(六) 怪談!傾城幽霊ともえ

 <前編>

 元治元年の秋である。所謂「禁門の変」も終り、幕府は喧々囂々の長州征伐会議のあと、いよいよ長州を攻撃せよ、との命令を各藩に下したのであった。
 桑名藩も会津藩とともに禁門の変では御所下立売御門前を死守し、その勢いでさっさか長州を降伏させてしまえと息巻く様相であった。
 そんな時期も時期。
 五条新町の宇和島伊達屋敷付近で一人の男が殺害された。
 こういう御時世であるので、よくある浪人同士の刃傷沙汰であろうと片付けられるところだが、実はこの男、宇和島藩士の常呂山という若い小姓であった。さっそく遺体の検分をした奉行所によると、不思議なことに常呂山の身体に外傷はなかった。しかも、死体はえもいわれぬ微笑を浮かべていた。
「調べてみますと、その常呂山という小姓、童貞だったそうです」
 定敬宛てに、奉行の滝川讃岐守からの報告があった。兄上の病弱につきあったり、慶喜とバトルしたり、帝の宇宙人騒ぎに首を突っ込むだけでなく(※前回「戦慄!帝好みの宇宙人」)いちおうこういう事件を扱うのも所司代の職務であるので、定敬は忙殺されまくっていた。
 報告書を見ると、
「ふむふむ。常呂山太一郎、十八歳・童貞。宇和島藩主・伊達宗徳付小姓。死因は不明。当日申の上刻から酉の刻まで四条東洞院の商家に招かれていた。同僚が証言。そののち、単独にて藩邸へ帰る途中殺害されたと思われる」
「若いのに卒中でしょうか。それとも浪士に脅されてショック死とか」
 と、服部半蔵は言った。
「かわいそうに!童貞のまま逝ってしまうなんて!」
 定敬は他人事とは思えない。
 しかし、翌日もまた、さらに翌々日も似たような報告書が所司代屋敷に届いたのであった。
「今度は肥前平戸藩浪士、五島新右衛門、十七歳・童貞。死因は不明。唐津藩の某に誘われて攘夷運動の為に上京。当日は唐津藩邸に所用で出向いた帰りであった。その次は新選組の平隊士、野々村四十郎、十六歳・童貞。死因は不明。当夜は八番組の見廻り中、七条堀川下る油問屋の前に変死しているのを同組の者が発見」
 どうも尊攘派浪士の仕業とも言い切れないし、幕府方の者が起こしているともいえない。
「しかしやはりいずれも死に顔には微笑が浮かんでいたと」と、半蔵。
「なんだろうなァ、この死に際の微笑っての。気になるなァ」
 定敬は暢気ながらも、実に的確な指摘をしていた。
「それにしても殿。被害者は皆童貞ですよ」
 半蔵は不吉な事をズバリ言った。
「それがどうかしたのか?」
「いえ……殿もお気をつけ下さいますよう」
「余計なお世話だ」
 定敬はそう答えたものの、内心ちょっとばかりびびっていた。
(でもまさか所司代屋敷に忍び込んで来られるわけはあるまい)
 と多寡を括っていたのではあったが。
 その晩。
 業務を終えて、漸く就寝に就いた定敬を揺り起こす者がいた。
「まっまたかよ、菊世どの!今日はもう疲れたんだよ、寝かせてくれよ。所司代の朝は早いんだよ。もお〜。二人で麻雀は出来ないよっ……」
 ふと薄目を開けると、そこには太夫姿の女がしゃなりと立っていた。背が高い。
「……あんた誰?」
 定敬は跳ね起きた。なかなかの美形だが、そんな芸妓なんか呼んだ覚えは無い。
 太夫は青白い顔で定敬を見詰め、
「……あんはん童貞の匂いがおしやす」
「おっ、お前なのか、連日連夜の童貞殺人犯は!?」
 太夫は黙っていた。そして、おもむろに衣裳を脱ぎ出す。
ちょ。ちょっとまったあ〜
 心の準備が。いや、そんなものは体もろとも毎日準備万端なのだが、相手はどうみたって生身の女とは思えない。
「あんた幽霊じゃねえのか。やだよ、おれ。やさしくリードしてくれる生身の女がいいんだよ。まだ菊世さんにも身を任せた事が無いのにっ!」
 支離滅裂な事を叫びながら、定敬は布団を跳ね除けて刀掛の佩刀を掴むと障子を蹴倒し、廊下へ出た。
「出あえ出あえっ。曲者じゃあ〜」
 と叫んでみたが、あたりはしーんと静まり返っている。
(しまった!長州征伐の関係で鑑三郎も十左も皆出払っている)
 残っているのは、半蔵のみであった。だが、その半蔵も反応がないところを見ると寝入っているのか。
 それにしても徒士も出て来ないとは、定敬も舐められたものである。というよりは、定敬の性格が禍していた。前のババア騒ぎの時のように突然大騒ぎしたり、とかく落ち着きが無いので家臣たちは「また殿のオイタがはじまったぞ」くらいにしか考えてないのである。
 定敬は廊下を走った。
 そして、開かずの間に辿り着いた。襖を開け放ち、奥の物置の中の位牌を取り出す。
「おおい、出てきてくれよみっちー!おいってば!」
 太夫はすぐそこまで迫っていた。既に赤い襦袢姿である。
「おおおいいっ!助けてくれよ!何とかしてよ義父上!」
 きっとこの京都所司代の身も世も無い狼狽ぶりを見たら、尊攘過激派は物笑いの種にするであろう。しかし、何しろ童貞を失った途端に死ぬ。最悪だ。男として耐え難い。
 もしかして、この時の事件を思い出したくないがために定敬は後年、京都時代の資料を焼いたのではなかろうか。
 すると、位牌がカタカタと動き出し、定猷が現れた。
「何を騒いでおるんだあっきー。……あれ?そこにおるのは、ともえではないか?」
 太夫姿の女幽霊は血相を変えた。といっても青白い顔がさらに白くなっただけだが。
「ともえ?知り合い?」
「ああ」
 定猷は頷いたのであった。
 
 島原遊郭といえば、太閤秀吉以来の格式高い遊郭。最高位の太夫がつける襟の色は禁裏に入ることを許された緋の色である。
 安政五年六月。松平定猷は京都警衛役を仰せつかった。
 初めて赴いた千年の都。初めて足を踏み入れた傾城の地・島原で定猷はともえに出会った。
「巴太夫にございます」
 京都赴任歓迎会で招待された揚屋に現れたのは、顔立ちの大人びた美しさもさりながら、並の男なんか問題にならないすらりとした上背の太夫であった。
「名前の由来?そうどすな。おかあはんが『あんたでかいし巴御前みたいやな』いうて、ほら」
 と、巴太夫ことともえは御膳を十五個重ねて持ち上げる怪力であった。
「ともえ、御膳。うーむ、巴御前か」
 定猷は一目惚れしてしまった。こんな頼もしい女がいるなんて。定敬は、定猷の女の趣味がよくわからない。
 それから京都にいる間、ほぼ毎日のように定猷はせっせと島原へ通うのであった。
(おい。まさか、それで藩の財政が逼迫したんじゃあ)
 いつしか定猷とともえは、男女の仲になってしまった。
 しかし、それも長くは続かなかった。定猷は間も無く江戸に帰らねばならず、
「待ってておくれ、ともえ。いつかお前の身を落籍する。それまで少しの辛抱だよ」
 などと言って二人は別れたのであった。
(別に他人の恋路をどうこう言いたくはねーが、何かムカつくな)
 とはいえ、のちに定敬もその水戸家の血を引く助平さをいかんなく発揮するのだが、それはここでは言及しない。
 ところが。
 江戸に戻ってみれば定猷は病気にかかって呆気なくあの世に行ってしまい、ともえはいまやいまやと落籍を待っていたのだが、ついにその便りは届かず、つと島原から姿を消してしまったのである。
「そもそも荊の道の恋であった……」
 定猷は涙目になって言った。
「恋とはそういうものだよ!あっきー。殿様と傾城という身分の垣根。江戸と京という遠距離。障壁が大きければ大きいほど燃えるものなんだよっ」
「別に熱く語られなくてもいいんだけど」
 とにかくそういう次元ではない、ただやりたい一心の童貞の定敬に何を言っても無駄だとわかった定猷は、襟を正した。
「どのみちともえにとっては、苛酷なことをしてしまった。落籍したとて妾の一人にしかなれないのだからな。それにしても、死んでからも気懸りではあったのだ」
「だったら何とかしてくれよ。成仏出来ずに毎晩童貞を襲うなんて。おれ、あんたと義父子どんぶりになっちゃうじゃねーか」
「それも悪くは無い。あの世で二人語らおうじゃないか」
「おれはイ・ヤ・だ」
 死んでどうする、死んで。桑名藩の危機を救う為に、って言ったのはあんただろと定敬はむっつりした。
「じゃあ、てっとりばやく、あっきーが童貞を失えばいいのだ」
「いやそれじゃあ解決になんないだろ。おれ以外の童貞はどうなる?いったい京の町に他に何人の童貞がいるんだよ」
 少なくとも桑名藩には藩主以外、れっきとした童貞はいないが。
「それもそうだ」
 定猷の頼りにならないのは今に始まったことではないので、定敬は諦めた。
 兎も角、ともえをおびき出して説得するのが先決だということになり、定敬は島原に赴くことになったのであった。
 島原では、所司代様がお越しになるというので丁重なお出迎えがなされた。
「あれが噂の所司代様。イヤン、若いわぁ」
「童貞ですって」
「あらカワイイvでも兄上様のほうがずっと男前よね」
(うるせえよ!お前等兄上のメイド姿見てたまげんなよ)
 みちみち客や使用人の好き勝手な囁きが聞こえてきたが、定敬は公金使ってキレイどころを集め、とりあえずご満悦である。供は半蔵であった。例によって、半蔵は「心眼」で定敬にどの娘が巨乳なのか指し示していた。
「京娘の巨乳番付を作ったら売れそうだなァ」
「それを藩の財政に投入するのは些か気が引けますが」
 半蔵は渋い顔をした。殿の言うことは前進的であながちアホではないのだが、くだらない事ばっかりである。そこが可愛いといえば可愛い、と半蔵は思うのであった。
 やがて宴もたけなわの頃、半蔵が、
「殿。新選組の土方歳三がご挨拶に来ておりますが」
「何の用かね、土方くんは」
 定敬は偉そうに土方を呼んだ。土方は膝で進み出ると、白皙を上げた。
「は。実はうちの宴席に呼んでもいない太夫がおりまして。問い質してみれば、越中守様のところへ来たつもりが間違えてしまったのだとか」
「ふーん。でも頭数は足りてるよ。誰なんだよその太夫って?」
 すると、襖の陰から現れたその太夫の姿に、定敬はぎょっとなったのであった。

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