(一)

 京の夏はひたすら蒸し暑い。鍋の底で炒られている豆のような心地にさせられる。四条通の御旅所(おたびしょ)前には露店が連々と続いていた。
 手拭で額に滲む汗を拭いながら、薄暮の中を歩く斎藤一に、背中から声を掛けた者があった。
「殿様、ちょっとお顔貸して下さらしまへんか」
 五十がらみの夜店の商人(あきんど)であった。斎藤は立ち止まる。
「笑わせるなよ。おれが殿様というご立派な柄かい」
 懐手に言う。数えで二十二になったばかりの斎藤だが、二十七、八には見える。物腰の落ち着きようや面長中高の端正な顔付きは武家らしい。だが、気品溢れる風情とは言い難い。
 商人の言う「殿様」は、景気のいいだけの掛け声のようなものだ。
「こりゃあ失礼しました、お武家様」
 商人は嫌味なくらい恭しく頭を下げた。斎藤が黙って立ち去ろうとすると、また呼び止める。
「何用だ」
「わては又八と申します。天満八軒屋で刀剣をあきのうとります」
 ははあ、それで大坂から淀川を遡上して京まで夜店を出しに来るのだな、と斎藤は思った。しかし、八軒屋は新選組御用達の京屋忠兵衛の旅籠がある。はて、近所にこんな刀商がいたかな、と斎藤は首を捻った。
 又八は斎藤の風体をしげしげと見定めてから、差料に目を止めて言った。
「お見受けしましたところ、お武家様の差料は国重どっしゃろ」
「左様」
 佩刀は摂州住池田鬼神丸国重である。講武所拵に漆黒鞘、朴訥というよりは愛嬌の無い造形で、刀の持ち主に似ていた。
「少々お目ききさせて貰えまっしゃろか」
 急いで何処かへ行くというわけでもない。斎藤は、又八に鞘ごと国重を預けた。抜けばぬらりと中頃の物打どころから切尖に掛けて激しく乱れた互(ぐ)の目刃文が浮かび上がる。
「凄味がおますな。若打ではおへん。国重の若い頃の木強な感じがしとります」
「これは天和二年作という。おぬし、なかなかの目ききだな」
 斎藤は、素直に感心した。確かにこの国重は斎藤よりも百六十程年経ている。そして、先だっての戦で刃零れした後、充分に研いだので、少し痩せつつあった。
 へえ、と又八は至極当然とでも言いたげに頷いた。
「けどお武家様。お武家様のお腰には、別の差料が似合うとりますわ」
 きたな、と斎藤は思った。褒めそやして何か売りつけようという魂胆だ。
「おれはそう何振も刀を寵愛出来る身分ではないよ。相手を間違ってるな」
 斎藤が断ると、又八は国重を鞘に仕舞いながら斎藤に返した。胸先をぐっと近付けて「いやしかし」と、又八は言った。
「お武家様は、新選組の斎藤様とお見受けしとりますが」
 斎藤は、むっとした。敏い奴め、何処だかでおれの素行を見て知ったか、と思った。それもそれ、つい十四、五日前のこと。三条通の池田屋斬込みにおいて、新選組は京洛に勇名を轟かせたばかりである。ただの関東から来た壬生浪ではない。今度の活躍によって幕府や会津藩からも褒賞金が出ることは決まっていた。
 又八という商人は、すかさず金の有処を狙ってやってきたのに違いない。
「わてには昔から面妖(みょう)な力がございますのや。お武家様のお姿を見とおりますと、次第にそのお方に見合うた刀というもんが浮かんできよります」
 斎藤は、ふんと鼻で笑った。まるでいんちき行者か祈祷師の文言ではないか。それにしても、おかしな事を言う。ぎゃふんと言わせて追い返してやるか。
「して。おれには、如何様な差料が相応しいと見えたか?」
「千子(せんご)村正」
 拍子抜けの答えが返ってきた。斎藤は、暫し呆気に取られた。
「冗談はよしてくれ」
 村正といえば天下の妖刀。徳川家に仇なす刀であると言われる。東照大権現・家康の祖父・清康が家臣に村正で殺され、父・広忠も傷を負い、さらに長男・信康と正室の首を斬ったのがこの村正であるという。家康自身も怪我を負ったとも噂された。伊勢の刀匠である村正は、南北朝時代から北畠氏に刀を鍛錬してきた。いわば勤皇の血統である。激烈な勤皇家においては、この村正を用いて幕府打倒を考える者も多くいる。確か、由井正雪も村正を佩びていたのではなかったか、と斎藤は思った。
「おれは曲がりなりにも、いや歴とした松平家の家臣。そのおれが村正など笑止」
「へえ。けど、わてにはそう見えまして」
 又八は悪びれもせずに言う。笑うと前歯が大きく、兎に似ている。
「馬鹿らしい。相手にならん」
 と、斎藤は又八に背を向けた。奇をてらうようなことを言って客の気を引き、村正に限らず高価な刀を押し付けるという口説に過ぎない。上方商人というのは、実に巧みだ。
「斎藤様には村正の幽霊が憑いてまっせ」
「刀に幽霊などあるか」
 斎藤は振り返って言った。又八はひどく真剣な顔ではあった。
「そんなに手前の見鬼(けんき)を自慢したいのなら、屯所に来てみやがれ。新しい差料が欲しくて仕方ねえ奴等がうようよしてらあ」
 伝法な江戸弁で捲くし立て、また手拭で首筋に掛かる束髪を払い除けながら、斎藤は歩き出した。

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