あとがき

 ご落胤説を持つ新選組隊士は、この藤堂平助と谷周平の二人である。平助のほうは藤堂和泉守で、周平のほうは板倉周防守である。
 私は何れも疑わしいと思っている。本文で斎藤一が言っているのとほぼ同じ理由でだ。何か有力な証拠があるなら信じることも辞さないが、今のところ疑問を持ったままである。どういう経緯でご落胤説が出たかはわからないが、本人がそう言ったとなるととても鼻持ちならない人物になってしまいそうなので、敢えてその説は考えないようにした。周平のほうは、兄・三十郎と万太郎とはかなり年の差があったので、その辺りに何かあるのではないかということで『浪華新選組』でその経緯を創造してみた。一方平助のほうはどうだろう、というので佩刀や深川・鈴木道場の関係などから考えたのが、この物語である。藤堂姓がどうかは判らないが、大名の家臣には宗家と同じ姓を名乗る家臣に下った分家筋が多くあって、平助の姓ももしかしたらその関係ではないかと思った。江戸幕府が開かれた当時は、本家と分家はもとは兄弟筋だったり、姻戚関係だったりして密接だが、時代を経るとそれぞれの家が分離して疎遠になる、もしくはきっちり主従関係が出来上がってしまって、過去のような付き合いではなくなる。それこそ、一方は殿様で他方は無禄という同族もあり得る。
 それにしても、何故幕府の力も脆弱になってきた今更、ご落胤なのかとは思うが、どうもそういう「貴種流離」説を喜ぶのは庶民であって、最初からそういう話があったのではなく、殆どが士分ではなかった連中の集まりである新選組内部で勝手に上った噂か、或いは江戸の頃に近所の長屋連中が言い出したことではないだろうか。もともと高貴な御身分である直参連中やそんなことは歯牙にもかけないであろうし(食うに精一杯の御家人でさえ「直参」意識は強い。生半な藩士よりはずっと格上だと誰もが思っていた)、上方の人間はむしろ武家よりも公家に幻想を抱いただろう。
 そういった点で、おそらく谷周平のパターンは就職活動のプロパガンダであって、深い意味は無いと判断した。しかし、平助は元々試衛館組(中途だが)から出発した。そこで貴種たる存在の意義はなんだったか?平助本人にさしたる意図がないのだとしたら、それはつまり新選組という組織の看板の一つであったのではないだろうか。近藤、土方は苗字を許された豪農の出身とはいえ元々の武士ではない。彼等は逆立しても生まれながらの武士にはなれない。例えば、隊士募集などで町民らに訴えるのはさぞ心強かっただろう。だが、侍を勧誘するのには同じ侍がよい。平助が貴種であるということの意義は、案外そこにあったのではないか。藤堂和泉守様のご落胤が新選組にいる。噂に聞くほど柄の悪い組織ではなさそうだ、と。直参の子息で組織された見廻組に対抗するのにも悪くは無い。
 と仮定すると、これも一種のプロパガンダであることには相違ない。ご落胤説が真であろうが虚であろうが、新選組なら、噂を利用もせずにそれだけに終わらせたとも思えないのだ。


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