(四)
六月二十六日の早朝、新選組に出陣命令が下った。長州藩家老・福原越後らの率いる一軍は、海路江戸へ向かうことを断念し、上陸した。そののち京へ向かっているという。これを迎え討つ為に布陣せよとの、京都守護職・松平容保の命であった。
既に伏見表には彦根、加賀藩の兵が警固に出向いており、東本願寺には会津勢が入った。
福原勢は京に着々と近付いていた。人数は七百人程である。関所は何事も無く通過し、諸藩も何の手出しする理由もなく通さざるを得ず、やがて軍勢は伏見町州屋敷へと到着したのだった。
その前日、斎藤は土方の部屋に呼ばれた。監察方の山崎烝も同席した。
「他でもない、お前達には大坂へ行って欲しい」
「しかし福原は既に伏見屋敷に入っておりますよ」
と、山崎が言う。土方は扇子を使いながら、首を横に振った。
「だからこそ、海路を断たれた貴奴らは急遽陸路を取った。じきに京洛ではひと荒れある。今の軍勢なら幕府が圧倒的勝利を収めるのは間違いないだろう」
そこまで言うと、山崎は大きく頷いた。皆まで言わずとも了解したということである。
戦には必ず勝つ。すると、敗れた長州の残党が逃げ延びる。掻き集めの雑兵は兎も角も、中核をなす人物に逃亡されたのでは拙い。恐らく上陸以後、上京までの間に万一の事を考えて彼等は布石を敷いている。それを探り、予め退路を断つ、というのが土方の考えであった。
いわば、山崎はその探索を務め、斎藤が警護に就くという形である。
出来得る限り京に残りたかったが、土方の指示なら仕方あるまい。斎藤は山崎と二人して夜更けに伏見から舟で大坂へ向かうことになった。
情勢は刻一刻と変化していた。
京市中では、密偵の探索によって、伏見に入った福原の一団のうち来島又兵衛の率いる遊撃隊の四百名余は、その殆どが前年京で暴威を振るっていた攘夷浪士であると知れた。
竹田街道を南下し、高瀬川を越える手前に薩摩島津屋敷がある。そのまま更に下って毛利橋通へ抜け、御香宮の前を通って迂回し、船着場へ行く算段であった。通常運行している三十石船はもう休んでいる。密かに土方が周旋した脱藩者らを送迎する十石船が待っていた。
薩摩屋敷の手前まで来ると、何やら物々しい浪士の集団が北上してくることに気付いた。
「山崎さんあれは」
斎藤と山崎は、町家の軒下に潜んだ。男達は、静かに進んでいく。街道はその足音のみ響いていた。
「方向からして長州屋敷から出て来よったようです。どうやら遊撃隊が動き出したようですな」
「報せるべきだろうか」
「なに、この上手
(かみて)には嵯峨、山越方面に向けて浅野藤太らを張らせてます。心配要りませんよ」
山崎はさすがに監察の筆頭らしく答えた。一団が行き過ぎると、二人は再び歩き出した。
高瀬川を渡る橋を通り、毛利橋通へ折れようとした時、今し方渡った橋畔で人影が差したように思えた。だが、斎藤が眼を凝らした時には、既に姿が無かった。
「女か」
小柄な影がそう見えた。しかし、時刻は子の刻(午後十一時)に差し掛かっている。女の一人歩きなど考えられない。念の為、斎藤は山崎よりやや遅れて歩き、いつでも鯉口が切れるようにした。
常夜燈だけが細辻を染めている。
背後に足音を聞くや、斎藤は土塀に背をつけて刀を抜き放った。正面から黒い影が躍り掛かる。斎藤は、平青眼の刀身を上げ、袈裟に斬込んできた刀をそのまま摺り上げた。車に返して斬り下ろすと、手応えがあった。敵は三人であった。
「山崎さん、先に」
斎藤は小声で言い、半歩にじり出た。心得た山崎は素早く踵を返した。棒術に長けた山崎だが、今は大刀で相手をする余裕がない。手錬の斎藤に任せるのがよい。
斎藤はずっと塀を背にしていた。多数相手でもこうしていれば怯むことは無い。背後さえ取られなければ、近間の剣法を得手とする斎藤は、何十人と斬り結ぶ自信があった。
一人は上段、もう一人は八双に構えている。だが、残る一人は腕組みをしたままであった。かなり小柄な男である。
「抜かぬのか。そうか、居合だな」
斎藤は覚った。左右へ斬込んできた刀を払い除け、斎藤は言った。
「人違いするな。貴様ら、おれに名乗りもせずに斬られたいか」
斬り下ろしてくる太刀を棟で跳ね上げる。
「黙れ、壬生浪め」
一人が叫んだ。やはり斎藤らを新選組と知っての襲撃であった。それさえ聞けば十分である。奉行所からも、様子の怪しい者を見れば、臨機応変の計らいで斬殺してよい、とお達しが出ている。「みぶろめ」と言うからには、明らかに不逞の浪士であろう。
斎藤は、右手の一人を下段から突いた。太腿を狙って斜め上に斬り上げる。膝を深々と断たれた敵は、転倒した。残るは、さっきからずっと抜刀しない小男のみ。
斎藤は平青眼のまま、じりじりと横這いに男を追った。常夜燈の傍まで来ると、男の顔がほんのりと浮かび上がった。色の白い、目鼻立ちの小作りな、まるで女のような面差しであった。斎藤は一瞬どきりとした。「やはり女子ではないのか」と。しかし、男の喉仏がくっきり動いて息を呑むのが判ると、我に返った。
いったい物静かな眼差しで、二人の仲間が斬られるのを見ながら、この期に及んで抜刀もしない。流石の斎藤も、「こいつはいよいよおかしな奴だ」と、首を傾げた。
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