(十四) 嘘つき小二郎
陽之助が足の爪を摘んでいると、源太がやって来た。
「おっちゃん、油小路の天満屋はんで、みぶろがやられてん。知っとうか?」
「らしいな」
陽之助は長い脛を抱えて左足の小指から、爪を摘んでいる。源太はしゃがみ込んだ。
「おっちゃんか?」
「何が」
「おっちゃんが、おれの仇討してくれたんちゃうんか?」
さあ、と陽之助はとぼけた。
「知らんよ。仇討なら相手を見定めるというもんだろう。手当たり次第斬り込むなんて、阿呆のやる事だ。おれは、そんな阿呆ではない」
ふん、と源太は鼻を鳴らした。
「それよりなあ、源太」
と、陽之助は顔を上げた。涼しい二重眼が少年を捉える。
「これからは、日本は外国と付き合うていかにゃならん。外国の言葉を勉強しろ。仇討仇討なんて、しょうもない事言うな」
「しょうもない事ない」
源太は、ぷいと怒って階段を下りて行った。陽之助は、また爪を鋏で器用に切りながら、独りごちた。
「――なあ、こんなもんでいいでしょう、坂本さん」
天満屋襲撃の一件は、即ち土佐藩に知れることとなり、「あれ程事を荒立てるなっちゅうたのに」と上士らの怒りを買った。
紀州藩はこのことで土佐藩に難詰し、或る事を提示した。
「土佐藩預かりの海援隊士らのやった事ゆえ、貴藩に責任は取って頂く。ついては、いろは丸賠償金から一部慰謝料の分を省いて頂きたい」
と、こう言ってきたのは、襲撃に遭った当人の三浦休太郎だった。
三浦は頬に掠り傷を負っただけで、ぴんぴんしていた。
土佐藩にしてみれば、天満屋への討入は青天の霹靂のようなもので、逃れようがない。
再び中島作太郎が出向いて、「賠償金は七万両で」ということで、手打ちになった。
そのうち大洲藩への船の弁償金、調停人である五代才助への謝礼などを差し引いて、一万五千両が海援隊への分配金となった。
陽之助はといえば、
「おれは海援隊をやめたので、貰う筋合いはない」
と、中島に答えた。
「それはいかん。あん事件はおんしが……」
「おれは口先で四万両上乗せしただけで、何もしてない。"嘘つき小二郎"お得意の嘘ってやつでね。ざまみろ、奴等結局おれの作った金で飯を食ってる」
「おんしはひねくれちゅうのう」
中島は苦笑した。
紀州藩もこれで面目が立っただろう、と陽之助は思った。
「ただ口舌の徒に口先だけで金を持って行かれるのは、面白くないに決まっている。三浦が京で兵を集めていると聞いて、おれはぴんときた。いずれ海援隊、或いは土佐藩は紀州に襲われかねない。時間の問題だ」
そうなると、坂本の悲願でもあった武力争奪回避の政権交替は不可能になる。
そこへ、坂本、中岡の暗殺事件が起きた。
「坂本さんには死人に冷や水をかける様で申し訳ないが、奇貨置くべしと見た。近江屋の件はおれらが新選組を唆した奇襲の企みと思い込み、三浦を襲えば先手を打ったことになる」
紀州はそうすれば、海援隊に矛先を向け、いろは丸の賠償金を逆手に交渉してくることは相違ない。
「大事を取りて小事を棄つ。大掛かりな衝突を避ける為、ということか」
中島は深く頷いた。
討幕派である薩摩、長州の兵力にしても、現幕府勢力に到底及ぶべくも無い。
最新鋭の戦艦なども殆ど幕府海軍の所有である。まして、土佐の老公・容堂は武力討幕など考えていない。
「中岡さんは死際に討幕を急げと言うたらしいが、それより先に手を付けることがある」
陽之助は言った。
「なんちゃそれは。おんしは海援隊をやめて如何する?」
「世界の陸奥陽之助になろうかのう」
冗談にしては余りにでか過ぎて呆れるわい、と中島は笑った。
「やっぱ"嘘つき小二郎"じゃ」
慶応四年正月三日。
鳥羽伏見で薩長軍対旧幕府軍の戦いが勃発した。
大坂へ一旦退いていた前将軍徳川慶喜の下、幕府軍が京へ進撃してきた。これを迎えうったのが薩摩、長州を中心とする現宮城の守護者達であった。
土佐藩は武力討幕に消極的であり、その庇護下にある海援隊の隊士は様々に散った。長崎でこれまでの通り経営をしようとする者、高野山に立て篭もり、幕府軍を牽制する者。中島作太郎も此方に加わった。
陽之助はその朝、いつものように遅く起きて来て、
「やえさん、雪はやみましたな」
と呼び掛けた。海援隊士でない以上、沢屋にいるのも体裁が悪いので、平野屋に連泊していた。それに、仙台の商談は鳥羽伏見の戦と坂本の死で何処かへ飛んで行ってしまったようだ。
やえは内職の手を止めて、はっと振り返った。
「世話をかけました」
陽之助は言って、手提箱を渡した。
「三百両、泊賃だ」
「そんな。頂戴でけしまへんわ、こないな大金」
やえは手提箱を押し返した。その繊
(ほそ)い手を陽之助は掴み、己の胸先に引き寄せた。
「これで、あんたを身請けすると言えば?」
「いやだ、何仰いますのん」
やえは笑った。
「うちは女郎やおまへんえ。もう、てんご言わしゃいますな陸奥様」
「残念な事だ」
と、陽之助はやえの柔らかい手を握り締めた。
「もう少し早かったら、おれが身請けしたのに」
「え、え」
やえは首を傾げて見せた。
「やえさん。あんた、祇園の船曳屋という置屋にいた芸妓だろう。八重垣という名で」
やえは黙
(もだ)したまま俯いた。
「いい名前じゃないか。"八雲立つ出雲八重垣妻ごみに八重垣つくるその八重垣を"――素盞嗚尊が櫛稲田姫を娶った時の歌だ」
陽之助は続けた。
「八重垣という妓は半年前に身請けされたんだってな。新選組の某という男に。判らいでか、旅籠の女将にしちゃ素人臭さが残る。そのくせ男あしらいに慣れてる風で」
「それは……」
やえは陽之助の手を振り解こうとした。陽之助は離さず、更に強く引き寄せた。やえの左耳にくっつく程唇を寄せて、
「おまけに床あしらいが巧い」
ああ、とやえは両手で顔を覆って首を振った。
「ほんまにかんにん、かんにんして」
やえは白状した。
「三百両言うのんは、うちの人が局長の近藤はんに金策して来い言われたもんどす。何でも、前々から御陵衛士にならはった伊東はんいうお方が入用や言うて。会津にも紀州にも言える金やないですよって」
つまり、平野屋という旅籠屋も借金取りも全て虚偽で、やえとその旦那が仕組んだ大掛かりな美人局のようなものである。
引っ掛かる人間は誰でもよかったのか。
いや、そうではない。
何故、三浦休太郎と近しい筈の近藤勇が紀州に金を借りる事が出来ない。
それは、用途を知られてはならない金だからだ。
「成る程、端から伊東らを殺す餌にする為の金か」
と陽之助には瞬時に判ったが、黙っていた。
「けど、もうお金は用はありまへん。うちの人も多分、京にはいてませんから。……二度と会うこともあらしまへんやろ」
「源太はあんたの子か?」
「そうです。うちの連れ子。ほんまは源太郎言います。子供はお母はんに預けてお座敷に出てましてん」
お母はん、というのは置屋の女将だ。父親のいない子なのだ。
そうか、と陽之助はやえの手を離した。
「かんにん、って言うても、うちは陸奥様に相当酷い事をしてしまいましたな」
「お互い様だろう。祇園新地でいきなり襲って来た連中も、あんたの計算のうちか」
いえ、とやえは首を振った。
「それは違います」
「ふうん……」
陽之助は確信した。坂本竜馬を襲った人物が誰であったのか。
しかし今はどうこう言っている場合ではない、と陽之助は思った。
天満屋斬り込みの前、祇園下河原の一力の前で待ち伏せした。三浦は小玉という芸妓に入れ込んでいて、女が呼ばれて行くのを見届けて、夜半三浦の駕籠が揚屋を出るのを待った。
ところが、それが替え玉だったのである。
しくじったと知り、とにかく事は早く進めてしまおうと翌晩油小路花屋町の天満屋を襲ったのだ。
そこで確信に至った。何故知れる筈もない計略が、三浦本人に知れるのか。新選組を通じてのことに相違なかった。
それも、今更問糾したところで事実は変え様がない。
「三百両じゃ端金だが、それで源太に洋学をさせるといい。これからはお上に縋って生きて行ける世の中じゃあない」
陽之助は言った。
「おれに謝るより、源太に謝るんだな。言っていたぜ、本当の父親はみぶろに殺されたってな。あんた、それを黙って新選組の男に身請けされるなんて」
女が一人子供を養って行くには、やむぬやまれぬことだろうが。源太は如何ばかり傷付いただろう。
「おおきに。嘘でもうちを身請けしたのに、やなんて言うてくれて」
漸くやえがそう言った時、陽之助の手の甲に、生温かい雫がぽたぽたと落ちてきた。
「お気持ちだけ頂戴しときます。陸奥様ような悪い男はんには、ようついていけません。女子を不幸にする」
「……」
「――はよう」
と、やえは肩に掛かった陽之助のもう一方の手をやんわりと払い除けた。
「はようお行きやす。もたもたしてたら、また降って来ますえ」
言う通りだ。
「お身体冷さんように」
独りごちるように小さく呟くやえの声が聞こえた。陽之助は振り返った。
「本当にあんたの言う通りだ。おれは、おれが行こうとしている道は急度、時には連合いや同胞
(はらから)を絶望のどん底へ陥れるやも知れない」
陽之助の胸裡は、既に見抜かれていた。
「だが嘘じゃない、これだけは。やえさん、あんたがその気なら、おれは本当に何処へでも連れて行こうと思ったんだ」
そう言おうとして、陽之助は唇が動かなかった。
陽之助は宗十郎頭巾を被り、高下駄で往来へ出た。空はどんより曇っていた。
長居は無用。
もう、引き返すことは出来ない。坂本を失った時点で、陽之助は行き先を変えた。変えるしかなかった。
陽之助は歩き出す。
「坂本さん。おれは貴方の言うよう、一人でやれるところまでやりますよ」
陸奥陽之助は官軍のあとを追うように、大坂へ赴いた。
そして、アーネスト・サトウとの会談を通じて英国公使ハリー・パークスと面会し、今後の新政府外交の方針について話し合った。
結果、日本は開国、進歩主義政策を採択し、まずは王政復古を在坂各公使に通知する布告が岩倉具視を通じて発せられる。
慶応四年一月十一日のことである。
その翌日付で、陽之助は新政府の外国事務局御用掛に任命された。
ここに、長い紆余曲折を経てのちに「剃刀大臣」と呼ばれる陸奥宗光への第一歩がはじまった。
しかし、本質的には「嘘つき小二郎」そのもので変わりはない。
と、勝海舟は、陽之助の死後に語っている。
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