(七) 怪奇!呪いの白拍子

 <前編>

 元治元年の暮れも押し迫った頃である。第一次長州征伐が終り、立見鑑三郎以下十二名の藩士も戻り、水戸天狗党の乱も平定してほっと一息ついた年末。一息ついたハズであったが……。
「初姫様!廊下を走ってはなりませぬ」
 襖越しに山脇十左衛門の声がする。
「初姫様!それは素槍です。そんな危ないものを持って走ってはなりませぬ」
「長州征伐ごっこよ!十左お前も相手をせい。えいやあ!」
「ひっ、姫様。あーれー」
「腰抜けめ!それでも奇兵隊か。そんな侍は、この桑名藩士がなますにしてくりょうぞ〜」
 ガラッ。襖が開いた。
「うるせえ!」
 仁王立ちで現れたのは、額に青筋立てた十九歳・童貞の桑名藩主、松平定敬であった。
「あっ、殿ォv」
 初姫が定敬に抱きついた。
(何が「殿ォ」だこの……)
 と定敬は一瞬思ったが、初姫の愛くるしいぷっくりしたほっぺたがむにーと定敬の頬にくっついてきたので何も言えなかった。婿養子だからである。定敬は、初姫の華奢な身体を下ろして、
「初っちゃんさぁ、もう来年で九つになるんだからいい加減ナントカごっことかやめなよ」
「いや〜」
 むうー、と餅みたいに膨れっ面する初姫は、イヤイヤをした。
「殿が初のお相手をしてくれないからよ!だから十左にして貰ってただけよ」
「はっ、初姫様ぁ〜」
 廊下には、腰をさすりながら這い蹲る山脇の姿があった。その傍に素槍が転がっている。恐るべし初姫。
「あのね、ここはお城じゃないんだよ。所司代屋敷なんだから。殿のお仕事するところなんだからさ。お願いだから静かにしてくれよ」
「お仕事お仕事って、いっつもそうやってはぐらかすのね」
 どき。なんちゅうませた口の聞き方だ。だいたい暮のクソ忙しい時に、しかも治安が悪い京に出てくるなんて、と思うが。
「なんで藩邸で大人しくしてくれないんだよ」
「せっかく京見物に来たのに、藩邸にいても退屈だからって鑑三郎に連れてきてもらったの」
(ははあ、鑑三郎のヤツだな。長州征伐ごっことか教えたのは。冗談じゃねえ)
「とにかくまだ殿はお仕事なんで、静かにしててくれよー。半蔵にでもその辺を案内して貰えって。二条城もあるし」
「……わかった。じゃあ殿の言うとおりにするから、一つお願い」
 初姫は定敬の耳元に囁いた。
「キスして」
「エッ」
 何を言い出すんだこの娘、と定敬は思わずあとじさった。
「あ、あの。初っちゃん、それどおゆう意味か知ってんの?」
「うん。こないだ桑名の殿のお部屋を掃除してたら、押入れからいっぱい絵の入った本が出てきてね」
「そっ、それは……」
(おれのオカズ。うわあしまった、よりにもよって初姫に見付かるとはァ!てか、誰が掃除したんだよ)
「その中に『口吸い』って書かれてるの、これはなあに?って母上に訊いたらね」
(義母上とな!義母上に訊くとな!ああ……おれのお株がどんどん下がってゆく)
「母上は、『これはエゲレスの言葉で言うキッスというものです。定猷様は、それはそれはお上手でしたわ、ハァ。初もいずれ殿にお教え頂きなさい。ウフ』って仰ったの」
 定敬は頭が痛い。初姫は無邪気なもんである。
「初はまだ他のご本のような格好は出来ないから、キッスくらいいいでしょう?」
「他のご本のような格好って、『鯉の滝登り』とか『鴨の入首』とか『帆掛け舟』とかそういう……」
 童貞のくせに知識だけは豊富なのである。
「そうそう。初の身長だとまだ無理ね」
 耳年増の八歳・初姫であった。
「とにかくわかった。わかったから目をつむっておくれ」
 定敬は半ばヤケクソであった。初姫のほっぺたに軽くちゅっと触れた。
「や〜ん。そんなんじゃダメ!口と口でするのォ。初を子ども扱いしないで!」
「ダメだっ。それはダメ。おれは忙しいっ」
 これ以上やったら、おれは只のロリコンじゃねえか、と定敬は泣く泣く走って逃げ去った。
(くそう!どいつもこいつも初姫に要らぬ入れ知恵しやがって、童貞のおれを愚弄する気か。こうなったら、祝言までにはどうにか童貞喪失せねば。いや、年始の書初めは『童貞喪失』に決まった!)
 またしても、定敬に多大なプレッシャーが圧し掛かったのであった。

 というわけで、定敬を無視して単身京の町に繰り出した初姫であった。
「京はすごいねー。桑名と違っておしゃれな女の人がいっぱいだねー。ねーねー鑑三郎、どうやったらあんなにキレイにお化粧できるの?あの小袖は何処で買うの?」
 初姫は羨ましそうに立見鑑三郎に訊いた。
「あれは四条通にある大丸呉服店などで買うのですよ。他にも舶来ものの『びとん』や『しゃねる』なんてのもありますぞ。今度、殿におねだりなどしてみてはいかがでしょうか?」
 と、鑑三郎は調子に乗って答える。この藩の財政に余裕が無い時にブランド三昧など無理に決まっている。
「ほんに。あ、あの衣裳はなにかしら?」
 初姫が駕籠を降りて通の先を指差した。近付いてきたのは、純白の平安朝の狩衣姿をした少女であった。能面のような顔は白塗りで、天上眉である。背後に日傘を掲げた供者を従えていた。
「京ではやはりこのようなレトロな衣裳が……あっ、随子さまではないですか」
「オーッホッホッホ!」
 甲高い笑い声を上げた少女は、水戸慶篤の娘・随子であった。
「お久しぶりですこと初子さん」
「随子さまどうして京に?」
 初姫と随子は江戸で面識があった。ままごとなどをして遊んだこともある仲である。
「オーッホッホッホ。御存知なかったかしら、わたくしこの度、松平(蜂須賀)阿波守様に輿入れいたしましたの。それで江戸より国許へ帰る途中、京見物にと」
「それはそれは」
 随子十三歳。落ち着くべきところへ落ち着いたのだ、と初姫は安心した。が、
「初子さんこそ、ステキな殿とご婚約なさって。随子くやしいわ」
「えー。そんなことないよっ。うちの殿は仕事仕事って初子を全然かまってくれないし、子ども扱いするし、ちゅうの一つも満足に出来ない童貞なの」
 哀れ定敬。このような会話にまで童貞を持ち出されているとは。
「まあ童貞でしたの。オーーホッホッホ」
 随子は言った。しかし、実は随子の本心はここでぐっと邪な方へ傾いていた。
(やっぱりね。定敬様に初子みたいなネンネはダメね)
 実は、随子は定敬が高須松平家にいた時、内々に縁組が取り交わされるという口約束があったようである。ところが桑名藩の定猷の急逝によって、婿取りの話が定敬に振られ、何も知らないままに定敬は桑名の殿様になってしまった。
 定敬は随子と面識があったものの、そういういわくがあるなどと思いもしない。しかし、随子の方は慶篤から聞かされていたのである。そして、何故か定敬を気に入っていた随子は、ひそかに定敬に会えはしまいかと京に寄ってみたのであった。
(ここは初子を利用するしかないわ)
「お気の毒な初子さん。でもきっと定敬様は本当に国事にお忙しいのよ」
「そうかしら。初子に魅力が無いからだと思って心配なの」
「だったら、心配ご無用よ、初子さん。きっと定敬様をあなたに開眼させてあげますわ。このわたくしにお任せあーれ、オーッホッホッホ!」
 随子のたくらみはわからない。わからないが、初姫はいわれるままに随子のアドヴァイスに従ったのであった。

 さて。初姫が所司代屋敷に戻ると、
「殿はいずこ?」
「姫様、まだ殿はお仕事中でございますぞ」
 服部半蔵が出迎えた。
「よいのじゃ」
「それに姫様、そのお姿は……さ、最近の流行りなのですかな?」
 初姫は白装束に、顔一面真っ白に塗りたくった化粧であった。時代錯誤も甚だしい、七百年ほども昔の白拍子の姿にさしもの半蔵もぎょっとなった。
「オーッホッホッホ。これが男をとりこにする化粧だそうな♪」
 初姫は随子に教わった通りの高らかな笑い声で答えた。半蔵は「そんなわけがない」と思いつつ、黙っていることにした。
 かくして、初姫はうきうきしながら定敬の仕事部屋の前に立った。すると、何やらひそひそ声がする。
「お客様かしら……?」
 そんな筈は無い。しかも女の声。
(なになに?女の人の声がする?どういうこと、殿ったら!)
 初姫はガラッと襖を開け放った。
「……はっ」
「何だ初っちゃんか」
 そう言って振り返った定敬の鼻から夥しい鼻血。しかもその前に赤い襦袢をチラつかせたM字開脚の女が。
「なっ、何よォ殿ーっ。その鼻血は、しかもその女は誰なのよっ?」
 初姫は絶叫した。自分のけったいな装束は棚に置いて。
「なに?初姫には菊世どのが見えるのか?」
 鼻血を懐紙で拭いつつ、定敬は文机の前に座っている女幽霊・菊世と初姫を見比べた。さすがにみっちーの娘だけあって、霊感は鋭いのかどうか。
[まあ、御正室様でいらっしゃいますの?これは大変失礼をいたしました]
 菊世は幽霊なのに思わず顔を赤らめ、乱れた裾を直して初姫の前に正座した。
「なによ殿!側室を作ったなら作ったって初子に言って下さいませ。むう〜」
「いっ、いや違うんだ。菊世どのは藩に居ついてる幽霊で、太閤様のお手付きで」
「ごまかさなくってもいいの。幽霊がM字開脚なんて出来るわけないもん」
「それが違うんだ。おれはそなたの父上の言いつけでだな……」
「またそんな出まかせ言ってる。おとと様は死んでるのよ。しらじらしいったら」
 初姫は焼餅のようにむくれてしまった。
(ヤヴァイ。初っちゃんにはみっちーの事を言ってないし、いや第一信じるわけもねえ。どうするおれ?どうするよ!……つづくっ)
 TO BE CONTINUE!……なワケはない。しかもパクリだ。
 定敬はまさかこのような形で危機が訪れるなどとは思いもよらず、気が遠くなりかけたのであった。
(もしかしてこれが桑名藩最大の危機ってか?)
 否、多分違う。

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