(三) 恐怖!孫八郎の茶飲み友達

 <前編>

 再び桑名。文久三年二月中旬のことである。定敬は桑名藩士ともども、京に行ったり江戸に行ったりの大忙しの中、将軍・家茂が上洛の為、身辺警護の任に当たることとなった。京に先乗りして物騒な輩どもを追いやってしまえということで、駆り出されるのである。
 そして、定敬が上洛途中、桑名に滞在するというので、家臣一同出迎えた。
「殿ッ!」
 まるで仔犬のように、立見鑑三郎が駆け寄ってきた。が、定敬の目には鑑三郎の眉がやはり動いて見える。
(「ゲジマユ」かァ。どうもアレには馴れないなァ……)
 と思うものの、当の鑑三郎は満面の笑みを湛えているので可笑しい。
「よくぞ御無事で」
「まあな」
「ところで、殿。お人払いを……」
 鑑三郎はそっと声を落とした。
(エッ。何だよ。そんなイキナリ。また他の家臣らが怪しむじゃねえか)
 只でさえ「殿は鑑三郎にご執心である」とか「鑑三郎の想い人は女子ではのうて、殿お一人だ」というありもしない噂が聞こえてくるのだ。
「誰か人がいるとダメなのか?」
 定敬は咳払いをした。鑑三郎は首を大きく縦に振った。仕方ないな、と定敬は奥の間へ鑑三郎を招き、後手に障子を閉めた。
 おもむろに鑑三郎が懐をはだけた。
「なっ」
「御覧下さいませ、殿」
 鑑三郎が差し出したのは、立派な胸毛……ではなく『長枕褥合戦』であった。
「おお!」
 定敬は思わず興奮してしまった。
「何処にあったんだ?」
「昨年、京に御出立の際、殿が落としていかれたものですが。内容が内容だけに他の家臣に見られては拙い、とそれがしが韜晦しておりました」
「いやー助かった、助かった。ずーーっと探してたんだ」
「もー。殿ったらそそっかしいんですから」
 微笑ましい主従関係によって、定敬は漸く京からの懸念を解決することが出来たのだった。
 ややあって。
「殿」
 酒井孫八郎が挨拶にやって来た。孫八郎は色白の美丈夫で、定敬より一つ上、服部半蔵の異母弟である。半蔵も色白だが、柔和な孫八郎に比べると剃刀のような趣がある。
(あれ。孫八には背後霊が一つもない)
 定敬は不審に思った。いないのが普通なのだが、既に藩士らの十中八九が何らかの霊や妖気を纏っているのを目の当たりにしていると、不思議に感じられるのである。
「ところで、殿。殿にお目通りお願いしたくやって参った者がおるのです」
 孫八郎は白い頬を紅潮させながら、言った。藩士の誰もがこの孫八郎のもじもじしたいじらしい表情を見ると、心臓をきゅっと掴まれたような心地になるという。「おれってもしかして男色の気があったのでは?」と思わせるような無意識の媚態があるのだ。
 そして、定敬も例外ではなかった。
「接見?別にいいけど」
 気安い殿である。
 さっそく孫八郎はくだんの客を連れて謁見の間に現れた。
 孫八郎の隣に並んで座ったのは、何の事は無い只の老婦人であった。いや、かなり趣味の悪い袷にどぎつい化粧に今時どうかと思うような天上眉であった。
(何者?)
 定敬は訝った。孫八郎は許されて面を上げた。
「これなるは、細見新右衛門と申す浪人にございます」
「へ?」
 定敬は眉を顰めた。孫八郎は続けた。
「江戸は桃井道場で免許を持つ腕前ですが、先々代より浪人して久しく云々」
 要は剣術指南役などで取り立てて欲しいというようなことだ。酒井は何処でどう知り合ったのか、新右衛門と親しい。
 定敬は黙って聞いていた。その間、同席の鑑三郎の様子を窺うも、別段新右衛門を不審がる様子もない。
(何でこのババアが細見新右衛門とかいう名前なんだ?女子が浪人もヘッタクレもないし、男であるはずが無い。こりゃまた……)
 怪異に違いない。
 定敬はこっそり『怪奇分監』を開いた。だが、該当の妖怪や幽霊がいない。
(エッ?そんなわけないし。何で?)
「如何でしょう、殿?」
「おれ一人の所存では決められん。皆を呼んで会議にかけてくれ」
 定敬は当たり障りの無い返答をした。
 無論、時間稼ぎである。しかし、自室にこもってみても肝心のみっちーこと定猷は現れない。どうやら本日は休業のようである。
 どうしたもんかとこっそりババアの後をつけてみる。だが、擦れ違う誰の目にもババアは細見新右衛門に見えているらしい。しかも女中が頬を染めているところをみると、細見は結構な男前のようだ。
(くっそー。誰か気付けよ)
 ババアが城内をうろついて四半時、二の丸濠の河岸近くに出た。尾行しているうちに隅櫓のほうまで来てしまった。すると、河口から呼び声がする。定敬は塀から顔を覗かせた。十石船が浮かんでいて、そこから怪しげな僧形の男が叫んでいた。
「エッチューの守さま!アナタのお城に危険が迫っておりまーすぅ」
「如何にもおれが越中守だが、何だお前は?怪しいガイジン」
 定敬は答えた。男は編み笠を脱いで頭を下げた。
「エドワード・スネルこと平松文兵衛ともうしますぅ」
「どっかで見た顔だなー。あっ、お前こないだ京で桑名屋敷の前をうろついてなかったか?」
「オー!それは兄の武兵衛でぇす」
 言われて見ればそうかもしれない。桑名屋敷の前にいた男よりもやや若いし、長髪だ。
「お前も何か押し売りに来たのかっ?」
「違いまーす。わたしも御覧の通り、さすらいの霊媒師でぇす。たまたま通り掛ったところ、お城の方角からイヤな気配を感じたのでお呼びしたのです」
「もしかして、ババアが見えるのか?」
「霊媒師ですから。でも、お城の皆さんにはただの優男に見えてますねぇ」
「どうしたらよいのだ?」
「これを!」
 文兵衛は張子の虎を定敬に投げ渡した。
「何じゃこりゃ」
「それは一見、ただの張子の虎ですが、実は妖怪に近付くと首が必ず触れる『タイガース1号赤星くん』でぇす」
「張子の虎はいっつも首が揺れてるじゃねえの」
「それはそれはこんな風におそろしい速度で触れるのです」
 文兵衛はがくがくと首を上下に振り始めた。
「わ、わかったからさ。もうやめなってば」
「オー!止まりません」
 文兵衛はそう言うと、ふらふらになって十石船から落ちてしまった。船頭が慌てて竹ざおを差し出すが、文兵衛は泳げないらしくもがいていた。
「ま、気休めに使ってみっか」
 定敬は礼も言わずに『タイガース1号赤星くん』を握り締め、急ぎ御殿に戻った。
 
 御用間に入ると、既に家臣は揃っていた。定敬は、一通り家臣を眺めつつ上座に座った。本来は会議に加わる必要がないのだが、こればかりは家臣の取り決めに従うわけにはいかない、と定敬は後手に張子の虎『タイガース1号赤星くん』を隠して成り行きを見守った。
 くだんの細見新右衛門は、しゃなりとした顔で御前にある。といっても、定敬の目にはしっかりババアの様相に見えている。孫八郎は、にこやかだ。鑑三郎は相変わらず動く眉毛を乗せたマヌケ面である。
(てめーくそババア、絶対この場で正体ばらしてくれる)
 定敬はつとめて冷静な顔を作った。しかし、根が馬鹿正直なだけに口許が引き攣ったままであった。
 細見新右衛門の身上が述べられ、孫八郎が他の家臣にあれこれと説明している。やがて、新右衛門の実際の腕前を披露してみせてくれということになった。
「してお相手は?」
「挙手で募ってみましょうか」
 ということになり、一斉のせっ、で家臣一同手を挙げたのであった。
「「「はいっ」」」
 挙手したのは、立見鑑三郎、その兄の町田老ノ丞、そして……定敬であった。
「と、殿……」
 家臣異口同音に呟いた。
「正気にございますか?中村屋のアンパンや虎屋の小豆羊羹の取り合いではないのですよ」
 と、孫三郎が言う。
「馬鹿をいえ。虎屋の羊羹なら全部おれのものだ。ついでに浜松のうなぎパイもな。あれはVSOPが美味いのだ」
 定敬は立ち上がった。そして、左手で『タイガース1号赤星くん』を隠しつつ、右手指でババアを指差しながら、
「立ち会え!おれはこう見えても直新蔭流免許皆伝だ!おまけだけど」
 と言ったまではよかったが。定敬は間違って『タイガース1号赤星くん』を持った左手の方を突き出していたのだった。
 家臣一同唖然とした。張子の虎はマヌケに首を振っている。
(しまった!かくなるうえは)
 定敬はずかずかと歩いて、新右衛門の目の前に『タイガース1号赤星くん』を突きつけた。
 すると。
 ガガガッガガガガガガアア!
 目にも止まらぬ速度で『タイガース1号赤星くん』の首が振動した。あっという間に、赤星くんの首はもげ落ちた。
「うおっ」
 定敬は、その瞬間見た。新右衛門がババアの正体を現すのを。
「「「「「ああっ」」」」」
 誰もが絶叫した。しかし、それも束の間であった。家臣一同の動きが止まった。ババアの妖力である。
「み〜ぃ〜た〜なぁ〜」
「なんだと、くそババア」
 定敬は首がもげた赤星くんを投げ捨てた。
「フン。童貞にババア呼ばわりされる筋合いはないわ」
 ババアは忌々しく笑った。定敬は覚えずよろめいた。ババアの悪口攻撃に一本取られた。
「ちくしょう。お前何の為にこの桑名城に侵入しやがった?」
「あったりまえよ。『ドキッ!男だらけの桑名城。その手は桑名の焼きハマグリ』って聞いたからに決まってんでしょーが」
 ババアはふてぶてしく言った。
「なんじゃそら、『ドキッ!男だらけの桑名城。その手は桑名の焼きハマグリ』てのは?」
「この男から聞いたのよ」
 と、孫八郎を指差す。
「ネーミングセンスの無い男め」
 と、定敬は呟いた。しかし、余談であるがスネル兄弟の日本名命名は実は定敬の兄・容保であり、定敬自身ものちに変名する時、そのセンスのなさを存分に発揮するのであるが、それはいずれまた。
「来てみりゃなかなかいいところね。孫八郎は男前だし、鑑三郎とやらも眉毛はおかしいけどいい体してそうだし。あんたはまだまだネンネだけどね」
 言わせておけば。だが、定敬には打つ手がなかった。ババアは既に妖力でもって家臣を洗脳してしまったようであった。
 このままではババアのハーレム化してしまう。危うし桑名藩。

 (2)<後編>へ
 (3)<後編>へ

 

小説目次へ
「とにかく殺す!」目次へ
所司代TOPへ

本館TOPへ