(三) 恐怖!孫八郎の茶飲み友達

 <後編>

 こうしてババアが桑名城に居ついて数日が経った。既に家臣は殆どババアの言いなりであった。
 ババアが肩を揉めと言えば、すぐに二、三人の小姓が駆け寄る。「中村屋のアンパンが食べたい」といえば江戸まで早飛脚が出る始末。
「どちくしょう。おれがあんだけ春季限定うぐいすアンパン食いたいって言った時も、クール宅急便は経費の無駄使いですから、とぬかしやがった癖に。おまえら今度の上京土産に鶴屋吉信の京観世を買ってきてやろうと思ったが、ヤメだヤメ」
 食べ物の恨みは恐ろしい。
 定敬は、三度の食事すら自分で厨房へ取りに行くという前代未聞の放置具合であった。無論、いつも小姓がついでくれるご飯やお茶も一人で入れている。
 廊下を通り掛っても、厠に行っても、風呂に入っても誰も定敬に注意を払わない。
「何だこの扱い?おれってやっぱり万之助(定猷の息子・初姫の異母弟)が成人するまでの期間限定藩主だからか?」
 定敬は一瞬蒼褪めた。だが、持ち前の前向きさで暗い考えを払拭する。
「うーん。このままじゃあ着替えが何処にあるかもわからない。早く皆をババアから引き剥がさないと」
 『怪奇分監』を見ても、
 「妖怪ババア」:見たまんまの只の厚化粧ババア。しかし人心を掌握する催眠術とふてぶてしさが得意技。ときどき他人に化けて、和気藹々とした家庭や藩などに入り込む。一時的にほのぼのムードが漂うが、やがて破滅に追い遣るために取り憑かれたらただちに除去すべし。
 とだけあって、肝心の退散方法が書かれていない。
 おまけに中庭を見ると、くそババアと孫八郎が特上の玉露を飲みながら縁側でにこやかに談笑しているではないか。
「おれの家臣なんだぞ、孫八郎は。だいたい孫八郎も妖怪につけ入られるのが甘いんだよ」
 つけ入られる、というところで定敬ははっと虚を突かれたような気がした。
(そうか。孫八郎の体質は妖怪を引き寄せるということか!どうりで幽霊が憑いていない筈だ)
 だとすれば、孫八郎の妖怪引き寄せ力を下げ、ババアに幻滅させるしかない。
 定敬はさっそく作戦に出た。
「おい、孫八郎」
 定敬は孫八郎を呼びとめ、ババアの目の前で折った割り箸を鼻の穴に突っ込んだ。孫八郎は涼しい顔で言う。
「はひははるんへすか、ほの(何なさるんですか、殿)?」
 だが、ババアは笑いもせず、嫌な顔もしない。孫八郎にしがみ付いたままである。孫八郎は何食わぬ顔で割り箸を取り去ると、
「忙しいんですから、そういうやんちゃは後回しにして下さいまし。大体、殿は幾つにおなりになられましたか?」
「十八かなァ」
「……フッ(童貞)」
 孫八郎はそう言うと、すたすたと去って行った。定敬は、少なからぬ衝撃を覚えた。もじもじして可愛げのある孫八郎がすっかりババアの毒気に当てられて、すかした男になってしまったようだ。
(ちっ。作戦失敗か)
 定敬はめげずに次の手に出た。
「おおい孫八郎。こっちこっち。いいもん見せてやるから」
 と、呼び出し、書院に押し込んだ。畳の上狭しと並べられていたのは、何と春画ばかりであった。孫八郎も只の助平な男だというのをババアに見せて幻滅させようという魂胆である。
「無修正だぞ、孫八郎。お前も好きだろう?こっちは舶来ものだぞ」
 定敬はほくほくして言った。この蒐集品は何故か蔵に隠されていたのだが、それを集めたご先祖も兎も角見つけた定敬も童貞のくせになかなかの助平である。
「……殿。お言葉ですが、こういうありもしない大袈裟なものを信じてはなりませぬ。これだから童貞は困りますね」
 孫八郎はきっぱりと言った。そして、矢立を取り出すと、ささっと墨で春画の局部を塗り潰したのであった。
「ああっ。何てことすんだよ、せっかくの蒐集品が」
 おれのオカズが。だが、後の祭りである。孫八郎もババアもそそくさと去ってしまった。取り残された墨汁跡も生々しい春画を掻き集め、
「くっそう。かくなるうえは、ババアぶっ殺す!」
 定敬は誓ったのであった。
 さて。定敬は新たに計画を練り直した。やはり毒には毒をもって制す。
 定敬は藩御用達の網元・魚重楼(注・今も実在します)を呼んだ。そして、注文の品を受け取るとおもむろに割烹着を着込み、厨房に立った。
「まあ、殿如何なされたのですか?」
「明日は遠足ですか?」
 などと女中どもは口々に言うが、誰も本気で止めようとしない。これもババアの影響であろう。定敬は御蔭で作業に没頭することが出来た。
「ふむふむ。『尾張名古屋の必殺必罰シャチホコフリャー』の作り方。
 [四人前] どでかい海老だぎゃ・四尾  天ぷら粉…ナメクジ・2匹  カマキリの卵・一個  朝食りんごヨーグルト1個  ベビースターラーメン・1袋  らっきょう3粒  アフリカツメガエルの目玉・4個 猫の毛・ひとつまみ 荒気酒・大さじ二杯 アンキモ一匹分 作る人の唾液・少々」
 定敬は料理本に従って、天ぷら粉を作った。成る程見た目は豪華な海老の天ぷらに出来上がった。何しろ、海老は伊勢湾で取れた伊勢海老なのだ。
 定敬は、手ずから出来上がった『尾張名古屋の必殺必罰シャチホコフリャー』をいそいそと御用間へ運んだ。
「殿、お呼びかと思えば何ですかそれは。ただの海老の天ぷらではありませんか」
 待ちかねていた孫八郎が憮然として言った。ババアも勿論同席している。
「ただのとは心外な!これは尾張本家に伝わるシャチホコフリャーだぞ。尾張分家である我が実家の高須家にも代々伝わっている。それを、おれが留守中よく頑張ってくれているお前に労いをこめて振舞うのだ。黙って食え」
 定敬は一喝した。そう言われると、孫八郎もいやとは言えず、黙って口を付けた。
「さくっとした歯ごたえですね。うん……むぐっ。むむむむっつ!」
 孫八郎は飲み込もうとして出来なかった。
 シャチホコフリャーの味の不味さに、思わず噴出してしまったのである。そうして、孫八郎はその場に昏倒してしまった。
 ババアも同様であった。だが、こちらはシャチホコフリャーを吐き出すや否や、一目散に城内を出て行ってしまった。
「やたー!!」
 それにしても、恐るべし『尾張名古屋の必殺必罰シャチホコフリャー』。悪い家臣へのお仕置きに使ったり、或いはもっと世の中を動かすような大層な悪事に使うという。さすが御三家、と定敬は感心した。養子に来る時に実家から持たされたわけの判らない文献もこれで役に立った。
 数刻経って目覚めた孫八郎は、
「ああっ。私は何してたんでしょう?あれっ、殿」
 定敬は満面の笑みを湛えながら言った。
「おぬしは悪い夢を見ていたのだ」
「でも何だか殿に対してものすごく失礼なことばかり口走っていたような気がいたします。童貞とか童貞とか童貞とか」
「いっ、いいんだ。別にっ」
「申し訳ございませんでした。童貞とか申しましたこと」
「……ああ」
 定敬は、床の中で目を潤ませている孫八郎を見ると、胸がきゅんきゅんして、ババアの事は黙っていようと決心したのであった。持つべきものは可愛い家来である。そして、漸く定敬の待遇も改善され、桑名藩の危機は未然に救われたのであった。
 
 やがて定敬は上京し、藩邸に入ると桑名城での出来事を開かずの間に報告に行った。
 すると、
「やるじゃないか、あっきー!さすが婿どの。惚れ直したよ!」
 幽体の定猷が抱きつこうとする。定敬は適当にいなして、
「あんたが留守だったから」
「仕方ないんだよ。新参者だから霊界の使いっぱしりばかりさせられてさ。井伊掃部頭様でさえ、明智光秀の肩揉みさせられてるんだよ」
「別にいいけど、ババアはまたどっかに行って一家団欒をブチ壊してるんだろ。おれだけ追い払ってもなァ」
「そのことだけどね」
 と、定猷は言い難そうに小声になった。
「霊界の噂では、ババアは次に京に在留の会津藩に潜り込んだらしい」
「エッ!」
 危うし兄上。定敬は急いで開かずの間を出るや、馬を駆って黒谷・金戒光明寺まで馳せ参じた。だが参道を急ぎ駆け上ると、何やら絶叫を上げて向かってくる者がいた。
「げっ!妖怪ババア」
 定敬は咄嗟に首の取れた『タイガース1号赤星くん』を構えた。
 だが予想に反して、ババアは定敬の脇を素通りして逃げて行った。
「うわああああ!何でここでもあのシャチホコフリャーが出てくるんだい!?あたしゃもうこりごりだよー」
 見上げた先には、黒谷さんの石段の手前に白装束の兄・容保の姿があった。
「ゼイハア……見たか妖怪め……」
「あっ、兄上」
 鬢は乱れ、裾もはだけて白い脛も顕な容保の右手には、首の取れた赤ベコと思しき物体が握り締められていた。まさしく『タイガース1号赤星くん』の姉妹品、『バッファローズ1号赤ベコくん』であろう。平松武兵衛、文兵衛兄弟の名付け親である容保が持っていても、何ら不思議は無い。
 紛れも無い、異母兄の容保もまた会津へ養子に行く際、『尾張名古屋の必殺必罰シャチホコフリャー』の作り方を伝授されていたのである。炯眼に値するは、今は亡き兄弟の父・義建であった。
「兄上!」
「定敬!」
 そうしてここに容保・定敬の高須兄弟の結束は極まった。たとえ何があろうとも、お互い決して裏切ることはない、と。皮肉にも、血縁、姻戚の不和をもたらす妖怪ババアが、兄弟の固い絆を深めたのである。

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