(六) 
 

「動かないでくださいまし。お耳を突いてしまいます」
 琉璃が、もじもじする定敬の耳孔から慌てて耳かきを引っ込めた。
「くすぐったいんだよ。言っちゃ悪いが、きみの耳かきは恐い」
「でしたら、御自分でなさいましな。私は耳かきの師匠ではありませんゆえ」
 と、少し不機嫌になって、ぷいと唇を尖らせる琉璃の膝上から、定敬は跳ね起きた。
「いい事を教えてやろう。そう、柳眉を逆立てるなよ」
「何ですか?」
「髑髏盃を作る時、まず首の耳穴に棒を通すのだそうだ。鼻の穴にもな。そうやって、水桶に数日漬けて置くと、耳と鼻から脳髄が出てくるんだ」
 定敬は、反故紙の上に小筆でさらさらと生首の図を描いた。
 鎌倉十井、或いは鎌倉五名水というように、湧水の美しく豊かな所が鎌倉だ。
 瑞堂は人気の少ないのをいいことに、海蔵寺に程近い十六ノ井で首を清水に晒しておいたという。
 晒される首は死してなお、名水に浸かってよい気分かも知れないが、知らずに使った者はいただけない。
「首級はいずれ、夏だと蛆や蟻がきれいにさらばえてくれるが、冬場はそうもいかない。木乃伊になってしまうと、頭蓋骨から皮膚や肉がうまく剥がれてくれんのだそうだ。一旦白骨だけにすると、今度は日に当てる。ひと月ほど日光に当てて、乾燥させてから加工に入る。漆塗りにするには……」
「私がお聞きしたところで、何かの為になるお話でしょうか?」
 と、琉璃は定敬の言葉を遮った。明らかに、ぞっとしないという表情である。
 愛妾といっても、実は琉璃は定敬の歌の師匠であるので、容赦がない。
「いや、もしおれが死んだら、この頭骨できみに盃を作って貰おうかと思ってな」
 すると、琉璃はほほ、と高く笑った。
「御前様は、瑞堂先生の話を真にお受けになってらっしゃるのですね」
 え、と定敬は瞠目して正座に直った。
「どういう意味だい?」
「――今朝方、藤田さんが此方へ来られて、御前様の鎌倉行のお話をしてくださいました。熊谷瑞堂とふさ女の引合のこともです」
 琉璃は涼やかな目元を少し細めた。
 瑞堂は藤田に胸の下を突かれて虫の息。草堂に運ぶ間もなかったので、鎌倉の病院へ担ぎ込んだが、明け方には終にいけなくなってしまった。
 ふさ女は、三河屋以後の成り行きを一部始終話し終えると、藤田に連行されて東京の警視庁へ出頭した。ふさ女が直接的に殺人を犯したのではないが、恐喝されたとはいえ、明らかなる共犯となるゆえ、逃れようもなかった。
 警視庁一等巡査・藤田五郎の言に拠ると、
「確かに瑞堂は髑髏盃を作るという己の愉しみの為に、無益な殺人を重ねましたがね、調べております内におかしな事がわかりましてね」
 ふさ女の身元の事である。彼の女は両親に身売り同然のようにして瑞堂に預けられた、と自身では語っていたが実はそうではなかった。
 ふさ女の父は扇職人であった。
 折屋といって地紙を売り歩く商人から腕を磨いて一本立ちした男で、しつらえた扇は小間物屋へ卸す。腕のいいのを買われて、とある引出物を依頼されたのが不幸の始まりだった。
「とある御大名筋からの御注文ですが、先様のみならず、他家にも渡りますゆえ、ゆめゆめお気を付けなさい」
 と、小間物屋からは念を押されていた。
 ところが。好事魔多し、寸善尺魔とはこのことか。
 小間物屋が先方で化粧箱を開いた時、扇の骨が一本折れていた。しかも、箱の中に髪の毛が一本入り込んでいたのである。当然、受け取った側は怒りを露わにし、小間物屋は只管額から血を流すほど叩頭して詫びる外ない。
 さりとて、今更他所に依頼するのも外聞が悪いというので、小間物屋はとって返してふさ女の父の元へ怒鳴り込む。しかし、身の覚えのない事だった。
 又とない好機の仕事をわざわざ己がぶち壊しにする筈もなく、急度妬んだ長屋の他の者の仕業と見て、この時点では一度作り直して事無きを得た。だが、一度失った信頼は容易に取り戻せるべくもない。
「御多分に漏れず、この一件からふさ女の父には仕事がなくなりましてね。雑穀を購うにも事欠く毎日となり、やがて母が病に倒れ、父は自裁し、ふさ女は一人きりになったそうですよ」
 と、藤田は聞き込みで知った事実を琉璃にも話した。
「ふさ女が盲目になったのは、栄養失調からですか?」
 いえ、と藤田は重々しく首を振った。
「自ら目を突いたのです。家に残された役立たずの扇の骨で。彼の女は、そのまま死ぬつもりだったそうです。大川に身を投じて」
 そこに出くわし、血涙を流す十六の娘を救ったのが、熊谷瑞堂だったのである。
 定敬には其処まで訊かずとも、何故己の首が狙われたか、そして結局定敬を亡き者にしたかったのが誰か、全て掌握出来てしまっていた。
「その大名家というのは、美濃高須松平家で、引出物というのはつまり、おれが久松家に養子に迎えられるという儀に違いあるまい」
 ふさ女の恨みを被ったとしても、致し方ない、と定敬は思った。
「いいえ、御前様」
 琉璃は定敬の方を向かず、少し膝を崩して中庭に面する障子を開けた。笑いながら、
「本当に殿様ってお人好しですこと。幾ら恨みを抱いたとて、それはそれ。御前様の直に与り知らぬ事。しかも己の恨みを晴らすに、命の恩人を死なせて迄やり遂げる事でしょうか?」
「成る程、きみの言うのも御尤もだな」
 定敬は庭の白木蓮を見上げながら、間延びした声で言った。
「鎌倉に藤田さんを連れて行かれたのは、残念。私なら紛うことなく女の方を斬りましたものを」
「恐い事を言う。きみにはまるで、何もかもお見通しだな」
「女は恐いものですから。ご用心」
「然様か」
 白い花弁が、一つ二つ落ちてゆく様を見つつ、定敬は長嘆息を吐いた。
 それにしても、あの奇妙に纏わり付いた視線は、何だったのだろう。単なる神経質になり過ぎた為か。
「おれらしくもないが」
「その事ですけど」
 と、琉璃は軽やかに言った。
「私は怪異など信じませんが、女の一念は巌をも貫く、髪は鐘さえ繋ぐと言いますでしょう。盲目の人の感性は鋭くもある、と申しますから」
 琉璃が瑞堂に会ったあの晩、無慙なまでに痴れ狂い、妙を嘆
(かこ)ったのは、それゆえか。
「本当だ、女は恐い」
 独りごちた定敬が、琉璃の手を握り寄せると、しなやかな身体が自然に定敬の胸元に傾く。
「でも、御心配は要りません。急度、怪異は直になくなりますよ」
 琉璃はそう言いながら瞼を閉じ、遠く木蓮の香を嗅いだ。
 その二日後、ふさ女は拘置所で舌を噛み切り、死んでいたという。
 以後、確かに定敬は奇妙な視線を感じることはなかった。

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