(八) 捕まる斎藤一
立見鑑三郎の報告を聞き、すぐにも応援をと若党らを呼び集めていた山脇十左衛門は、その間一刻ほど経った子の刻に、中屋敷より急ぎ来た使者から驚天動地の事実を聞いたのである。
「なに、斎藤殿が詮議を?」
寝所にいた筈の服部半蔵が、土蔵裏で手足に縄を掛けられて倒れていたという。
意識を取り戻した服部は、
「寝汗を掻いたので手拭を貰おうと、侍女を呼んだ。すると襖を開けて入ってきた何者かに縛められたのだ。近習などでもない。殴られて不肖にも意識を失うた」
と、言った。
それから半刻もせぬうちに、服部の寝所で騒がしい声がする。家中の者が駆けつけてみれば、寝間に服部はおらず、隣室にいる筈の斎藤が寝所を開け放って縁側に突っ立っていた。
「裏庭を不審者が徘徊していたので、服部様の安否を確かめに行ったが、既に寝所は蛻の殻で、妙な人物がいた」
斎藤はそう答えたという。しかし、斎藤の言う人物など、何処にも見当たらなかった。
「塀を越えて逃げ去った」と、さらに言うが誰一人信じない。兎に角、最も怪しいのは現場にいた斎藤なのである。
「山脇様、その妙な人物こそ――」
立見は言った。だが大久保が逃げたという以上、何の証明にもならない。
まして中屋敷に立見がこっそり潜んでいたということが露見すると、承認になるどころか山脇の立場も危うくなり、斎藤の助けにもならない。
「斎藤殿はそれがしの推挙で服部殿の衛に就いた。その服部殿がああいう目に遭ったとなると、厄介だのう」
山脇は、渋面を作って悩んだ。
「これは罠です。まんまと取って返されたのですよ。服部様は大久保とつるんで芝居を打ったのですよ」
流石だが口惜しい、と立見は膝上で両の拳を握り締めた。立見の言う事に間違いはないだろう。
しかし、欺かれた事に変わりは無い。問題は、これからどうやって斎藤を救い出すかだ。
「否、この一件を主戦派たる我等と、飽く迄恭順派たる彼等との雌雄を決する切欠といたすか?」
山脇は立ち上がった。
結局、そういうわけで斎藤一はまだ深川中屋敷にいる。軟禁状態である。嫌疑が晴れぬうちは出られないのであった。
「服部様のご寝室に居られた妙な人物とは誰だ?」
と、難詰されても「お名前は存じ上げませぬ」としか斎藤は答えない。何故なら、斎藤本人は大久保一翁と面識が無い。既知でもない人物の名を挙げるのはおかしい。言えば、立見の存在が明らかになってしまうからである。
それが放免されたのは、騒動ののち三日のことであった。
屋敷の主である松平定敬の判断であった。深川霊巌寺に呼ばれた斎藤は、労をねぎらってやって来た山脇に対面した。
「まことに済まなんだ、斎藤殿。此度は危ない目に遭わせてしもうた。申し訳ない」
大きな体を縮こめて謝罪する山脇に、斎藤は却って恐縮した。
「いえ。それがしの勇み足にございました。己一人で対処出来ようと自惚れておったようです。却って山脇様に無用のご心配までお掛けし、心苦しいのは此方のほうです」
と、斎藤。
山脇は面を上げた。話は既に本題に入っていた。
「立見の報告でな。内内に大久保一翁のところへ使者を遣ったのだ」
あの晩、大久保越中守一翁が屋敷にいたかどうかを確かめる為である。
「大久保殿はその折、客人を迎えていた。亥の下刻まで酒を呑み、語らって客が帰ったあと直ぐに就寝したのだという。大久保屋敷の若党がそう言っていたが、真相は判らぬ」
山脇は憮然として言った。主が表向きそう答えろと命ずれば、世間的にはその通りである。大久保の事を質に斎藤を解放してやろうとしたのだが、その案は実行出来なかった。どのみち、服部が否定すれば終いではあったが。
「そこで致し方なく殿をお使い立てしたのだ」
と、山脇は困惑したように言った。
立見の報告を受けたあと、山脇は急ぎ定敬の謹慎する霊巌寺に飛んだ。
折しも定敬は、冷泉流の歌の師匠を呼び寄せていたところであった。だが、気を利かせたものか、歌の師匠は山脇が部屋に呼ばれる前に退出したようだった。
「火急の用件とは何だ、十左。せっかく今日は佳作が出来そうだったのに」
と、何故か定敬は不機嫌だった。まるで女子にでも逢っていたのを、水注されたような顔付きだった。そういえば、微かに白粉の香りがしないでもないが、気のせいだろう。此処は寺の書院なのだ。
「それに何を思い立って、急に風流にお目覚めになられたのだ?」
山脇は訝ったものの、それどころではなかったので深く考えない事にした。
そこで、
「例の傾城屋『千鳥屋』の件にございますが」
と切り出せば、定敬は、
「おお、そういえば佳い女子はいたのか?」
と、まるで魚心あれば水心。山脇はすかさず斎藤の事を口にした。これまでの経緯と、斎藤が今、中屋敷に軟禁同様になっていることも。
「果たして面妖な。だが、新選組の組頭といえば立派な幕臣。しかも我が兄上の股肱となって京で命を賭して過激派取締に労した者ではないか。その者を独断で捕縛し、詮議するとは服部の増上慢。と、余が判断してよいのなら、勝手にするがよい。さにあらずば即刻身柄を放てよ」
と、定敬は言い放った。
かくして斎藤は自由の身となったのである。
その定敬が、相変わらず美々しい出立と身のこなしで、山脇と斎藤の前に現れた。春らしい木賊
(とくさ)色の羽織に竜胆襷紋の小袖を着流している。両人額づいた。
「大儀であったな」
定敬は破顔した。二人は許されて顔を上げる。青年藩主の生き生きとした眼差しがあった。
「大体の次第は、十左から聞いている。そちにもとんだとばっちりよな」
気さくな物言いである。
実は、斎藤は定敬とは初見ではない。京都時代に、幾許か話をした事もある。
「そもそもは我が桑名藩の進退がまとまらぬ所為でもある。申し訳ない」
脇息に肘を掛け、物憂い溜息を吐く定敬は、挙措の度に何処からとも無く白檀のよい香がする。同じ兄弟でも容保とは違った鋭角的な英明さに溢れている、と斎藤は改めて思った。
「しかし、そのような辛気臭い話をする為にそちを呼んだわけではないぞ」
「は」
と、斎藤は口を丸くした。定敬は細面の顔に満面の笑みを浮かべた。傍らで見ていた山脇も、暫くはその意味が判らず、目をぱちくりさせるだけであった。
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