(五)
そんな事があって翌々日の事である。
ふさ女は至って普通に、定敬と藤田に接していた。あれは酔夢か、と定敬は思い、そうして彼の気随な性格からして、次第に忘れつつあった。
桔梗山文庫という瑞堂の書庫は、昨日に見学したし、九品寺辺りも歩いたので、そろそろ明日には東京へ戻ろうかということになった。
藤田はいい加減その前から倦んでおり、本庁へ帰りたかったようだ。
別れの宴と称して、定敬、藤田と瑞堂、ふさ女とは、少し酒を酌み交わした。
ところが、瑞堂は不意に立ち上がって、少し赤らんだ頬のまま、「さて行きましょうか」と、言った。
「こんな夜分に、一体何処へ行かれるのですか?」
すると、瑞堂は騒がず、
「夜だから恰好なのです。晴山先生、藤田さん。何も訊かずにお出で下さい。急度、よいように致します」
杖を取って、小柄な身体を躍らせるように草堂を出た瑞堂のあとを、二人は追った。ふさ女がどうしたのかは、わからない。
日暮れて二時間経たないというのに、山奥からヒューヒョーと虎鶫の声がした。
あの鳥は、夜更けてからしか雌雄鳴き交わさないのではないか、と定敬は奇妙に感じた。不気味なまでに生温かい南風の、相模湾から吹き上げる夜である。
体躯に似ず健脚の瑞堂は、見る見るうちに山を下って銭洗弁天そして化粧坂切通しを行く。
扇ヶ谷の深い黒緑の林を背後に追いやって、鶴岡八幡宮を金沢街道へ。
「本当に何処へ向かっているのでしょう?」
藤田が、定敬の背後で呟いた。
「おれにもわからん」
と言ってから、定敬は辿る道筋を思い遣って、前を行く瑞堂の足が岐れ路で北東へ向いたので気付いた。
東へ行けば浄明寺だが、このまま進めば鎌倉宮である。二階堂川沿いに関取場から瑞泉寺へつづく路になっている、その中ほどに宮があった。
「瑞堂先生」
定敬は声を掛けた。
老人は、暫し振り返る。杖を支えに身を捩った。
「鎌倉宮へ、もしくは護良親王の御陵へ行かれるのですか。其処へ行って、何をなさろうと」
定敬は皆まで言わなかった。老人の表情が強張った。
「晴山先生、貴方のお考えとは……」
「墓を妄りにあばくのは大罪ですぞ。迷信でもなく、ましてや親王の御陵に狼藉を働いたとあらば、政府も黙っておられまい。宮内省にはおれの義弟も勤めておりますし」
瑞堂はせせら笑った。
薄闇の中で、赤い口腔が炎(ほむら)の如くちらついた。
「貴方から斯様なご大層な口説を聞く事が出来るとは、思いませなんだ。敗軍の将、そして天朝の逆賊たる貴方から。松平越中守定敬公――」
どうやら、瑞堂は端からその事に気付いていたようであった。
元京都所司代にして桑名藩主・松平定敬は、幕府の大政奉還以後、鳥羽・伏見の戦を経て、朝廷を頂いた薩長中心とする新政府から逆賊とされ罪二等。殆ど死罪に等しい宣告を受けながら、北越、会津、箱館と戊辰戦役を生き延びた。出頭して謹慎となり、全てを失うも、一昨年には大赦によって松平家に戻ったのである。隠居として、晴山と号している。
「何を言うか無礼な。御前様は逆賊などでは、ない」
藤田は叫んだ。定敬は「よいのだ」と、藤田を制した。
「とまれ、御陵に触れることはならん」
「何やら勘違いをなさってお出でのようですが」
瑞堂は、声を立てずに笑った。
「私が欲しいのは、護良親王の頭蓋に非ず。貴方様の御首にござい――」
と言うが早いかで、老人の振り上げた杖から、銀白の光が鞘走った。
倒れたのは、瑞堂であった。仕込杖の白刃が定敬の胸先に届くのより速く、藤田の帯に挟んでいた短刀が、老人の胸を貫いた。
どう、と血を噴いて坂道に斃れる瑞堂を見下ろして、
「かろうじて、急所は外しておりますが如何様」
と、藤田。
「是非もないのう」
定敬は夜空を見上げた。遠雷が、西の空から微かに響いた。
熊谷瑞堂は、武州熊谷の生まれゆえにそれと名乗ったが、実は富裕な商人の出身で、跡目も継がずに府内へ出た。分限者の子息のよく辿る道で、私塾へ通い、町道場へ行くうちに、昨今の政治情勢と若さに駆られて、いきおい武士を目指したのである。
ところが、似たような輩は江戸にも上方にも幾らもいた。やはり身分の壁は厚く、得手とする漢学を目指して、仕官はさておき、実家へも戻らなかった。
全国の藩学、私塾を巡って気付くと四十を越してしまった。
それなりに弟子も出来たので鎌倉へ庵を立て、半隠居となったのが、元治元年というから、瑞堂は実は五十代なのである。
何故、七十には見えようかという老い姿になったのかはわからない。
「私が弟子入りして、暫くしてからでございます」
ふさ女は言った。彼の女は、十六で瑞堂に師事した。
瑞堂に接するまではまったくの生娘であった。ふさ女の両親は、盲目の娘を捨てた。
とにかく片輪の娘がいると支障がある、と考えたのであった。
「瑞堂先生は、ちょうどその頃から髑髏盃にこだわるようになったのです」
理由はよくわからない。ただ、ふさ女の記憶に拠ると『信長公記』或いは『信長記』に記される、織田信長の「元日酒宴」を繰り返し読み耽り、外国の書物の中でも呪術的な書物を蒐集し始めたという。
「成る程、信長公が岐阜城に大名を集め、朝倉左京太夫、浅井下野守、備前守父子の首級を盃にして披露したという例の」
敵の首を酒盃に仕立てて、祝宴を張るとはまさに奇盃中の奇盃にして又残酷の所業。なれど、人の心に必ず残忍非道の影は宿る。
「髑髏盃こそ至高の酒盃。しかし乍ら、他人が作った盃を集めるだけでは能がない。そもそも敵の首を晒すゆえに、武将の勝証たる盃なのだから」
瑞堂自身は、戦国武将でもましてや今の世の足軽でもない。首級をあげる意味もない。
そこで、散策ついでに拾った古えびとの頭蓋に自ら漆を塗り、酒盃を作り始めた。
そこへ程なくして、
「上方に戦が起こったり、上野の御山で戦があったものですから、先生は少しなりとも新鮮な首をと、東奔西走したのです」
なるべくなら無念を遺して死んだ者の首が欲しい、と。新選組の近藤勇の首も求めて歩いたが、それは叶わなかったという。
「いい加減、そのおどろおどろしいご趣味には飽いたのかと思いきや、御一新後もそれはますますやまず、研究を重ねておられた「のですが、或る日――」
つと、瑞堂はふさ女に言った。
「おぬしは盲人ゆえに、聴覚にすぐれておろう。外国の書物に拠ると、優れた頭蓋骨を持つ者は、骨相学といってその気質、気性、声音でそれとわかるのだそうだ」
「はい」
「町へ出て、聴き分けよ」
瑞堂は真顔で言ったそうである。尤も、ふさ女に表情は見えなかったが。
初め鎌倉で若い男を一人見つけた。書生で、とある高官の別荘地へ遊びに来ていたのに瑞堂が声を掛け、桔梗山文庫の書物を見せてやる、と言って誘った。
書生は嬉々として、付いて来た。草堂で心行くまで書物を読み漁って過ごす若者の寝所へ忍んでゆけと、ふさ女に命じたのは他ならぬ瑞堂であった。
「法悦の最中に首を刎ねるのが、最も血が流れずに済む。骨に血が付いては、良い盃は望めぬ。しかも、愉悦の頂点で死ねるのだ。男冥加であろうよ」
ふさ女は身震いした。
だが、囲われの身では逃れようもなく、命じられるままに従った。
怖気をふるう様な光景は、その後再三行われた。しかし、何れもふさ女の決死の努力も虚しく、瑞堂の気に入る盃にはならなかったのである。
「ちょうどそれで、先生が悶々としておられた時でこざいます。三河屋で貴方様にお会いしたのは」
店先で番頭の茂七と話す定敬の声を聴き、ふさ女は直感した。
これまでで最も張りのある、中低音の美しい男声を聴いた。瑞堂の知る骨相学にいわせれば、面長中高の高貴な顔立ちで、鼻梁長くまさにその頭蓋骨は広くてまろいという。
「歓喜仏は、単なるおれと親しくなる為の口実に過ぎなかった、というわけか」
定敬が静かに言うと、ふさ女はやにわに顔を伏せ、咽び泣き出した。
言葉にならない嗚咽に混じって、また裏山からヒューヒョーと暗い呼声が対応した。
(四)へ
(六)へ
小説目次へ
「とにかく殺す!」へ
所司代TOPへ
本館TOPへ