(三) 疑惑
将軍家茂の上洛は二度目の事になる。
八月十八日の政変によって在京の尊皇攘夷派勢力が衰微したのに乗じ、さらに公武合体を推進することを目的としていた。
以八郎はこの事を吉田に報せた。
十二月のうちに江戸を出て、海路大坂へ向かった家茂が到着したのは明けて元治元年一月八日のことであった。
以八郎も将軍の大坂城入城の警固の任に就き、再び十四日には伏見城へ入り、二条城に滞在する。
この段取りを追って認め、以八郎は天満の唐物屋へ出向いた。
唐物屋の入口から入ると、若い男が出て来た。町人髷にいなせな緋縮緬の着流しの男は、唐物屋の倅である。
惣六という。惣六は次男坊で跡取りではないので、いずれ何処かのお店に婿入りするという将来になっていたが、何しろ昼間は暇を持て余している。
その暇に任せて近頃は下っ引などをやっていた。何も大坂の町を悪党浪人から守ろうという意気込みではなく、道楽の延長のようなものであった。
「御機嫌よう以八郎はん」
惣六は下駄をつっかけ下りて来た。以八郎は立礼して文を惣六に手渡した。
「あい判りましたよ。こいつを内山様に渡したらええんでっか」
内山というのは、大阪西奉行所筆頭与力の内山彦次郎のことである。
「ああ宜しく頼む」
以八郎は力強く言った。
吉田稔麿から聞かされていたのは、大坂の与力に近しい者がいるので、もし大坂へ出張のことなどあればその人物に文を託すようにということであった。
以八郎は、まさかその者が内山彦次郎だとは、と驚いていた。
大塩平八郎の乱を収め、一躍大坂の名与力として勇名を馳せるに至った内山と吉田が、いや長州と内通しているのである。
確かに潔白の士であり、奉行所内では厳し過ぎるとの批判もあるらしい。爛れ切った内政を憂えて吉田らと意見を通じたのだろうか。以八郎には、その繋がりが判らなかった。惣六にも訪ねてみたが、
「さあ。わてらはそういう事には深うかかわらんようにしてまっさかい。何しろ商売やからね。勤皇だろうが何だろうが、都合の良いほうにつきますよって」
そう答えるばかりであった。
とまれ、以八郎は吉田に言われた通りの仕事を果たしたと思い、唐物屋を出た。天神橋筋を歩いていると、以八郎は呼び止められた。振り向くと、斎藤一がいた。
「あんた、唐物になど興味があるのか?」
斎藤は言った。懐手のまま、以八郎をしげしげと見詰める。
「え?」
「其処の唐物屋から出て来たんじゃねえか」
そうだった、と以八郎は思い直した。だが、その姿を斎藤に見られてしまったということで、内心狼狽した。
「ああ、そうです。こないだ山南さんに見せて頂いた書物に載っていた『地球儀』とやらいうものを欲しいと思いまして」
以八郎は咄嗟に方便を言った。
斎藤は相変わらずの冷たい眼差しでふうん、と言った。
「しかし手が出ませんな。二十両もするのです。見られただけでも目の肥やしになりました」
「おれには興味の無い物だな」
斎藤は言った。隊士らは十四日の将軍上洛の出発までは自由行動である。大方、斎藤もこの辺をぶらついていたのだろう。以八郎は早く何処かへ行ってくれないものかと思った。
だが、以八郎の念願も虚しく、斎藤は意外な事を提案した。
「なあ、少し飲みに行かないか」
以八郎は手の平に汗を掻いた。普段殆ど隊内でも口をきかない男に誘われたのである。以八郎に限らず、他の連中ともそう親しく話しているのを見た事が無い。近藤、土方、山南らは兎も角、永倉や原田がちょっかい出す程度ではないのか。何のつもりか、何の魂胆があってのことなのか。
だが、以八郎には断る理由がなかった。
仕方なく黄桜という揚屋に連れて行かれ、そこで一刻余り過ごす事になったのである。
斎藤の酒は静かである。芸妓と馬鹿騒ぎなどせず、只飲んでいる。
「あの、そんなにお酒がお好きなのですか?」
他に話題も無いので以八郎は思い切って訊いてみた。
斎藤は「まあな」と答えただけである。
そうして途切れ途切れに会話しながら四半刻も経った。
「ところで会津はどういう所なんだ?」
斎藤が、唐突に思い付いたかのように言った。以八郎は、またも心臓を鷲掴みにされるような心地になった。今日は思い掛けぬことばかりである。
「空の青い所です」
「そりゃあ何処で見たって空は青いだろうよ」
「いえ、あの。磐梯山の新雪がよく映えて」
しどろもどろで以八郎は言った。
「そういう意味か」
以八郎は浪人時代に親交があった人間の話や、書物で読んだ知識を繋ぎ合わせて会津の事をどうにか話した。斎藤が変に深く追究せず、只漠然と聞いているだけであったのでそれが救いとなった。
しかし、以八郎は拠所無い成り行きで肝を冷やし、その晩はなかなか寝付かれなかった。
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