元治元年四月、容保は一通の書状を口述していた。主君に代わって書面を認めているのは、文才名高い秋山悌次郎である。
 「いよいよですな。」
 傍らに控えていた神保が容保にそう言うと、容保はにっこり笑って答えた。
 「これだけ念入りに裏工作もしてきたことだし、間違いなくお達しが下されるであろう。」
 「越中守様は今や上様のお気に入りですから。」
 「うん、まったく。先年の江戸城での火事の時は登城一番乗りだったとか。」
 「上様も、それほど忠義の心の篤い越中守様が所司代に就かれれば、さぞやお心安らかでありましょうな。」
 「そのとおりだ。」
 主従は顔を見合わせてにやりと笑った。
 「越中守様も喜んでお受けくださるでしょうね?」
 「修理。私は定敬が江戸や国許にいる間も文通は欠かしたことがないのだぞ。あの子はいつも『兄上のお役に立ちたい』と健気に書いてきてくれる。万が一にも此度の就任を断ったりはいたすまい。」
 答える容保は強気であった。そう、容保と定敬がこの数ヶ月の間交わした文は軽く百通は越えているだろう。その全てに容保は「そなたが頼りだ」とか「そなたがいないと寂しい」とか「一緒に御公儀のために働けたらどんなに嬉しいか」などと書いていたのだ、そうやって意識下に働きかけられてきた定敬がその気になってくるであろうことを容保は確信していた。
 「この嘆願書を二条城に持っていけば、おそらくはすぐにでも定敬の所司代就任要請が下ると思う。」
 「殿、お見事です!」
 神保は大真面目に感動している。京都における政治活動では公用方には一切の策を弄するなと言った主君であったが、己の魅力を活用することは少しも厭わなかった。
 「我が藩がこれまで京都で頑張ってこれたのは、殿のおかげでございます。」
 会津藩にとって最大の味方は孝明天皇その人であった。それも初参内の時から、天皇が容保を大いに気に入ってくれたためである。
 それだけではない。過激浪士の天誅に腰が引けてしまっている奉行所の役人たちの代わりに、新選組を配下におけたのも容保あってこそといっていい。利害が一致したとはいえ、相手は出自もばらばらの寄せ集め部隊である。そういった連中に忠誠を誓わせたのはやはり容保のもって生まれた高貴さにほかならない。
 ましてや実弟の定敬を落とせないはずがない。これが会津藩士の一致した思いであった。
 「これで所司代は完全に守護職の配下に組み込まれたも同然。」
 やはり、京都守護職は新設の役職であったため、所司代との連携が上手くいかないことも多々ありもどかしい思いをしたことが幾度もあったのだが、桑名藩が所司代に就任したならばそのへんの問題は間違いなく解消されると思われたのだ。

 「えっ、我が藩が所司代……!?」
 国許にいた家老たちは絶句した。先代から任されていた京都警護だって今の状況じゃいささか荷が重いと思っていたのに、京都所司代就任などまさしく「火中に油を抱えて飛び込む」ような思いであった。
 「しかも、もうお受けしてしまったと?」
 連絡を受けた家老たちは二度絶句した。二条城でその旨お達しがあり、その場で定敬は拝命してしまったというのだ。
 「なんでも、我が藩を所司代にと望まれたのは肥後守様だそうで……」
 京都から走った来た使者からそれを聞いた家老たちは、同時に溜息をついた。
 「「「「やられた………」」」」
 もともと定敬と容保は仲がよいほうであったが、このところは異常なくらい兄弟愛が盛り上がっていると、家老たちも警戒していたのだ。盆暮れ正月の挨拶はもちろん、定敬がちょっとした風邪を引いただけでびっくりするようなお見舞いが贈られたりした。それも、藩邸にいる者以外誰も知らないだろうと言うくらいささやかな風邪でも、である。
 「絶対、会津は我が藩に間者を送り込んでいる。」
 「っていうか、その執念の方が恐ろしいですな……」
 「ひょっとして、我が藩の敵は薩長ではなく会津なんじゃないでしょうか?」
 「――だとしたら、恐るべき敵だな。」
 もちろん、彼らもこの数年後にとんでもない自体に巻き込まれるなど想像もつかなかった。

 「兄上、これからは二人で京都の治安を守っていきましょうね!」
 「頼もしいぞ、定敬v」
 こうして何も知らずに無邪気な所司代と、すべてを知った上で嫣然と微笑む守護職は、手に手を取って仲良く幕末街道をまっしぐらに駆け抜けていくのであった。
 
 
 
fin

 「水天一碧」の法華様より頂きましたクリスマスプレゼントです。フジTVの月9では「危険なアネキ」が放映されていましたが、まさしく危険なアニキです。ありがとうございました。

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