(六) 転機
六月以降の新選組は、市中見廻りに神経を尖らせる日々が続いた。
長州側では十四日に池田屋の凶報が国元に届き、毛利定広、国司信濃らの上京目的も当初と変わってしまった。
そもそも、四日の段階では哀訴嘆願を掲げていたのが一変して、尊皇攘夷を大義として攻め上がろうという方針になったのである。
京都市中では、一橋慶喜の家老・平岡円四郎が水戸藩尊攘激派に斬殺された。
新選組においても、市中見廻りに出た隊士等が殺されるという凶事が頻繁に起こった。
既に大坂には、長州藩家老・福原越後の軍団が押し寄せてきたという逼迫した状況にあって、隊士も各々前にもまして警戒の色濃く、任務に就いている。
以八郎はそんな最中、胸中に空洞を抱くような心境で過していた。
吉田が死んで、以八郎は最早、長州の間者として働く必要はなくなっていた。
新選組隊士として隊務をこなしていればよいだけの毎日である。
しかし、端から入りたくて入った組織ではない。吉田の思想、人柄をよしとして助力しようと思っただけのことである。新選組に何の義理立てをする必要もない。
人を斬るのも愉快ではない。
沖田や原田らが「今日はうっかり斬っっちまって、羽織を汚したよ」などと笑っているのを見ても、気分は浮かない。そんな以八郎を見て、山南などは親切に具合でも悪いのかと声を掛けてくれる。
以八郎はふと、池田屋の斬り込みの時に山南が現場にいなかったことを思い出した。
近頃具合が悪そうなのは、山南のほうではないか。
「貧血が酷いのですよ。普段はどうもないのですが、斬り込みや巡察の時に不都合で」
などと言って笑う。顔色は青白い。
「私も斬り込みは苦手です。道場は兎も角、真剣で人を斬るというのは」
言い掛けた以八郎の言葉を、山南が遮った。
「あまりそのような事は口にしてはいけません。臆病者の誹りを受けかねませんからね。人間誰しも人を斬るのは恐いのです。けれども口にしてしまうと現実になる。古えより『言霊』というじゃありませんか。言葉にすると、その通りになってしまう」
すみませんでした、と以八郎は謝った。
山南に言うべきではなかった。言えば親切な山南は、以八郎の意向を汲んでくれるだろうが、その事で他の幹部からの風当たりを強くさせてはいけない。
「やはり新選組を去るのがよいだろう」
以八郎は決心した。
だが、隊には五つの法度が存在した。隊を抜けるということは、『局ヲ脱スル不可』という規則に触れる。犯した者は切腹となる。
となると、見付からぬように離脱するか、何らかの正当な理由を口実にして出るより他は無い。
郷里の父母が危篤状態にある、家の跡目を継がねばならない。こういった事情は斟酌される。一時的に隊を離れることも可能だ。そのまま戻らなければよい。
以八郎は考えあぐねた。
隊中では入隊時既に会津出身であると偽っている。当然、会津に両親などおらぬし、松江にも母親しかいない。
その母も長兄の養子先に厄介になっており、まして継ぐべき家もない。頼れるほどの親類縁者もいない。
頼るすべ、と考えて以八郎はある一人の男の事を思い浮かべた。
桂小五郎である。吉田と密会した時に、桂が寄越した間者が楠らであると聞いた。その桂は、まだ池田屋の後も京の何処かに潜んでいるという噂がある。
新選組内部や会津藩の情報を桂に渡せば何とか以八郎一人くらいは逃がす手立てを教えてくれるかもしれない。
以八郎の目前に、一筋の光明が差し込んできた。
七月の陽光は容赦無く京の町を照り付ける。
以八郎は、鹿ヶ谷
(ししがたに)のとある農家を訪った。先日、居酒屋で浪士の噂を聞いた。
「三条大橋の下でお菰
(こも)をやってるらしい」
「いや、鹿ヶ谷の南瓜畑におったというぞ」
噂されている当人は、桂小五郎のことである。
神出鬼没の桂の居場所は、まだ新選組にも掴めていない。桂の馴染みである幾松という芸妓を引っ立てて白状させようとしたが、幾松は気丈な女でなかなか吐かなかった。
縄に絡められても、頑として桂の居場所を言わない。これは本当に馴染みの情婦
(おんな)といえども行先を報せていないのではないかということになり、解放した。
その後も幾松の元を桂らしき人物が訪ねたとも、幾松が誰かに書状を送ったともない、という。
以八郎は噂に従って市中見廻りの際、三条河原を探索してみた。しかし、桂らしき男は居なかった。
鹿ヶ谷を訪れたのは、そういうことである。
無論、洛外へ出るので非番の日であった。
だが、わざわざ足を運んだ甲斐はなかった。
「長州のお侍はんなんか来たことあらへんがな。こないな田舎、肥やしの臭いがべべに付きまっさ」
農家の主は笑った。折しも畑で南瓜の収獲が行われていた。
「それよりあんさん、今年はなんきんようでけましてん。お天道はんのお蔭ですわ。それに、くわいづはんのお蔭や。ここらも盗っ人減りましてのう」
親爺はひょうたんみたいな形の南瓜を以八郎に手渡した。
「くわいづ」とは「会津」のことで、会津中将・松平容保が守護職に就任して来、夜盗の類が減ったというのだ。食うに食えない浪人衆までもが洛外の農家の田畑を荒らすということはこれまで頻繁にあった。
「桂ではなく、南瓜か」
以八郎はかなり憮然となって、鹿ヶ谷を離れた。
本願寺岡崎別院を通り過ぎようとしていると、以八郎は傾きかけた西日の当る街道で人影を見た。
縮緬羽織に夏袴の長身の侍は、会津藩の藩士かと思えた。
しかし、菅笠の下の頭は月代ではなく総髪の束ね髪であった。見覚えのある後姿に、以八郎は息を呑んだ。
斎藤一ではないか。
以八郎は、斎藤が出て来た方角を見遣る。
黒谷の参道ではないか。この辺りは金戒光明寺の門前町になる。
ということは斎藤は私用で黒谷を訪れたというのか。公用なれば、必ずだんだら羽織を着用している筈。或いは近藤、土方の命で来たのか。
それにしても、一人で会津本陣を訪れるということは有り得ないのではないだろうか。
以八郎が考えながら歩いているうちに、既に斎藤は聖護院森の方へ向かって行った。
(五)へ
(七)へ