(八) 実録!仁義なき幕末

 <後編>

 「冥途の飛脚」が実は死体だらけの一杯飲み屋だということを定敬が知ったのは、実に半日経ってからであった。板前がなぜか昼になると氷を抱えているので、訊いてみたら「夏はどうしても溶け易くなるんでね」と言われた。
「腐って溶けるんですか?」
 定敬は、半死郎に訊いた。
「まあ、そういうことだね。でも、もっと怖いことがある」
「何ですか」
「ゾンビになっちまうことだ」
 ゾンビになると、生きていた頃の記憶もなくすばかりか、死人も生きている人間も見境無く襲い、食ってしまうのだという。
 「ゾンビ」:いわゆるブードゥー教の死人返りの術で生き返った死体。だが、幕末にブードゥー教もへったくれもないので、朝鮮半島から朝鮮通信使などを経て渡って来た死人返りの呪術で出来た妖怪らしい。
「死体には死体の誇りってものがあって、ゾンビにだけはなりたくねえんだよ。仁義に欠けるってもんだ」
「かっこいい!」
 夜中になって、間似吾(マニア)と呼ばれる固定客が訪れる。
 一杯飲み屋なのに、何故か置屋のように女がいて、その娘目当てでやって来る。無論、その女達も死体なのであった。
「この女子たちとヤルと屍姦てことになっちゃうのかなァ」
 と、やけにリアルな事を考えながら、定敬はやはり童貞喪失にネクロフィリアはいかんだろう、と想像するのをやめた。
 「定吉、おしぼり取っといで」「定吉、氷が足んないよ」と、女どもにつかいっぱしり扱いであるが、それでも定敬は「所司代屋敷に戻るよかいい」と思っていたのである。何もかもが珍しい。
 そこんところ、やはり貴人は普通の神経ではない。
 ある晩であった。
 「冥途の飛脚」に門付(かどつけ)がやって来た。いわゆる流しである。
「おいら、流しの如二大蔵だ。一曲やらせてくんな」
「ジョニー大倉?」
 まあいいや、と半死郎は流しを引き入れた。然のみ怪しげでもない。下手な都々逸なんぞ二、三曲歌って、客や女とふざけた後、如二大蔵は出て行った。
「今頃、屋敷じゃ大騒ぎだろうな。おれがいなくては半蔵も鑑三郎も山脇も沢も……フフン。おれの決裁無しには事はすすまんので大弱りだ、ザマミロ。てか、少々可哀想な気もするが、これもお灸だ」
 定敬はそんなことを思いつつ、鼻歌まじりに皿洗いなどやっていた。いや、別段家臣らは何も悪いことはしていない。むしろ、定敬には勿体無いくらいの家臣らで、困った連中なのは病弱な最愛の兄上といい、ケーハクな慶喜といい定敬の血縁ばかりなのだが。
 さて。くだんの所司代屋敷では。

 沢:「何だか今朝は静かですな」
 半蔵:「殿が起きて来ないからですよ」
 沢:「お小姓は?」
 山脇:「うちの隼太郎(息子)が当番だが、返事が無いらしい」
 半蔵:「どうせ殿のことですから、床の中でエッチな本でも見てるんですよ」
 沢:「でしょうな」
 半蔵:「最近、何やら独り言も多いし、女子と話しているような声も聞こえるし。ちょっとお疲れ気味かと」
 山脇:「ああ、霊が見えるとか訳のわからないことを仰る例の」
 沢:「前からプッツンなとこはおありでしたけどね」
 半蔵:「お身内を見ていれば何となく判ります」
 山脇:「血は水よりも濃い、というしな」
 沢:「それにしても、投書の童貞ということをお気にしておられるのかなァ」
 半蔵:「気にしたところで紛れも無い童貞ですからね」
 山脇:「……どうする?」
 半蔵:「いないほうが静かですよ」
 沢:「それキツくない?半蔵」
 山脇:「しかし事実だ」
 沢:「確かに、会津様にも振り回されることもないし」
 半蔵:「一橋公にもいじられることもないし」
 山脇:「どうせ今は征長で出張っているので、幕府もそうそう余計な無理難題は言って来ないでしょうし」
 半蔵:「殿は居ても居なくてもいいってことですよ」
 沢:「半蔵、それキッツー」
 山脇:「キツさも愛情のうちだ」
 半蔵:「然様で。で、暫く休業ということにして、我々で適当にやったほうが仕事早そうですよ」
 一同:「「「そうしよう」」」

 ということになっていたとは、定敬の思案のほかである。
 明けて定敬が閉店後の片付けをやっていると、半死郎が肩を叩いた。
「定吉。おめえに客だぜ」
 振り返ったそこには、菊世の姿があった。
「おめえ。あんないい女を泣かせるもんじゃあねえよ、どういう事情があったかしらねえが、話くらいは聞いてやれ」
 半死郎はそう言って気を利かせ、店の奥へと入って行った。
[定敬様]
「なっ、何の用だよ」
[お屋敷へお戻り下さいましな。皆様、とっても心配なさって夜も寝られないご様子なんです]
 嘘である。菊世にはアバタも何とやらで、事実も200%増しで美化して見える。
「放っておけ、自業自得だ。おれを虚仮にしやがって」
[そういうわけには参りません]
「何を幽霊のくせに、義侠ぶりやがって。帰れ帰れ」
[いいえ。帰りません、第一このお店、死体だらけじゃありませんの。それにあの店主、屍半死郎は冥界の嫌われ者なのよっ]
「どういう意味だ?」
[幽霊にもなれない、生き返りも出来ない半死人。成仏できない無縁仏ってことです]
「菊世さんとどう違うっての?」
[私の肉体は成仏してるけど、半死郎はまだ肉体が消えてないってことよ。とにかく、半死郎と付き合うのはやめて]
「うるせえ!」
 定敬の拳固が、菊世の頬下駄に飛んだ。いやっ、と小さく悲鳴を上げる菊世。
「半死人だろうが半生タイプだろうが、おれの命の恩人には変わりねえ。お前の顔なんか見たくねえ」
 と、定敬はいきがって菊世に背を向け、再び「冥途の飛脚」に入ろうとした時だった。
 暖簾を潜って、半死郎が飛び出してきた。
「逃げろッ、定吉」
「どうしたってんですか、半死郎のアニキ!」
「ゾンビだ!」
 見ると、店の中で接待の女死体どもが狂ったように暴れていた。お互いに噛み付き合っている。
「ちっ。やつだ、昨日のジョニー大倉だっ。やつがゾンビだったに違えねえ」
 そういえば、女や客に妙に絡んでいたのは流しのそいつだった、と定敬は思い至った。
「とにかく噛まれたらお仕舞えだ、逃げろ定吉」
 半死郎は何処から取り出したか、短筒をジャキッと懐から抜き、ジャカジャカと弾倉を回して弾を込めた。
「アニキそれは」
「これあメリケンの清水&植草(スミス&ウエッソン)とかいうペストルだ。これで銀の弾を撃ち込めばゾンビはお陀仏だ」
 ってそれは狼男ではなかったのか、と定敬は思ったがこの際効くなら野暮は言わない。半死郎は銃を構えた。だが、トリガーを引いてもなかなか発射しない。すかさずゾンビが半死郎の腕に噛み付いた。
「半死郎アニキィ!」
「いかん、おれに近寄るな、定吉。お前は逃げろ。さもないと、おれはお前までも襲っちまう」
 半死郎は漸くゾンビに発砲し、払いのけた。が、既に時遅し。半死郎は見る見るゾンビ化していくのであった。
 薄れ行きつつある意識を何とか保ち、半死郎はリボルバー拳銃を定敬に渡した。
「こ、これで……おれを撃て」
「出来ないよ」
「いいから撃て、撃つんだ定吉!」
「半死郎アニキィ!!」
 定敬は震える手でリボルバーを握り締めた。が、どうしても引き金を引けなかった。菊世は見守るばかりである。
「は……はやぐ…ッ、さだ、き、ち」
「うわあああああ」
 逃げちゃだめだ、逃げちゃだめだ。逃げちゃだめだーっ。と思ってもそう都合よくシンクロ率400%とかにもならず、定敬はリボルバーを放り出してしまった。そこがお坊ちゃま育ちのダメなところである。
 そうこうしているうちに、半死郎は殆どゾンビになって、今にも定敬に食いつこうとしていた。
「さ…だ…」
 ズガアーン。
 銃声が響いた。定敬が目を開くと、半死郎は頭蓋を撃ち抜かれて死んでいた。いや、ゾンビだから予め死んでいるのだが。
「は、半死郎」
「おまんなにしちょる。撃てっち言われたら撃たにゃああかんぜよ」
 振り返ると、銃口から硝煙を上げるスミス&ウエッソンを拾い上げている長身の男がいた。男はふてぶてしく鼻くそをほじりながら、定敬にその拳銃を返した。そして、何事も無かったかのように、またすたすたと五条大橋目指して歩いて行こうとした。
「ほなさいなら」
「待て、お手前は何と仰る?」
 定敬の問い掛けに、男は振り返った。
「おう、おれかや。おれは坂本竜馬ぜよ」
 竜馬はそう言って去って行った。
「あれが土佐の坂本とやら。くそう、何故かあの男に助けられるとは――って、あの男は寺田屋事件の指名手配じゃねえか!」
 定敬は一人ツッコミで地団駄踏んだ。既に遅かった。
 所司代だというのに、なまじ正体を明かせないが為に、竜馬を取り逃がしてしまったのである。
[あら、定敬様。所司代はお辞めになると仰っておられたのでは?]
「うーむ。やめだやめ。定吉なんて『毎日香』のお線香みたいだし、やっぱおれには水商売は向かないってのがよく判った。おれの天職はやはり殿様かなァ」
 それは職業だろうか。というか、世間ずれしてないので、何事も向いてないのだ。
[ではお帰りに]
「帰るぞ。帰って久々にエロ本でも読むとするか」
 どうしてそう低次元な事を真っ先に考えるか。第二次征長もムダにだらだらと続き、幕府にとっての時勢は、既に一気に最悪の方へ向かっているというのに。
 とまれ、定敬は半死郎以下「冥途の飛脚」の従業員らを近くの寺で丁重に弔って貰うことにして、所司代屋敷へ戻ったのだった。
「あれ、殿。寝てたんじゃないんですか」
「外出だ」
「長いお散歩でしたねぇ」
 半蔵が笑って出迎えた。
「まあな。世間は甘くないということを学んできたのだ」
 心なしか半蔵の目に映る定敬は、少し逞しくなったようでもある。「もしかせんでも家出かなと思っていたが、やはり長続きはせなんだか。フッ」と、胸中ほくそ笑んだ。
「ご安心下さいませ。業務には滞りなく行っておりました」
「ふむ」
 だが、書院を開けてびっくり。机の上に堆く書状の山がこんもりとしていたので。
「政事向きの書類は片付けてあるってのに、何で苦情の手紙だけがこんなに山積みに?」
 しかも「同僚が仮病を使って困るのです!どうにかして越中守様」という例の内容ばかりであった。
 定敬は真剣に思った。
「……やっぱ、もう一回家出しようかな」

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