(二)
池田屋騒動で京における尊攘派の中核が一掃されてしまったあと、長州藩は敏速に動いた。
六月五日より数えて十八日、六月二十二日には長州藩家老・福原越後の率いる一隊が大坂に到着した。幕府方と対決するという姿勢を固めたようである。
六月二十三日、壬生の屯所へ商人がやってきて斎藤の在所を訊ねた。朝の調練を終えたところで、井戸端で身を拭っていた斎藤は、不審顔で表へ出た。屯所といっても壬生村の郷士、八木家に居候しているという按配なので、鯱張った雰囲気は殆ど無い。棒手振
(ぼてふり)などが往来を行き交う菜畑ばかりの田舎である。
門まで出てみて、斎藤はあっと言った。
一昨晩、御旅所近くで呼び止めた刀商の又八であった。
「何しに来やがった」
「四の五の言うなら屯所に来てみやがれ、と仰ったのは斎藤様のほうでっしゃろ」
又八は、にやりと笑った。そういえば、腹立ち紛れにそんなことも言ったような気がする。斎藤はすっかり毒気を抜かれてしまった。
斎藤が仔細を副長の土方歳三に告げると、又八は客間へ招じ入れられた。普段は「鬼副長」と囁かれていても、洒脱な事の大好きな土方である。又八の商いの手に興味を持ったのだろう。
当然、局長・近藤勇もやって来た。近藤は一振携えていた。
「己に見合う刀が見えるという刀商はおぬしか」
又八は殊勝に額
(ぬか)づいた。客間には、近藤、土方、斎藤の三名がおり、上座の近藤に対面して又八が座していた。
「斎藤には千子村正の亡霊が憑いているらしいぞ」
土方はにやにやと笑った。斎藤は、不機嫌に視線を庭の方へと逸らした。
「しかし、この又八とやらの目ききは確かなものらしい」
土方は扇子を使いながら、言った。
「斎藤君をしてそう言わしめるのなら、間違いはあるまい」
近藤は深く何度も頷いた。斎藤の目ききといえば、隊内でも随一と言われる。刀剣そのものが好きと言う以上に、真剣で切り結ぶことに重きを置く男だからである。相手の抜身を見れば、銘や刀匠が明らかになるだけでなく流派や使い手の得手不得手も察する事が出来る。尤も、実戦において瞬時に刀剣を見極めることは困難で、そうそう役に立つ知識ではないのだが。
「ならば、この我が差料目ききしてみよ」
近藤が差し出した刀を、又八はにじり寄るようにして鞘から受け取った。懐紙を咥えて抜くと、漲る珠のような光が散った。切尖から物打まで続く乱れ刃文が明瞭に浮き出る。又八は、ほうと唸った。
「見事におます」
「虎徹はよいだろう」
近藤はにこにこと腕組みして言った。すると、又八は眉を八の字にした。
「いや先生、これは虎徹やおまへん」
なに、と近藤は目を剥いた。土方も扇子を動かしていた手をぴたりと止める。斎藤は険しい顔付きから一転して、涼しげに又八を見た。
「どういう事だ、又八」
「珠垣刃
(たまがきば)やおへん。焼刃に丸い珠が浮かぶのが長曾禰虎徹興里
(おきさと)ですわ。これは虎徹は虎徹でも、養子の興正どっしゃろ。または門人の興久か。二人の合作は多いよってに」
む、と近藤は顔を顰めた。
「そうとも、これは興正のほうだとも」
「へえ。もし興里やと言われて買いましたんやったら、その刀商もひどい節穴どんな。それともふっかけようとしたんか」
「いや、興正と承知で入手した」
近藤は言ったが、土方は意味ありげに声を殺して笑った。江戸の試衛館道場にいた頃、近藤はその刀を五十両で購ったという。又八の言うよう、興正を興里と偽ってふっかけられたのである。しかし、既に近藤は養父・周斎に宛てて、池田屋の一件を手紙にしたためてしまった。その一文には「下拙刀は虎徹ゆえにや、無事に御座候」と書いてしまった。永倉新八や沖田総司の刀は折れてしまったが、自分のは虎徹であるから激闘を耐え抜くことが出来た、と。
周斎のみならず、隊内でも局長の刀は虎徹であると知れ渡っている。今更違うものだというのも癪に障る。
「まぁ、虎徹は虎徹だな」
と、土方は言い含めた。斎藤にも目配せしたのは、他言無用との意味だった。
「又八、隊士を呼ぶからいっとき商売してゆけ」
近藤はそう言い残して出て行った。京都守護職屋敷に呼び出されている。長州藩の軍勢が大坂で戦支度を調えているというので、京都所司代では船舶通行を差し止める手配をした。その後の警戒の陣を巡っての軍議に出席せねばならない。
また、近来上京していた軍学者・佐久間象山も守護職・松平容保に参見するという。
佐久間修理象山といえば、吉田松陰の米国船密航挫折事件に連座したことにより、九年という間郷里の松代藩で蟄居していた。蟄居放免後の上洛も、将軍・家茂の招き入れであった。本来は私塾で西洋兵学や砲術を教授していた象山は、かつて幕府によって幽閉された。しかし、今はその幕府が軍備充実の為に象山の頭脳を必要としているのだ。天下は日々、奇妙に動いている。
政事には敢えて深く首を突っ込まないようにしている斎藤でさえ、池田屋事変以後の不穏な情勢を思い遣る事が多くなった。
いずれひと戦起こるに違いない。
一刻余りして、又八が商売を終え玄関を出ようとすると、斎藤は後ろから呼び止めた。
「ちったあ売れたか、おい。おれの御蔭で商いになったろ」
又八は、ぼちぼちでんな、と答えた。上方の人間ときたら吝
(しわ)い言い方をしやがる、と斎藤は可笑しくなった。
「ところで又八。おとといおれに言った村正だがな。はったりじゃあないだろうな?」
「と仰いますと」
「持ってもいない刀を売りつけようとしたんじゃあるまいな」
斎藤は門柱に寄り掛かりながら、言った。金魚売が通り過ぎた。壬生寺で正午の鐘がつかれた。
又八は、屈託無く笑った。
「いやあ、この吉野屋又八、無い物まではよう売りまへん、お疑いどしたらお見せしまひょか」
そう言われると、何やら巧く又八の口車に乗ってしまったような気がしないでもない。かといって、千子村正の刀剣そのものには興味がある。見るだけなら構わんだろう、見るだけなら、と斎藤は己に言い聞かせ、思案の挙句、又八を手招きした。
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