(一) 入隊
出雲松江脱藩の森繁以八郎が、会津出身浪人と身分を偽り新選組に潜入していたのは、文久三年の八月からであった。
以八郎は出雲を出て上京したのち転々とし、一月寺で寺侍をしていた。
その一月寺に訪問客があり、度々言葉をかわした事がある。
長州の吉田稔麿という男であった。以八郎より三つ下だが、吉田はかの松下村塾でその才を見出された秀才で、見るからに精鋭の気を漂わせていた。
自分など足元にも及ぶべくもない、と以八郎は吉田の才能に憧憬を抱いた。
だが間も無く、吉田は八月十八日の政変に伴い、七卿らに随って長州へ帰還することとなった。
夜陰に乗じて以八郎の元を訪ねた吉田は、付文を手渡して言った。
「貴殿にお頼み申したい儀があるのです。私は已む無く国へ戻りますが、京の様子を逐一報告して欲しいのです。さしあたって、浪士組に潜入して頂けまいか?」
その頃、新選組はまだ「壬生浪士組」と呼ばれていた。
会津侯御預であり、入隊に際して身分を問わず、任務は市中警邏及び過激浪士の捕縛、と密偵にはうってつけの組織といえた。
幸い政変後、慌しくなった浪士組は新入隊士を多く募っていた。以八郎も、入りやすいであろうと見た。
「但し初めに言っておきます。我々は貴殿の他にも数名、間者を送り込む手筈にしています。その者が誰と知っても決して親しい素振りなどせぬように願えますか。貴殿の命取りになりかねませんので」
「承知いたした」
「それと、面接の際は東北の出身だと言ったほうがいいでしょう。彼等は上方侍を好みません」
吉田はそう言い残し、寺を去って行った。
何ゆえに吉田がおれになど目を掛けたのであろう、と以八郎は訝った。
だが、その理由は入隊面接の際、深い意味があったのだ。
「会津浪人、葛山武八郎と申します」
以八郎は偽名を高らかに名乗った。向かい合わせていた近藤勇と土方歳三が、顔だけを見合わせる。近藤の頬骨の高い顔が緩んだ。
「ははあ、やはり東国訛があるな」
と、近藤は笑った。以八郎はきょとんとなった。出雲の出である。白河の関どころか京より東に行ったことがない。何を根拠に近藤がそう思ったのかは、以八郎には判らなかった。
吉田稔麿は方々の脱藩浪人や学者等と親しい。それゆえに、出雲訛が奥羽地方の訛に少し似ていることを経験でもって知っていた。
同じ事は日向の飫肥藩辺りの出身者にもいえた。それで以八郎を東国人と偽って入隊せよ、と教唆したのである。
以八郎は不審がられてはなるまいと思い、平静につとめた。経歴の披露はそこそこに、神道無念流の目録を持っていた以八郎は、剣技を試されることとなった。
立ち合ったのは、永倉新八という身体の頑強そうな男で、此方は同じ神道無念流でも免許皆伝という凄腕であった。
勿論、以八郎は永倉に軽くいなされてしまったのだが、一汗掻いた永倉は、
「こいつは実戦の方が使えそうですよ」
この一言に助けられて、以八郎は正式採用となった。道場剣の免許よりも、真剣における実力を重視するというわけである。永倉が何を根拠にそう見たのかは判らない。ただ、以八郎は「見抜かれている」と冷や汗を掌に掻いた。
国許で何度か斬り合いに及んだ事があった。殺してはいないが、深手を負わせた。相手は浪士仲間である。それが京まで逃げるようにして出て来た切欠でもあった。
寺侍の時は、押し込み強盗を相手にもしたが、殺生を禁ずるがゆえに捕縛に留まった。
ところが、今度はそうはいかない。斬らねばならないのだ。
その事を思うと、以八郎は採用を言い渡されたものの、今後の任務に対する空恐ろしさを覚えた。
近藤といい土方といい、永倉にしても一癖ある連中ばかりである。御公儀の為に斬人することを露ほども疑っていないように見えた。
「おれなどがやっていけるだろうか」
以八郎は不安に思った。
だが、吉田の付文には「我等が再び帰京する迄の間」とあった。何時になるかは判らないが、半年後か一年後かそう遠くは無いだろう。
以八郎は、それまで彼等に混じってひたすら耐えることを決意した。
壬生浪士組は間も無く、京都守護職・松平容保より賜った「新選組」という名称に改め、長州系尊攘激派の追討に成果を上げていった。
以八郎の仕事は月に一度、火急の件ある時はそれに限らず、新選組内外及び会津藩の動静を吉田に報せることであった。
非番の日に怪しまれぬよう誓願寺付近の小料理屋へ行き、そこの亭主に文を渡せば仕舞いである。料理屋の亭主は未だ京に潜んでいる長州系浪士と通じていて、その者が国許へ送るという手筈になっていた。
吉田には、前もって他にも間者がいると言われていた。以八郎はそれゆえになるべく素性の判らない新入隊士とは口をきかないようにしていた。
「どうも怪しいのは、おれと同時期に入隊した長州脱藩の連中だ」
御倉伊勢武、越後三郎、荒木田左馬介、松井龍三郎。この四人は長州脱藩である。如何にもな触れ込みだが、入隊面接の時の口説がよかった。
「我等は生まれこそ長州、周防ですが、親の代からの浪人。毛利侯の禄を食んだという義理はござらん。加えて、先立っての政変における激派らの行動には慷慨しております。久坂、高杉らは主上を祀り上げんとするも、其処なる目的は只、政権を西国に導かん為の方便に過ぎず、関が原以来の汚辱を晴らそうと、いわば傀儡にし奉ろうと目論むのみです。まことの勤皇とは片腹痛い奴等です」
と、熱弁をふるったのは荒木田であった。
血管も切れんばかりのこの弁舌が功を奏したのか、或いは何かの意図があってか、四人は採用された。
仮に近藤は義侠の士、彼等の口説が上辺事で騙られたとしても、土方はそうではないだろう。
あの白皙の下に薄っすらと冷たい笑みを浮かべ、策を練っているに違いない、と以八郎は感じた。飽く迄、表向きの印象ではあるが。
四名は調役並監察方とは別に国事探偵の命を受け、局長から別段百両という大金を預ってその任務に就いていた。もとより以八郎との接点は殆ど無い。
だが、廊下で擦れ違う時でさえも以八郎は必要以上に意識し、疎遠に振舞おうとした。
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