでしょうか」
町田も身を屈めて、小声になった。
さしずめ江戸には慶喜がいる。再びその慶喜をして、定敬を徹底的に恭順させんと働かしむるか。
「だが大樹公は使えぬぞ。殿ご自身が、あの御方は一旦ご謹慎なされた以上面には二度とお出になるまい、とそう言っておいでだ」
「するとやはり、勝安房守か大久保一翁を?」
山脇と町田は、どちらともなく黙りこくってしまった。
襖の向こうから足音が近付いて来て、はたと止まる。
「失礼つかまつります。立見鑑三郎にございます」
町田の弟である。立見家へ婿養子となった。今年三十歳の町田より七歳下で、服部らとは同年であった。
許可ののち立見は襖を開け、
「山脇様にご面会の方がお見えです。新選組の山口二郎殿と仰いますが」
「山口。はて、どんな男だったかな」
訝しみつつ迎え入れると、果たして斎藤一であった。斎藤は謹んで頭を下げた。
「変名にて失礼つかまつりました。実はそれがし、御陵衛士を脱走した時より山口と名乗っております」
成る程この男も敵が多いらしい、と山脇は思った。
「早速ですが、昨晩の首尾」
と、斎藤は切り出した。
「おお、そうであった。わしの方はあれから直ぐに霊巌寺へ戻ったのだが、確かに殿はおられた。ご就寝なさるところであった」
山脇の答えに、斎藤はやや猜疑の光を溜めた二重目で瞬いた。
「そうですか。それがしのほうは少々込み入った事に相成りました」
そして、「実は」と低い声で語り始めたのであった。
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