(二) 恐怖!兄上の知らない世界
<後編>
その頃桑名藩邸では、奏者番の服部半蔵正義が珍客を出迎えていた。男は屈強な行者のように見えたが、笠の下は明らかな茶髪で、目も青い。
「そのほう日本人とは思えぬが、何と申される?」
すると、行者のような姿をした男は、
「平松武兵衛と申ぅす」
「どう見たってガイジンじゃん」
「平松武兵衛でぇす」
「いいんですよ、ガイジンさんだって。京は攘夷攘夷と物騒なので、そういう格好で歩いておられるわけですな。で、何用でござるか?主は今不在であるが」
半蔵はむっつりとして、言った。すると、男は恭しく頭を深く下げた。
「平松は日本名。私の本名はヘンリー・スネル。プロシアの商人でぇす」
「エッ。貴様が『死の商人』と呼ばれているスネルか」
半蔵は身構えた。
「何かよからぬ物を売りつけに参ったのか?ならば即刻立ち去れ!」
「ちっがいまーす!商人は仮の姿。私は本当は霊媒師なのでぇす」
「ますます怪しい!出て行け」
押し出そうとする半蔵に、武兵衛は抵抗した。
「お聞きください服部様。桑名藩邸まで参りましたのは、貴藩に重大な危機が訪れているからなのです」
「そんなこと言って、プロシアの船とか高級高枝切りハサミなんか要らないぞ」
「そうではありませーん。この屋敷には開かずの間があるハズでぇす。そこから妖気を感じるのでぇす」
「なにっ」
半蔵は武兵衛を掴んでいた手を離した。確かに開かずの間は存在する。だが、内部の者しか知らないことを何故この胡散臭いガイジンが知っているのだ。
「そして、アナタ方の主であられる松平エッチュー様にも未曾有の危機が迫っているのでぇす」
「うそっ」
もしや新手の商売かも、と半分疑いつつも半蔵は武兵衛の話に引き込まれていったのであった。
二条城。黒書院の若松の間に担ぎ込まれた容保は、一刻ののちに意識を取り戻した。
「兄上。驚かせて申し訳ありません」
定敬は額づいた。容保は半身を起こしつつ、
「……いや、お前がウソなど言うわけが無い。疑って悪かった。しかし私には見えないんだが、いったいどういう霊がいるというんだい。お前には見えるんだろう?」
すると、定敬は筆と紙を取り出した。描きあがったものを見て、容保は唸った。
「うーむ。これは何だか最近巷で流行っている細木ナントカいう占い師に似てやしないかね。それにあとの十二の霊は一体何なんだ?」
「わかりませんっ。おれは只見えるだけだから」
定敬は少々ヤケ気味に答えた。それから、桑名を出る前夜の出来事から、京に着いての出来事を容保に掻い摘んで聞かせた。この遣り取りの間も、容保の周辺には背後霊が集っている。そうして、定敬が『怪奇分監』を広げて容保に見せると、
「成る程、お江与の方とな」
と、手を打った。
「敏姫との間に子が授からなかったのは、その所為なのか。すると、お前がまだ
童貞なのも、お江与の方の呪いでは」
「げっ」
定敬が仰け反ると、容保の頭上で静かに見守っていたお江与がにんまりと笑った。
(そうなのか、そうなのか!?)
「だっ、だとしたら一刻も早く成仏して貰わねばなりませんなっ。松平家の為にも」
引き攣る笑顔で定敬は言った。しかし、方法がわからない。兎も角、藩邸に戻って定猷に聞かねばならない。
さて。さらにその桑名藩邸では、武兵衛が上りこんで得々と霊の存在について半蔵に講義していたのだった。
「御覧あれ、服部様」
鳥の子紙に書かれた白地図を指して、武兵衛は朱で線を引いた。

「これが霊道というのでぇす」
「霊道?」
「そう。日本列島を縦断する、霊の通り道でぇす。京と美濃、信州、会津などに掛かっておりますねぇ」
「糸魚川溝造線のようだ」
「しかぁも。この線は桑名藩邸を取り込んでいまぁす。実にでぃんじゃらす、OK?」
「霊道があると何が起こるというのだ?」
半蔵は訊いた。
「霊が集まってきまぁす。そして、さまざまの霊が人に取り憑いて、その人を左右するのでぇす。さしずめ、孝明帝はガイジン嫌いの霊に憑かれておいでだとお見受けしました」
「成る程。して、我が殿に迫る危機とは何だ?」
「それはわかりませぇん」
武兵衛は肩を竦めた。
「それでは意味が無い」
半蔵は武兵衛を追い払う手付きを見せた。
「オー、だから想像もつかない危機を回避する為にも、ガットリング砲を購入することをお薦めしまぁす。今ならリボ払い5回の5000両で砲弾100個がついてきますよ。お早いもの勝ちの一台限り」
「うるせえ、やっぱり押し売りに来てんじゃねえか。ええい、この男をつまみ出せ!」
半蔵が襖を開け放つと、藩士がざっと入ってきた。武兵衛はいとも簡単に藩邸から放り出されてしまった。
折しも、二条城から乗馬で戻って来た定敬が、半蔵に訊いた。
「何だあの表にいた怪しいガイジンは?」
「はっ、殿。新手の押し売りにございます。霊道がどうのと言って、法外な値段の武器を売りつけようと」
定敬は半蔵から手渡された日本列島の地図を見た。
(うっ。会津と京が入ってる。こりゃあながちでっち上げとも言い切れんな)
そして平松武兵衛なる霊媒師を呼び戻そうとしたが、既に武兵衛は立ち去っていた。
定敬は深夜、開かずの間に入った。
「呼んだか、あっきー」
相変わらず馴れない呼ばれ方に悄然としながら、定敬は定猷の前に正座した。
二条城で容保に会見したことを言うと、定猷は腕組して頷いた。
「やはりな。肥後守のあの顔色は尋常ではないと思っていたのだ」
「病気で死んだあんたに言われたくはねーだろうよ」
「お江与とはまた手強い。北条政子と並ぶ悋気の双璧」
「どうすりゃいいのさ。あのままでは兄上は確実に衰弱して死んでしまう。職務どころではないぜ」
定敬の口調はだんだん横柄になっているが、定猷は気付かない。
おれの
童貞もその所為かもしれない、と言おうとして定敬はやめた。
「そちが若い男の魅力で何とかしてみい」
「無理ムリ。兄上ほどの男前でもどうにもなってねーじゃねえか」
そうか、と定猷はしゅんとなった。
「かくなる上は、春日様にお出まし頂くしかないかのう」
「春日様?」
「春日局様ぞ」
「春日局」:第三代将軍・徳川家光の乳母。秀忠の正室・お江与のライバル。家光幼き時、弟・国千代を可愛がるお江与と対立。大御所・家康に竹千代(家康)を三代将軍と言わしめた。つまり、お江与に対抗できるのはこの女傑のみ。呪い十八番は「やりてババア」。とにかく男に劣情を起こさせるべく妖力を使う。
定敬は『怪奇分監』を見ながら、これは使えそうだと思った。
「して。その春日様を召喚するのはどうやって?」
「わからん」
がっくし。
「頼りねえ」
「こう見えても、余は霊界では新参者で知らぬことが多いのでな」
定猷は言いわけをした。だが、ややあって目を輝かせると、膝を打った。
「そうだ。春日様は生来精力絶倫の徒、あるいは一族の出世頭に憑くという。或いはあの男に憑いているやもしれぬぞ!」
明けて文久三年。祝賀の儀を終えた定敬は、二条城にて御勤初めに参った。
一の間で所司代や容保に新年の挨拶をしたが、相変わらず顔色は冴えない。そして、相変わらずお江与は容保の背後にどでかく構えていた。
(ちくしょう女狐め。兄上の精力を吸い取りやがって)
定敬はにこにこしながら、胸中罵った。
その時である。一の間に新たにやってきた男がいた。襖を開けるなり、いやにきらびやかな空気が渦巻いたので、一同呆気に取られた。
「只今上洛に与り、新年の御挨拶に参りました。将軍後見職の一橋慶喜にございます!」
はきと物を言う、その白い歯が光っている。容保が女形に向く顔立ちなら、此方は二枚目を張るといっていい明眸皓歯。
(なんなんだよこいつ。そういや一度江戸のお城で見たっけな)
定敬はむっとした。一橋慶喜は水戸の烈公・斉昭の息子で、一度安政の大獄で失脚し、前年五月に漸く後赦免になって一橋家を継ぎ、あれよあれよという間に将軍後見職になった男である。そのくらいの予備知識は、定敬にはあった。
(それにしちゃケーハク)
と、己を棚に上げていきなり悪印象さえ抱く。だが、
「エッ」
定敬は思わず声を上げた。その軽薄才子慶喜の肩にしっかと両手を置いている霊の姿が見えたのである。
(か、春日局だっ!)
『怪奇分監』に描かれていた通りの、下膨れのアバタ面の中年女が其処にいた。そして、能面のような氷の微笑を湛える容保のお江与と睨み合う。
[アラこんな所で御台様。いったいどなたにお憑きになっておられたかと思えば、そんな病気持ちのヒヨワなお坊ちゃまなんて]
と、春日局がせせら笑えば、お江与はだんまりを決め込んだまま、物凄い三白眼で睨み返す。
[いっときますけど、うちの慶喜には絶対将軍様になって頂きますからね。そして、たくさんお子を作って慶喜家安泰ですわよ]
春日局は言いたい放題を言う。お江与も負けてない。
[ふん]
と、短く罵ると、春日局の胸倉を掴んだ。二人ともがっぷりよつである。
定敬は呆然と二人の対峙する姿を見詰めていた。常人の目には、単に一橋慶喜と松平容保が相互に恭しく新年の挨拶を交わしているだけにしか見えない。だが、定敬にはまるでゴ○ラVSキン○ギドラのような白熱する二つの霊の闘いが臨場感を持って見えていたのである。
(すっげえ!こりゃどっちが勝ってもおかしかない。……いや、どっちかじゃ困るんだっけ。お江与に出て行って貰わないと兄上が弱るし。でも慶喜側が勝つのは面白くないしなー)
いや、どっちを応援する気だ。
しかし、この時文久三年一月五日。この会見がのちのち大きな危機を生むことなど、十七歳のいたいけな
童貞・松平定敬にはまだ予想出来なかったのである。
(2)<前編>へ
(3)<前編>へ