(七) 発覚

 七月十八日、ついに御所は火の手が上り、長州藩との戦が勃発した。
 会津藩の命より九条河原に布陣していた新選組は、久坂玄瑞らの自刃した後、洛中から逃げ延びる浪士らの残党狩りに出陣した。
 河原町辺りからも火が上った。長州屋敷の方である。
 以八郎は、御所内を歩きながらふと桂小五郎のことを考えた。
「この戦ではさすがに桂さんも逃げ出したに違いあるまい」
 鷹司殿から噴出した炎が移らぬうちに堺町御門から入った新選組は、公卿門前の会津藩兵と合流した。
 しかし、長州兵は既に逃散したとみえて、死体が転がるばかりであった。
 結局、新選組は蛤御門付近の死傷者の搬送をするばかりであった。
 町は混乱を極めている。
 近隣の町人は夜明け前から逃げ出していたが、御所の南側はまだ避難していない住民が押し合っていた。堺町門が焼け、九条殿にも火の手が及んでいる。
 以八郎は浪士らの遺骸を戸板に載せて行きながら、戦の非情を知った。
 たとえこれで長州勢ら過激の尊攘派が京から出されたとしても、御所を焼き、さらに洛中を火の海にしてしまうという多大な犠牲を払ったことに変わりは無い。
 勝利を得たという気がしないという以前に、以八郎にとっては場違いな戦に出てしまったという感が否めないのであった。
 八つになり、鷹司殿と九条殿は鎮火すると、新選組に次の命令が下された。天龍寺の焼打ちである。
 来島又兵衛らが立て篭もり、長州勢西の本陣となっていた場所を、薩摩藩とともに攻めようというのである。
 すでに早くから敗北を知り、留守居も去った天龍寺を今更焼くというのは合理的ではない。
 しかし、賊徒と知りつつ浪士らに陣を貸した事に対する誅罰であるという見解からであった。
 翌二十日の晩、薩摩兵の先陣に随って、以八郎も焼打ちに向かった。
「幾らなんでも寺に火を放つことは忍びない」
 もと寺侍であった以八郎は、胸の痛む思いがした。
 せめて火を掛けるのはやめて、僧徒や留守居を追い払うくらいしかない。以八郎は藩兵らが、方丈、庫裏、多宝塔と構わず火を掛けるのを横目に、僧坊に踏み込んだ。
 既に僧らは逃げており、蛻の殻である。障子の向こうで物音がした。
 以八郎は抜刀して近付いた。半身を退きつつ、そっと開けると老人が一人膝を抱えて隠れていた。
「お、お助けを」
 殆ど白髪頭の禿げ上がった老人は、手を摺り合わせて命乞いをした。
「安心せい。おぬしを斬る気はない」
 以八郎は言い、逃げろと合図した。すると、老人は瞠目した。
「牢に入れられるんではないですかえ?もしや、あんた様は」
 老人が何か言おうとして、以八郎は遮った。
「早く逃げろ。その代わり、桂さんの居場所を判ったら教えてくれ」
 へえ、と老人は頷いた。老人は、足を縺れさせながら漸く這うように座敷を出て行った。これで留守居の人間はもういないだろう。
 以八郎は振り返った。
 振り返って、心臓の止まる思いがした。
 座敷の入口に斎藤一が立っていたからである。
 方々から上る火の手で黒く燻り続ける境内の煙が入り込んで来ていた。
 小具足姿の斎藤は、昏い目で以八郎を凝視していた。
 以八郎は粘り付く喉を鳴らし、半歩後退った。斎藤は腕組みしたまま一つ瞬きした。
「今おれが何か見たと思うか、見なかったと思うか?」
 以八郎は絶句したままであった。
 露見すれば斬られる。
 ならばせめて一太刀でも交えて死ぬしかない。斎藤の冷ややかな眼差しは、間違いなく総てを知った目付きである。
 だが、以八郎には切り札があった。
「さあ、どうでしょう」
 以八郎は片頬に笑みを浮かべた。
 しかし、引き攣っていたかもしれない。
「私も先日の十四日、斎藤さんを黒谷でお見掛けしたように思いますが」
 言い終わらぬうちに、斎藤の愛刀である鬼神丸国重が以八郎の鼻先にあった。もう一歩踏み込めば、確実に喉まで貫いていただろう。
「何の真似だ貴様。おれを謀るつもりか」
「お怒りですか。ということは図星ですな。何を企んでおいでだ」
 以八郎は、ままよとばかりに言い切った。
「貴様に関係ない」
 斎藤は低く言った。
 だが、以八郎の予想以上に斎藤の顔色には動揺が見えた。
「公務以外で黒谷あるいは守護職屋敷に出入することは禁じられている筈ですが」
「斬られたいのか」
 斎藤は嘯くように言った。
 そして、静かに目を細めて笑った。
「悪いがおれは公用で黒谷へ行った。嘘だと思うなら、土方さんに訊ねてみるがいい」
「私の方こそ、あの老人を逃がし、桂の居場所を聞き出して捕縛に向かう。それが目的です」
 以八郎は、咄嗟の方便を使った。
「隊務以外の抜け駆けも禁止されている。必要とあらば、局長か副長に報告しろ。その上で監察に話が行く」
 斎藤は、刀を収めた。しかし、以八郎に対する疑惑の念は残っているようであった。以八郎は、斎藤の去っていく後姿にそれを感じた。とまれ、一難去った。どっと脂汗が流れ出た。
 そして、また一難。
 以八郎は天龍寺の件を土方に報告に行った。
 すると、「留守居であろうが何であろうが捕縛せよと言ったのに、余計な事を」と、不機嫌そうに言った。
 そして、
「今回の件は仕方あるまい。人相書を寄越すから、その爺さんの面を描いて貰え。監察の連中に探索させる。年寄りの足では、一両日中に逃げられまい」
 以八郎は過失を問われなかった。
 まだこれから山崎天王山へ向かおうという大詰の局にあって、土方も一々些細な事で重罰を加えている余裕がなかったのであろう。

 
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