(二) 粛清
九月二十五日、朝廷から八月十八日の政変に出動した褒賞として隊士おのおのに一両ずつが下賜された。非番の隊士らは喜び勇んで街中へ繰り出して行った。
「葛山君も行かないか」
誘ったのは、御倉伊勢武であった。
意外なことに以八郎は驚いた。今まで口もきいた事がなかったというのに。
「永倉さんも誘って、祗園の『一力』という揚屋で飲むつもりだ。気が向いたら来るといい」
御倉は以八郎の肩を叩き、屯所を出て行った。
永倉が他にも誰か誘えと言ったのであろう。だが、以八郎は行かなかった。
御倉達と親しげに話をするのはやはり憚られる。うっかり長州の話などされて、吉田の事でも喋ったら大変では済まされない。
以八郎は誰もいない隊士部屋で一人、読書をすることにした。
だが夜になって、八木邸に訪問者があった。以八郎は厠の帰り、聞くとも無しに応対している山南敬助らの話を聞いてしまった。
「なに、永倉君が命を狙われていると。あなたは『一力』の小使ですか」
永倉とともに登楼した御倉ら四人は、当の永倉を放っぽり出して別部屋へ行き、誰かと密会しているという。
妙に思った永倉がそっと様子を窺ってみると、どうやら会っているのは長州浪士らしかった。
御倉らは永倉を誘き出して、酒に酔わせた後で斬殺しようという算段なのらしい。危険を覚った永倉が小使を走らせて屯所に急を報せてきた模様である。
「ふん。尻尾を出すのが案外遅かったな」
土方の声が障子越しに聞こえた。近藤は面接中で、山南と二人のようである。
「しかし永倉君も舐められたものだ。そのような杜撰な手口で謀殺出来ると思われているとは」
山南はつとめて冷静に言った。
「新八の奴ァ平生から単細胞に見えるからな。だが、決して馬鹿じゃあねえ」
土方が笑った。
「援軍を送りますか」
無言で土方が頷く気配がした。
やや間を置いてから「斎藤がいい」と、土方は答えた。
「酔わせて斬っちまおうて算段なら、酔い潰れなきゃいい。そんな奴は斎藤一しかいねえよ」
「斎藤君一人で大丈夫でしょうか」
「ああ。奴ァ酔えば酔うほど殺伐になる。一人で充分だ」
土方は自信に満ちて答えた。障子がすっと開いたので、以八郎は歩き出した。奥の間へ向かう山南が以八郎に不審の目を投げ掛けた。擦れ違いざま、「葛山君」と呼び掛ける。
以八郎は驚愕を覚られぬよう、ゆっくりと振り返った。
山南は既にいつもの穏やかな表情に戻っていた。
「君は外出しないのですか?天気もよいというのに」
「ええ。私は読書が好きでして。静かなうちにいろいろと読んでおきたい本もありますので」
すると山南は、「それは殊勝なことです」と、笑んだ。
「後で私の部屋にお出でなさい。新刊が幾つかあるので貸して差し上げよう」
以八郎は黙って頭を下げた。
瓢箪から駒とはこのことか。山南に気に入られるのは間者としてより新選組内部に近付く事になる。
山南の部屋を訪れると、入れ替わりに背の高い男が音も無く障子を開けて出て来た。
黒縮緬の袷袴の所為か、ひどく大柄に見えたが、腕や首筋は細い方だった。何処と無く冷たい印象のこの男が斎藤一で、以八郎はこんな間近で見るのは初めてであった。
古参の幹部なのにいつも一人外れた処に佇んでいる。
無論、口などきいたこともない。
「昏い目をしている」と以八郎は思った。
その考えが読み取られでもしたのか、会釈をした以八郎に斎藤が視線を留めた。
「あんた会津の出身だそうだな」
低く、よく聞き取れない声だった。以八郎は咄嗟の事で、はいと答えるのが精一杯だった。
「あんちゃ、むずせえな」
「は?」
以八郎は聞き返した。何と言われたのか判らなかった。
「別にいい」
斎藤は二刀差しを直しながら背を向け、出て行った。
永倉が斎藤に支えられながら顔を真赤にし、千鳥足で屯所に戻ってきたのは、亥の刻も終わろうとしている夜更であった。
「斎藤のうわばみにゃあかなわねえ。おれの負けだ、おれの」
酔漢特有の大声で喚くので、八木家の人々も何事かと雨戸の隙間から覗いていた。平隊士が迎えに出て、永倉の耳に何事か囁いた。すると、永倉は「何だと」と、歯を剥き出して地団駄を踏んだ。
永倉、斎藤の両名が祗園から帰って来る半刻程前、御倉、荒木田らは何食わぬ顔で屯所へ戻ってきた。そして、いつものようにめいめいの寝所に散ったという。以八郎が知っているのは、ここまでであった。
翌朝、前川邸を舞台に粛清劇が派手に繰り広げられた。
永倉は帰屯したまま、四人の始末は自分にさせろと近藤に直談判し、その了解を得た。ところが、『一力』でさんざん飲まされた挙句の宿酔いになってしまった。
結局、斎藤は加勢に行ったものの表向きはたまたま居合わせたということにしていたので、理由もなく座敷で四人を斬り付けるわけにもいかず、同席して見張るに留まった。
四人に勧められるままに飲み続け、殆ど酩酊の域に達した永倉が厠へ行きたいというので肩を貸してやり、戻ってみると座敷は蛻の殻だったのである。
永倉は兎も角、斎藤にこのまま飲ませても夜が明けるだけだと判断してのことか。
起きたはいいが、まだ眩暈のする永倉に、斎藤が言った。
「昨晩のうちに奴等を仕留められなかったのは、おれの不首尾です。永倉さんはご無理なさらず見ていて下さい」
林信太郎という目元涼しげな隊士を呼び、永倉と斎藤は前川邸に入った。
長州脱藩の隊士達は、皆早朝から髪結を呼び、髷を結わせるのが習慣であった。三人は座敷を通って縁側を覗いた。御倉と荒木田の後姿があった。
髪結は一瞬、永倉らに視線を遣り、息を呑んだ。だが、永倉はその眼光で髪結の口を封じた。斎藤は林に目配せをするや、脇差を抜いた。
御倉と荒木田が同時にあ、と叫んだ時には既に遅かった。髪結が飛び退ったと同時に、背後から心の臓を突かれた両名は絶命していた。
だが、間者を討とうと控えていたのは斎藤等のみでなかった。沖田総司と山南敬助らが残りの二人、越後と松井のいる別室の外に、息を殺して潜んでいた。
大刀を抜いた二人が突入すると、既に縁側の悲鳴を聞いていたのか、襖とは反対方向の障子を押し破って逃走していた。逃げられた悔しさからか、沖田は抜身を引っ提げたまま庭へ出た。
「長州の間者め、まだいるなら出て来いっ。私が相手だ」
すると、朝稽古の為に庭に集まってきていた隊士らの中から血相変えて飛び出した男がいた。
松永主計と楠小十郎であった。
松永は背後から抜き打ちを浴びせられ薄手を負ったが、そのまま駆け続け、素早く門から遁げてしまった。もたついていた楠は原田左之助に捕まってしまった。
だが、乱暴な原田の扱いに抵抗しようとして、結局斬られてしまった。
折角の生証人を無闇に殺してしまったというので、原田は近藤から叱責を受けた。だがこの二日間の出来事は、以八郎を震撼させるに充分であった。
「尻尾を出せば、否応無く殺される」
以八郎は思った。
一刻も早く吉田が帰京してくれることを願うばかりであった。
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