第二章 雛の刺客

 (三) 再びの京都
 
「丸竹えびすに押御池、四綾仏高松萬五条……」
 辻の裏から手毬をつく唄が聞こえてきた。京の南北の通りを早覚えする為に子供らの唄だ。
「いつ聞いても、京風の唄はのどか」
 琉璃はついつい耳を傾けてしまう。
 今日もさしたる収獲は無かった。京に滞在して五日目となうr。
 まずは御用の時に知己となった人形問屋を何軒か回ってみたのだが、いずれも手応えはよくなかった。立花屋という問屋は主家が東京へ移ってしまい、琉璃の事をよく知らなかった。
 まして、前の将軍様の話など持ち出せるでもない。次に赴いた藤村堂というところは、近江大掾
(じょう)
とかいう官名を公家から頂戴するような老舗だった。
「静寛院宮様の」
 と言い出すと、琉璃を女官の一人と勘違いしたらしく、下へも置かぬ扱いとなったが、人形を購うつもりがないとわかってからは、直に余所余所しくなった。
 「ほなら、宮様は昔に御注文なされた品をご所望なんどすなあ」と、言葉の端々に憮然たる様子を匂わせる辺り、京の商人というところだと琉璃は胸中苦笑した。
 三軒目も似たり寄ったりである。
「御所様
(ごっさま)、主上(おかみ)も東京へ行かれて、京はえろうさみしおす。遷都やのうて仮住まいやと、京の者は皆思うてますが、近年なんでも東京風が入り込んで来てかなんのですわ」
 角屋という人形問屋の主人は、眉を顰めてそうぼやいた。
「ああ、えろうすんまへん。あんさんも東京のお方どしたな。けど、人形屋として言わせて貰お。なんぼなんでもお内裏はんの並びが逆やいうのはきまへんえ」
「はあ、そうですね」
 としか答えようが無い。
 内裏雛の男雛と女雛の並びが、正面から見て男雛は右にあるのが上方風である。
 これは、雛人形が天子と宮中の女官、侍従らを表すからで、天子南面の時、東の日の方向に鎮座していなければならない。それが、昨今の関東風では西洋に倣って男女の並びが逆になっているというのを、店主は嘆いていた。
 一々成る程尤もと思う事ばかりだが、肝心の昭徳院様特注雛が見付からないことには、話にならない。
 時間を無駄に費やしているような気がする。
「また大坂に戻って、道具屋筋でも探してみようかしらん」
 琉璃がそう思案していた時である。
 五条橋詰を上った旅籠町の一軒から、葛篭
(つづら)を背負った男が吐き出された。暖簾を潜って出てきた男の顔に、見覚えがある。
「伝九郎さん」
 琉璃は呼び掛けていた。
 男の背負っている物は明らかに薬籠で、着ている物も尻っ端折りに半股引といった軽装だったが、古坂伝九郎に違いない。
 伝九郎ははじめ、胡乱げに目を細めて踵を返しかけたが、琉璃に昔の同僚の面影を見出すと、俄かにその頬に笑みが浮かんだ。
「伊織じゃねえか。おい、こんな所で会うなんて」
 憚り無く昔の呼名を使う。その時点で伝九郎にはかつての枷が消えているのだと、琉璃は覚った。
 他の御庭番衆、とりわけ川村主馬などではそうはいくまい。
 近くの茶店に腰を下ろし、琉璃は伝九郎と少しばかり話をした。
 伝九郎は茶蕎麦を軽く啜りながら、「やはり蕎麦は関東さ。だが、うどんは上方だな」と舌鼓を打った。此処の茶蕎麦は悪くは無い、とも言った。
「先立っては、仕入れの関係で讃州高松に行ったがな。あすこのうどんは格別だ。大坂のとはこしが違う」
 伝九郎は、今の名を山本喜八郎といって、奈良の生薬
(きぐすり)屋の主におさまっている。
「なあに、店と言っても小さな問屋でな。婿養子というわけだ」
 そう言えば、上方御用の時、伝九郎は商人に扮装して京坂を行き来している事が多かった。その時のつてで、御一新後に上方に来たという。
「高取の生薬屋に丁度年の釣り合う娘がいて、一寸居候を決め込むつもりがいつの間にやらってやつでね。今じゃすっかり、商人の面。子供も三人出来た」
 臆面も無く話が出来るということは、伝九郎はそれなりに幸福なのだろう。
 むしろ、かつて隠密御用をやっていた時より、生き生きとして見える。
 御庭番筋の人間に限らず、直参らの命運は一部上層を除いて、大概は悲惨なものである。琉璃の境遇など、恵まれている部類だ。
 俸禄の少なかった御家人達は、警官になったり、宮づとめをせず商人に転向したりするが、武士の殿様御前風では成り立たず、忽ち夜逃げするようなことになる者もいた。
「おれは結構、商売に向いていたのかもしれん」
 伝九郎は笑って言った。
 ついさっきも、商談を終えてきたばかりだ。旅籠や商家を回って置き薬を頼んでいるという。
 伝九郎がまめな性質なので、客も増えた。置き薬というのは切らしてはならないので、頻繁に訪問して補充をしていかねばならないのだ。
「それはよかった」
 琉璃はほっとして茶を飲んだ。
「それはそうと、おぬしは京へ何用かい?」
 返答に困る事を訊かれたが、それは己から声を掛けた時点でわかっていたことだ。
 琉璃は、「宮様の用事を仰せ付かって」と、答えた。
「そうか。おぬしは御簾中様御用人だったものな」
 伝九郎は煙管を取り出すと、断りを入れて吸い出した。
「昭徳院様にも可愛がられていたからな――いやさ、何も出世を嫉んで言うのじゃあないぞ」
「それも遠い昔のよう」
「そうさね」
 と、伝九郎は紫煙を噴いた。
 琉璃は、伝九郎の手元をじっと見た。竹刀胼胝ではない、節くれだった指先の腹に堅く凝った痕が見えた。
「果たして薬問屋の手とは、こういうものだろうか?」
 訝しく思えた。
「しかしおぬしは立派なものさ。目元涼しげな美男に扮装して城中に登るってだけでも魂消るが、開城ののちもずっと幕府軍に参加していたんだってね」
 正確には脱走軍である幕府軍には参加しておらず、密偵を続けていたのだが。
「勝参議と村垣様の口車に載せられただけですよ」
「いいや、見てくれは女子でも、おぬしは立派な武士だったぜ。財産抱えて逃げ出す輩に、その爪の垢でも煎じて飲ませてやりてえよ」
 伝九郎は苦々しく笑った。そういう伝九郎自身は、瓦解の前後のことを喋らないが、琉璃の噂を人伝に聞いているところをみると、何処かに潜んでいたのだろうか。
「しかし、私は」
 琉璃は言い掛けて止めた。伝九郎に褒めて貰えるような志も今更持ってはいないし、大した人生とも思わない。
「伝九郎さんこそ、立派なお店を構えて」
「いや……」
 伝苦労は吐月峰
(はいふき)に煙管を叩き付けた。照れ笑いした伝九郎の横顔に、一瞬昏いものが垣間見えた気がした。
 だが、その日はそのまま四方山話をして別れたのだった。

 五条橋東詰を少し南に下ると、定宿がある。『安井』という旅籠で、寛永の頃から営んでいると聞く。
 実はこの宿が幕府隠密の用達であったとは、京の者は誰も知らない。
 主要都市、宿場町にはこうした宿が幾つかあって、身分を憚る隠密御用には欠かせなかった。
 琉璃が御庭番衆であることを知っていたのは、『安井』の中では主人夫婦のみだった。
「お帰りなさいまし」
 女将のちせが、にっこり笑んだ。四十半ばの愛想の良い面相だ。
「御用は済まはりましたか?」
「それがどうも、捗らなくて」
「残念どす。うっとこはなんぼ居て貰うてもかましまへんのですけど」
 ちせはそう言うが、甘えてばかりも居られない。
「ああ、それより琉璃さん。お客さんお見えですえ」
「私に?」
「ええ。若い男はんですえ」
 と、ちせは琉璃の脇を小突いた。まさか、と琉璃は厭な予感を懐に抱きつつ、二階へ上がった。襖を滑らせて、はたを手を止めた。
「よう」
 若竹色の扇子をそよがせていたのは、胡坐を掻いた松平定敬だった。浴衣に兵児帯という、どう見ても湯上り姿だ。
 そして、その隣に座丈の高い男が居る。藤田五郎だ。
「やはり京の水は東京と違う。湯が軟らかいねえ。久々にさっぱりしたよ」
「男振りも一段と上がられて」
 と、調子良く藤田が言う。定敬は扇子を使いながら、
「此処はいいねえ。鴨川の流れがよく見える。風通りもいい」
 琉璃はつかつかと進んで、定敬の前に座った。
「京見物にいらしたのですか」
「うん、まあそのようなものかな」
「でしたら、南禅寺にでも東山にでももっと御前様向きのよいお宿がありますのに」
 さりげなく嫌味を言ったつもりだが、定敬には堪えそうも無い。微笑を湛えたままだ。
「違いますよ」
 と、藤田が定敬を胡乱げに見た。
「御前様はどうお考えのおつもりか存じませんが、私は歴とした任務で参ったのです」
「警視庁の?」
「それ以外に何があるんです」
 藤田はむっとなった。
 藤田が川路利良大警視から直接その任を言い渡されたのは、二週間ばかり前のことである。
 丁度、横浜で例の本多家のお家騒動に巻き込まれた高木時尾を救った直後だった。
「おはんに京へ行って貰いたか」
 川路はいきなりこう切り出した。
「は」
「訳はおいおいわかるじゃろう。中央の水面の下のほうでよからぬ動きがある。そ奴らの手足は随分と長かこつある。こっから京まで届く」
 藤田にはよく呑み込めない喩えだった。
「三年半前、広沢参議が殺されたじゃろう。愛妾おかねが今捕まっちょるが、本当のところあん女はホシじゃなか」
 唐突な話題だったが、藤田はその事件と今回の出張に何らかの関係があることは察した。
 参議広沢真臣が暗殺されたのは、明治四年一月九日の未明である。
 麹町富士見二丁目の邸で、妾のおかねと同衾しているところを襲撃され、十五箇所切り刻まれて死んだ。
 おかねも軽い傷は受けたが、殺し手は飽く迄広沢一人を狙った。犯人は反政府、或いは反長州派の者と考えられ、様々に捜索の手が伸びたが、結局追及に至ってない。
 明治天皇からの詔書も出たが、未だに不明のままである。
「すると大警視、下手人がわかったのですか?」
 藤田が瞠目した。川路は青白い顔を曇らせた。
「そいは何とも言えん。言えんから、おはんに京行きを命じちょる」
 ますます意味が判らなくなってきた。
「ともかく、広沢殺しに限らん。そ奴らは、今迄に数々の暗殺を手掛けちょるとみている」
 それは蛇の道はへび、と藤田は思った。
 川路が以前、薩摩藩の諜報方として隠密束脩してたからの勘働きに違いない。かつて、新選組であった藤田もそう違わない。
 となると、川路の属する大久保閥と対立する筋の手合の尻尾を掴めということなのか、と藤田は漸く頭が回り始めた。
「しかし、私は京へは……」
 藤田は一寸尻込みした。
 かつて京洛で人斬りと怒れられた集団に属していたとあっては、何となく居心地が悪い。だが、川路はふん、と鼻を鳴らして斥けられた。
「おはん、京によか女子を置いてきとらんのか」
「いや、まあそれは」
 ふと、時尾の顔が浮かんで、藤田は冷や汗を掻いた。
「久々に京女を愛でるちゅうのも、命の洗濯ではなかかのう」
 と、川路に強引に推し進められて東京を離れることになったのである。

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