あとがき

 方言、ということを考えていて思いついた物語である。
 大河ドラマ『新選組!』では、「薩摩や土佐、上方の人だけが方言で、会津や長州の人は方言ではなかった」と物議を醸していたが、ちょっとそれは違うと思った。
 ドラマに限って言えば、薩摩の面々は大久保や西郷のもともとあまり身分の高くない武士で、そういった人と江戸屋敷生まれや江戸詰の上士と言葉遣いが違うのは当たり前なのだ。松平容保が会津弁を喋っていたら、噴飯物である。
 容保侯は美濃高須松平家に生まれたが、江戸屋敷での生誕である。しかも、その後ずっと江戸で育ち、会津藩に養子に行く時も江戸で、その後十七歳で漸くお国入りしている。そもそもお殿様になるような身分の人間が、市井の言葉を使う筈もないということは、この歴史音痴の私でさえ知っている事実である。諸国大名の子息は皆江戸で生まれ養育される、というのが当時の幕府の決まりだったのだ。水戸藩は別として。いわば、幕府側の人質として若様や奥方は江戸に住むことになる。
 無論、会津公用人の面々もそれぞれ江戸や京での勤めであるゆえに、お国言葉では公に話す筈もない。代々、江戸詰などの家系は決まっている。相応の費用が掛かるから、生半の家計では用を足せない。江戸詰の家は自然と江戸言葉になるだろう。
 土佐藩に至っては、もっと顕著である。土佐は上士と下士の区別がはっきりしている。これは俗に山内侍と長宗我部侍といい、藩祖・山内一豊に従ってやってきた譜代の家臣群と、敗軍に属していた地侍、土地の郷士との違いである。当然、上士は江戸言葉を使いもし、藩主は土佐弁など使わない。坂本龍馬は郷士の出自ゆえに土佐弁を当たり前に使った。要するに、幕末の頃堂々お国言葉を使いまくっていたのは、町民を除いて浪士連中であったと思われる。それにしても、江戸留学経験のある地方出身者などは共通語として江戸言葉を用いていたのではないかと思う。あまりそのあたり書状や記録などからは見えないことであるが、言葉の研究に携わった経験がある作者としては興味深い。実際にオーラル(口語会話)としてどういうシチュエーションがあったのか、こういう時こそタイムマシンが欲しいと切実に思う。
 新選組を題材に扱って描きやすいと思うのは、会話に比較的標準語が使えるというのと、上方言葉ならまだわかるということである。それ以外はまったく自信が無い。
 斎藤が言った会津弁も本人は無関係で、会津藩公用方の誰かから聞いたものと考えて頂くと有り難い。


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