(七)
七月十六日の朝であった。九条河原に布陣していた新選組の陣中に、会津藩からの使者が訪った。
小半刻経って、近藤、土方が幹部らを呼び、こう告げた。
「会津中将様よりの御命令だ。一橋侯の宿舎に押し込めとの仰せである」
やかましやの原田や、慶喜の懐柔策に不満を洩らしていた永倉らは欣喜雀躍した。勧告命令のみでは埒があかない。最後通告を行ったのちに返答なければ戦を開始せよ、という脅しを掛けるようにとの意味である。明日、会津藩士らと示し合せて宿舎に向かうという段取りであった。
「容保様もお人が悪い」
と、斎藤は人知れず苦笑した。一橋侯に直に抗議せずに手下を使うとは、余程口をきくのが嫌なことでもあったのか、口を酸っぱくして言い続けたのにきかぬ慶喜にはこうするしかないと思ったのか。兎に角、後々悪いように言われるのは新選組ではないか。慶喜に切り返されれば当然、新選組と結託した藩士らの独断という処分になりかねない。或いは、慶喜がこうした武力訴状に引け腰であるので文句を言わないだろうと思ったのだろうか。
いずれにしても、どうやらまだまだ会津藩にとっては新選組は信用がもう一つおけないというのらしい。
斎藤は溜め息を吐いた。
陣を出て市中見廻りの中途、屯所へ寄った。刀を研ぎ師に出そうと思っていたのだが、その暇も無く務めが続いたので、今のうち大戦の前に少し自前で研いでおこうと思った。持ち物の中から刃艶
(はづや)を探し出す。刃艶は地刃を仕上げ研ぎする際に、最初に使うものである。内曇砥
(うちぐもりと)という上等の砥石の欠片を薄く裂き、吉野紙を漆で裏貼りした親指に載る程の小さなものである。刃艶を懐に仕舞って屯所を出ようとした時、ふと丸い町人髷の頭が目の前に現れた。
吉野屋又八であった。
「何だ、また何か売りつけに来たのか」
斎藤は無愛想に言った。
「実は、斎藤様に謝らなあかん思いまして」
又八は、深く頭を下げた。
「村正は売れました」
「何の、おれが頭金を払ったでもなし、謝られる筋合いはないぜ」
「ちゃいますねん。千子村正はもう一振ありましたんですわ」
斎藤が大坂の吉野屋まで出向いた時に見せた刀は、確かに村正であった。そしてそのもう一振は、又八が京に出て来ている時大坂の店で既に、所望していたという人物に四十両で買われていたのだという。
村正を購ったという男は、長州藩家老・福原越後である、と又八は明かした。
「だが、使い手はまだせいぜい三十になるかならずの男だったぞ」
「それは、河上彦斎でんな」
肥後の河上彦斎――人斬り彦斎。成る程、妙味のある剣であった。土佐の岡田以蔵らと並んで京洛では恐れられた暗殺剣の使い手。しかも山鹿流兵法や国学を修めた知性派という。
「勤皇の連中は昨年の七卿落ちで多くは西国へ下ったが、長州勢とともに舞い戻ってきたのだな」
「へえ。河上はんは福原家老の護衛をつとめたことがあるらしゅうて、学もあるんでお気に入りのようですわ。それで村正を贈らはったんですわ」
又八は悪びれもせずに言った。斎藤は、少々やり場の無い思いを胸中で募らせるしかなかった。又八ごとき銭金が大事の商人に、国事を語っても仕方ない。お前の所為で佐久間象山は死んだのだとも言えない。人の運命とは、そういうものなのかも知れなかった。殆ど面識も無い象山に義理立ても要らぬだろう。
「すんまへなんだ」
又八は、斎藤が苦虫を噛むような表情を見て何度も謝罪した。そして、
「折角やし、この際もう一振は斎藤先生に貰うて頂こうか思いまして。三十両でどうでっか?
「要らん」
斎藤は即答した。この期に及んでまだ商売っ気を出すとは。
「けど、まだ村正の幽霊が見えまっせ」
「ほう何処に?言ってみろ。見えるというのならおれがこの場で叩っ斬ってくれる」
斎藤は徐に国重を抜いた。脂に曇った刀身が揺れた。又八の鼻先で切尖がぴたりと止まる。
あっ、と叫んで又八は飛び退った。そして、そのまま脱兎の如く上手へ走り出す。
「おう、今度来る時ゃ清麿でも持って来い」
斎藤は、又八の逃げる背中にどやし付けた。又八は、申し訳無さそうに一度振り返り、去って行った。しかし、又八の言う様、村正にしろそうでないにしろ武士とは皆、刀に取り憑かれた生き物かも知れん、と斎藤は屯所を後にした。
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