あとがき

 幕末に関係ないのだが、食事の時の音が不愉快だとその人の人格まで疑うような作者なので、こういう作品が出来た。
 千屋金策は安芸郡和食村(現芸西村)の生まれで、のちに葉山に移り住んだ。兄千屋菊次郎とともに土佐勤王党に加盟。文久三年(1863)五月脱藩。土居宿の手前で山中嘉太郎(岡元太郎)の介錯をして、島と井原が刺し違えて果てるのを見届けたあと、千屋金策は単身土居宿で、釈明の機会を得ようと町役人の案内に従って旅籠泉屋に入った。しかし村人の騒ぎは収まらず、千屋金策は無念の自決を遂げたという。享年二十三歳。
 岡山は作東駅の入り口に、昭和44年に建てた高さ2メートルを超える大きな石碑がある。表面に「土居四つ塚勤王烈士 顕彰碑」、裏面には「この東南約十メートルに土居宿駅の西関門があった。元治二年二月、王政復古に奔走中の高知藩士井原応輔と島浪間、岡山藩士岡元太郎はその門外で、高知藩士千屋金策はこの東二百メートルの旅宿泉屋で自刃した」などと刻記してある。
 いずれにしても、時代の流れの中で理不尽な死を遂げた彼等も犠牲者の一人として、皮肉にも名が残ってしまったのであろう。それにしても、金策できずに死んだ人が「金策」という名前なのはあまりにも酷いと思う。


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