(二) 東寺

 あの男は或いは平助の兄弟ではなかろうか、と永倉が言ったのを、斎藤は頭の中で転(まろ)ばしていた。
 訊けば否定するだろうとは考えたが、斎藤は一計を案じてみた。
 組長室で退屈げに算盤を出して帳面を繰っていると、平助がやって来た。
「算術がお得意なんですか、斎藤さん」
 と、にこにこ可愛らしい笑窪を作って言う。とても斎藤と同い年とは思えない。
「不得手だね。人を斬るほうが幾らかましだ」
「じゃあ何で?」
「さァ。これはおれが江戸から持ってきた数少ない物の一つでな」
 と、出鱈目を言う。本当は東寺の市で二束三文で買った古ぼけた品だ。何処かの寺子屋の師匠が使っていたものだろう。
「兄貴が算術の学問をしろと与えてくれたんだが、武士に算術など必要あるめえと、おれはうっちゃっていた。それが今頃時々懐かしくなる」
「斎藤さんにしては里心ですか?」
 平助は苦笑した。
「そんなものはないさ。兄貴は口煩かったが、今から思えばおれの為を思ってのことだったかも知れんと思ってな」
「ご兄弟とはいいものですね」
「お前、兄弟は?」
 斎藤は算盤をかざしながら訊いた。
 平助はいえ、と怪訝そうに答えただけであった。
 それもその筈である。
 噂に拠ると、平助は苗字が藤堂を名乗っているように、藤堂和泉守高猷の御胤子であるという。
 母親が江戸屋敷に奉公していた女中で、お手付きになり平助が出来てお暇を出されてしまったのだというが、斎藤には疑わしい。真に御胤であるならば、妾腹としても万一継嗣となるやも知れぬ男子を在野に放したままにしておくだろうか。
 まして、隠匿して養育するような憚られる事情があるならば、「藤堂」と名乗るのは阿呆のやることである。
 斎藤は自身の身上も大声で言えるものではないと思っていたが、それゆえに其処はこれ以上深く詮索する必要を感じなかった。
 兎も角も、平助自身は己が事をそのように吹聴されているので、斎藤の浴びせた質問に首を捻ったのである。兄弟などいないと誰もが知っているのに。
 斎藤の試みは呆気なく失敗に終わった。
「しかしあれほど似ている他人はおるまい。平助の奴め、本当にご落胤で、その男が腹違いの兄弟かもしれんというのに気付かぬだけではないか?」
 永倉は苦みばしった顔で言った。冗談とも本気でそう考えているともつかぬ。斎藤はいい加減ご落胤という発想を逃れたほうがいいのではないかと思うのだが。
「平助が貴種とは思えんか?」
 永倉は斎藤の顔色を見透かしたように言った。
「確かに試衛館の中では、上品な佇まいですよ。学もある」
 と、斎藤は遠慮無く言った。そしてもう一つ、ご落胤ではない、と断定しかねるしるしに平助の佩刀があった。上総介兼重二尺四寸二分は、藤堂家御抱鍛冶の作で、一介の素浪人風情が手に入れられるような代物ではない。
 さすればやはり、平助は和泉守と深い関わりがあるのか。
 しかし、全くその片鱗を見せぬまま平助自身は淡々と過している。かといって、斎藤も己の素性を誰にも明らかにしていないから平助のことも判らないのである。
 また、それと謎の男とどう関わりがあるのかなど、実はどうでもよかった。
 そうしてひと月ばかりが過ぎて行った。

 斎藤は暇を見つけると市に出掛ける。東寺の市や北野天神の御旅所など様々である。
 夜店には刀剣を扱う出商があることが多く、そこらで並べている刀は鈍刀も多いがたまに掘り出し物を見つけることもある。
「お前さん、また飽きもしねえで出店をやってるな」
 斎藤が冷やかしを掛けたのは、平野屋又八の出店であった。又八は丸まっちい顔を上げ、笑う。
「へえ、飽きが来ないので商いどっせ、斎藤先生。ご無沙汰どんな。今は清麿おまんのどす。見ていかはりまっか?」
 清麿か、と斎藤は呟いて店前に立ち止まった。刀商平野屋又八は、大坂八軒屋に店を構えており、こうして度々京まで出て来ては商いをする。以前、斎藤はこの男に千子村正を売りつけられそうになったことがある。近藤勇の虎徹を目利きしたこともあり、刀を選るのにかけては信用がおける。ところが又八は商売っ気があり余る上に口上も咄家のようで、その辺りがいけない。
 しかし、斎藤は辛うじて清麿に心動かされることはなかった。縁があれば、いつか出会うだろう。刀とはそういうものだ。
「それより又八、兼重を扱ったことがあるか?」
 へえ、と又八は頷いた。
「津には年に数度は行っておりますし、伊勢の刀匠とも面識ありますよってに」
「大刀一振り三十両ほどか?」
「そうですわな。中には四十、出来によっては五十ほどのもおます」
 藤堂家御抱の刀匠ならそのくらいはするのが相場であろう。
「今度は斎藤先生、兼重を御所望で?」
 と、又八がにんまり笑う。今の斎藤なら四、五十両は捻出出来るだろうことを知っている。
「いや、そうではない」
 斎藤は言い掛けて、斎藤は通りを見遣る。すると、市を行き交う人々の群れに走る人影を見た。追う者と追われる者の二つの影であった。上背のある斎藤には、それらが直ぐに誰であるのか知れた。
「又八、済まんが刀はまた後日」
 そう言い残して、斎藤は小走りに駆け出した。東寺の北へ出て、二つの影は只ひた走りに走って行く。斎藤は地面にぽつぽつと赤い滴りが撒かれているのを見た。
 七条通りを東へ走り、油問屋の並ぶ油小路まで走った時、斎藤は追う男の背後に貼り付いた。
「尾行(つけ)てきやがって何者だ?」
 平助に似た顔が斎藤を振り返った。逃げている男を横目で追いながら、半身になって刀の鯉口を切る。
「抜いたらおしまいだぜ」
 と、斎藤は沈着な声で言った。男が抜き打つより速く仕留める自信があった。
 斎藤の不敵な気配に圧されたか、刀の柄を握り締めたまま、若い男は地面に唾を吐き捨てた。既に、逃げていた男の姿は米粒ほどにも見えなくなっていた。
「えらく腕前に自信がおありのようだが、あんた平助の何様だい?」
 若い男は斎藤を睨(ね)め付けて詰難した。ほう、と斎藤は片頬に皮肉な笑みを浮かべた。声も平助に似ている。
「何様だと訊きたいのは此方だが、おれは新選組の斎藤一。藤堂平助は我が朋輩かつ組頭の一人だ」
「壬生浪か」
 男は侮蔑を込めて言った。斎藤の方は言われ馴れている。
「おれは羽田野弥九郎という」
 平助に似た、だが険のある眼差しが斎藤を射た。
「どうやらあんた、ここ最近ずっと平助の後を追っていると聞いた。何の用だ?」
 斎藤は、江戸で弥九郎らしき男を以前見掛けたということは伏せて訊いた。弥九郎は、鋭い眼つきのまま黙した。
「血が落ちている。もし、あんたが藤堂平助を殺傷しようと追ってるというのなら、おれはこの場であんたを斬らねばならん」
 と、斎藤は鬼神丸国重の柄に手を掛けた。弥九郎の眦が吊り上がる。
「おれはあんたを斬っても、何のお咎めもない」
「笑止」
 弥九郎は一喝した。「おれこそ平助を斬ってよい唯一の人間だ。お前に斬られる筋合いなどない」
 どういう意味なのだ、と斎藤は瞠目した。
「上意討ちである」
 弥九郎は高らかに言う。そして、呆気に取られる斎藤を鼻で笑い、
「おれこそ藤堂和泉守様の落とし胤よ」
 そう言って踵を返し、足早に去って行った。取り残された斎藤の耳に、何度も弥九郎の甲高い笑い声が響いていた。

 (一)へ
 (三)へ
 

小説目次へ
「とにかく殺す!」目次へ

本館TOPへ