(五) 市ヶ谷・試衛館

 そう語り終えた時の平助の表情は、一気に魂でも抜け落ちたかのように見えた。
「それから弥九郎は度々私に付き纏うようになりました。当時は、市ヶ谷の叔父の所に起居していました。さすがに家までは来ませんでしたが、深川の道場付近には何度も」
 やがて伊東道場では師範の精一が病を得て亡くなり、平助が通い始めた頃と同じくして志筑より脱藩し、剣法を習いに来ていた内弟子の鈴木大蔵が跡目を継ぐことになった。
 平助は前師範の遺言によって鈴木大蔵の寄弟子となった。
 鈴木は伊東姓になり、精一の一人娘、うめの婿となった。のちの伊東甲子太郎武明とは、まさしく永年の間柄となった。
「伊東先生に弥九郎のことを問われました。道場の周囲をうろついている不逞の浪人はお前の知り合いなのか?と。私は思い余って本当のことを話しました」
 すると、伊東はさすがに水戸学を修めただけのことはある英明で、その涼やかな容貌を少し曇らせて言った。
「その弥九郎とやら、狂言を被せ、お前の兼重を奪取しようとしているのではないか?」
 えっ、と平助は瞠目した。
「さる御方の血筋と言っても、些かその言葉は曖昧だが、お前の御父上は藤堂本家の傍流に繋がるという意味で、御母堂は申されたのだろう。そこを逆手に取っていい加減なご落胤説を作り、お前とは兄弟と思わせてあわよくば差料をと」
 成る程、伊東の言説は理に適っていた。平助はこの美男子にして頭脳明晰な師匠にますます敬服した。
「しかし、どうやって弥九郎をしりぞければ?あの男には大勢のやくざ仲間がいます」
「さしあたっては平助、暫くわが道場を離れるがよかろう」
 伊東の考えは、平助が暫くの間深川を離れることによって弥九郎の目も離れる、その間他の道場で修業し、姿を消したと思わせてからまた戻ってくるといい、ということであった。
「他に良策があれば、すぐにも呼び戻す」
 伊東の言葉を信じ、平助は道場を離れた。籍はそのままである。
「他所の道場を何軒かあたりましたが、何れも門前払いでした。ところが、試衛館では理由など訊かれませんでした。すぐに受け入れて頂けました」
 それだけの理由で入門した。とはいえ、その居心地の良さを直ぐに知ることとなったのは言うまでも無い。
「だが、試衛館に移ってからもついてきたのではないか?」
 斎藤は、真顔で訊いた。
「そうです」
 平助は落胆したように言った。
 弥九郎の目的は判らぬ。ひとまず伊東道場を離れて近藤勇の寄弟子という形になったが、伊東道場自体は静かになっても、平助の方は変わらなかったわけである。
 或る日、平助は意を決して弥九郎に進言することにした。刃傷沙汰にはしたくないので、勿論弥九郎一人を呼び出してである。
「あなたは上総介兼重が欲しくて私に付き纏うのですか?」
 単刀直入な平助の詰問に、弥九郎は鼻でせせら笑った。
「そうとも言えるし、そうとも言えねえ」
「この差料は亡父の形見ゆえ、簡単に手放すわけにはいきません。たとえあなたがこの刀を私達が和泉守様から盗んだなどと言おうが、歴とした証拠もありませんし、私にとっては唯一両親の遺品でもありますから」
 すると弥九郎は半ば怒り、半ば揶揄するかのような顔付きで、
「いいのかお前。そんな事言っていいのかよ。只じゃ済まねえぞ」
 そう捨て台詞を残して去ってしまった。
 平助は内心慄いた。今に弥九郎の息の掛かったやくざが押しかけてくるのではないか。内心冷や冷やしながらその後過した。
 試衛館に出入りはしていたが、格別大勢の門人や他の食客らと深く親しんでいなかったのは、その所為もあろう。妙に付き合いが深まると、却ってその人を巻き込むかもしれないと、平助は配慮したのだ。
「斎藤さんがいつの間にか試衛館に来られなくなって、永倉さんにつとお聞きしてみれば、江戸を去られたと」
 平助はふと白い顔を上げた。そういえばそうだったか、と斎藤は低く呟いた。
「弥九郎の報復を恐れていないといえば嘘になりますが、私も江戸を離れたくなったのです。叔父貴の処にいつまでも居候というのも決まりが悪いですし、伊東道場で頂戴した免許も生かせる道が無い。お上のお役に立てるような仕官の道もつてもありませんからね」
「すると、永倉さんがおれに寄越した手紙にあった将軍様ご上洛警固の有志、あれに応募したのはお前か」
 平助は頷いた。
 試衛館の面々に浪士組募集の話を持ち込んだのは、てっきり山南敬助だろうと斎藤は思っていたのだが、そうではなかった。平助の大胆さに、斎藤は急におかしみを覚えた。
「あとは斎藤さんも御存知の通りです」
 微笑を浮かべる顔がとても斎藤と同い年をは思えぬあどけなさを滲み出させていた。「魁先生」と呼ばれる気の強さは、其処からは伺い知れない。
 ところが皮肉なことに、近藤ら試衛館組が京に残留し、やがて屋台骨となって壬生浪士組から新選組となり、有名を馳せるにつれてその評判は江戸へも下って、当然羽田野弥九郎の知るところとなった。
 幸いというべきか、元治元年九月に東下して、新隊士を募っていた平助は弥九郎と出会うことはなかった。
 そして、師匠である伊東大蔵改め甲子太郎の新選組参入に至り、その周旋をしたのだが、それが仇となった。
 道場を解散し、一門挙げての上京が深川周辺の噂となって弥九郎の耳に届いたのである。
 これはいよいよ平助の名も売れてきた、と弥九郎は翌年江戸を出た。もとより素寒貧の浪々の身であるゆえ、道々様々なことをしながら半年掛かって京まで来たのである。

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