(五) 乱闘

 一段と蒸す夜である。
 三条小橋上る池田屋への討ち込みがはじまったのは、探索が始まって一刻を過ぎた頃であった。
 土方隊に属し、縄手通方面から馳せ参じた以八郎は、既に玄関に浪士らが倒れているのを見、戦闘の凄まじさを知った。
 土方らは先に突入している近藤、永倉らに加勢すべく二階へと急いだ。
 以八郎は裏庭へ回るよう指示された。
 裏へ回るのに内部から踏み込まず、勝手口の方から進むと、飛び石には夥しい血糊がついていたので滑りそうになった。慌てて踏ん張ると、目の前に敵が現れた。
 二階から飛び降りてきたようであった。
 以八郎がいた事に気付くのが遅れた敵は、膝まづいたまま頭上を薙がれた。大たぶさが切られ、喉を仰け反らせる。
 以八郎は思い切って喉笛に向けて突きを放った。ややずれたが、切先は鎖骨の辺りへと吸い込まれて行った。
 安堵の息を吐き、刃を引き抜こうとしたその時、勝手口から回ってきた浪士が以八郎目掛けて突進してきた。抜き切らず、柄の握りが緩んでしまった。
 今しも袈裟に斬られると思った以八郎だったが、免れた。
 斬りかかってきた男は以八郎の一尺ほど手前で前へつんのめって倒れた。その背後に浅葱色の隊服が見え、以八郎はほっとした。
「油断めさるな」
 斎藤一である。
 浪士の背後から心臓を一突き。御倉らを葬った時と同じ正確な狙いであった。
 斎藤はその一言だけを言い残すと、死体を飛びかわし、再び屋内へ駆け上がって行った。
 横顔に微かな冷笑が浮かんでいたように見えたが、それは以八郎の錯覚であろう。
 吉田の言った大きな計略とは、つまり旅籠・池田屋でまさに密談されていた内容であろう。
 以八郎は、数日前に桝屋喜右衛門こと近江の勤皇浪士・古高俊太郎が捕縛された時、その事を知った。知ったがどうしようもなかった。
 兎に角、気取られぬように長州者以外を斬るしかない。示現流の初太刀の構えなどは素人目にもわかる。だが、殆ど頼る灯りのない暗闇の中で、流派によって出身を推測するのは困難と思えた。
 数十人といる浪士の中に吉田がいる可能性は高い。
 以八郎自身が吉田を斬ってはならないのも兎も角、もし新選組の誰かが吉田を斬ろうとしているのに出くわしたら、捨ておくわけにも行かない。
「そうなったら、吉田さんを斬る手助けをせねばならんのか」
 仮に刃を交える時あらば、致し方ない。
 怪しまれぬように、と吉田は釘をさしたが、果たして己に出来るかどうか。以八郎はそんな危惧を抱きつつ、恐る恐る戦闘に加わっていた。
 新選組が池田屋周辺を引き揚げたのは、ほぼ明け方近くになってからであった。数刻に及ぶ烈しい戦いの末の苦々しい勝利であった。
 以八郎の羽織には返り血がべっとりと染み付き、刀はところどころ刃零れがし、鞘に収まらぬほど曲がったので仕方なく抜身を晒して歩いた。
 旅籠の中は、会津、桑名などの各藩の兵等が出入し、奉行所からも検分の役人が訪れていた。池田屋正面にある日光屋を仮本陣にしたてた近藤、土方らの元に平隊士らも報告に参じている。以八郎も伍長として、報告に出向いた。
 近藤、土方らは殺気立った目付きで差し入れの酒を飲んでいた。
 その後に右手を負傷した永倉が座っていた。
「旅籠の中にはまだ押収してない武器がありますが、如何しますか?」
 以八郎は訊ねた。
 すると、近藤は「平隊士を使って運び出せ。手柄を後から来た藩兵に横取りされてはかなわんからな」と、命じた。
 以八郎はそう言われ、周囲を見回した。しかし自らの率いる四名の隊士等も散々になっており、此処にいるのは負傷者ばかりであった。
「人出が足りねえよ、近藤さん。原田、斎藤、武田組は残党狩りに向かってるしな」
 永倉が割り込んできた。
「もう夜が明けちまってる。皆疲労し切ってるじゃねえか。そんな事は奉行所に任せておけばいい」
「そうはいかん」
「おれ達幹部だけがこうして酒を飲んで休んでるわけにゃいかねえ。他の隊士達だって、くたびれ切ってるんだ。無理を言うなよ」
「何だと」
 近藤は、一瞬声を荒げた。
 だが、周囲が矢庭にしんと水を打ったかのように静まったので、言い掛けた言葉を飲み込んでしまったようだ。
「よし、おれが奉行所に掛け合ってくるとしよう」
 膝を叩いて立ち上がったのは、土方であった。
 以八郎は、内心ほっと胸を撫で下ろした。
 永倉は大きな目を剥いて、まさに近藤に食って掛かろうという勢いであったのだが、土方の機転で免れる事が出来た。
 しかし、この些細な遣り取りがのちのち紛争の火種になろうとは、思いも寄らなかった。
 以八郎は翌日、吉田稔麿の死を知った。
 斬手は沖田総司であるという。荒筵を被せられた骸は、近くの三縁寺に運ばれていた。ただ、吉田の死を一目憚ることなく嘆く事の出来ぬ以八郎は、茫然とその報告を聞くだけであった。
 
 (四)へ
 (六)へ
 

小説目次へ
「とにかく殺す!」目次へ
本館TOPへ